ロックなんやな、三日月って
はじめて買ったCDは、スピッツの『三日月ロック』。
15歳の時、地元で唯一のタワーレコードへ一人で買いに行ったのを覚えている。
私がスピッツと出会ったのは、父親が運転する車の中だった。
週末、家族で出かける時に車内で一時期よくかかっていたのが、スピッツの『CYCLE HIT 1997-2005』だった。その当時まだ4、5歳だった私は、当然スピッツの存在も知らなかった。『空も飛べるはず』や『チェリー』『ロビンソン』という知名度の突出した御三家を意識して聴く前だったので、自分の中の一番古いスピッツの記憶はこのアルバムである。そのせいか、今もわりと楽曲をフラットな気持ちで見ている部分も少なからずあるかもしれない。
そこから時は流れて、私は中学三年生になった。流行りのドラマ主題歌や歌番組によく出演するアーティストの曲を人並みに聴くような生活を送っていたある日、きっかけが訪れる。親戚のお兄ちゃんがCDコンポを譲ってくれることになったのだが、そもそも自分はCDを持っていないということに気が付いたのだ。せっかくだから何か買いに行こうか。でも、CDを買うほど好きなアーティストって、あんまりいないかもしれない。しかもコンポがやって来るのは明日だ。そこまで考えて、私は音楽好きな父にCDを貸してもらうことにした。
父と一緒に書斎へ行くと、そこには予想より少し多いくらいのCDが並んでいた。「お父さん最近あんま聴かんから、好きなやつ持って行き」という言葉に甘えて、CDラックを物色する。宇多田ヒカル、Mr.children、聞き馴染みのあるアーティストのアルバムを目で追っていると、ラックの一番端にスピッツを見つけた。手に取る。よく分からないけど、おしゃれな感じのジャケットだ。
「なあ、これ私が幼稚園の時にめっちゃかかっとったよな、車で」「ん? そうやったか」「借りてもええ?」「あー。ええよ」「お父さんスピッツ好きなん」「ん。スピッツっちゅうか、まあ、このアルバムに入っとる曲が好きやな」「それはもうスピッツが好きやん」
他愛もないやり取りの末、父はCDを貸してくれた。
そして、そこから私にとっての唯一はスピッツになったのだった。
正直に言うと、明確な理由は言葉にできない。歌詞が素晴らしいとか、世界観が独特だとか、草野さんの歌声が美しいとか、演奏技術のレベルがめちゃくちゃ高いとか、こうした月並みな言葉では言い表せないなにかが、あらためて聴いた途端胸のど真ん中に飛び込んできたような感覚になった。あからさまだがまさにガーンとなったのだ、あのメロディに。
CDコンポで10年ぶりにちゃんとスピッツを聴いてから、私はすぐにスピッツについて詳しく調べた。凄い、もう20年もやってるバンドなんだ。みんな両親と同い年じゃん。それも凄い。アルバム他にもいっぱい出てる。
タイトルとCDジャケット、収録曲を見て、とりあえず一番気になったアルバムを手に入れよう。借りるんじゃなくて、ちゃんと自分で買って手元に置きたい。そんな風に思った気がする。
店内に入って、真っ先にスピッツの棚を探す。入ってすぐ右側の棚、さ、し、すと辿っていくと、スピッツのCDが整然と並べられている場所があった。
そこから散々迷って、私は『三日月ロック』を取り出した。乱雑な部屋の中で、黄色いTシャツのお姉さんがけだるげに座っているジャケット。収録曲を見ると、父から借りたHIT盤に入っていた『さわって・変わって』と『遥か』がある。このアルバムで聴けば、また違った風に感じるのだろう、と思った。
それから何年かたった今も、私の中でスピッツは他の追随を許さないほど特別なバンドである。彼らの楽曲は変わらず寄り添い、時に共に沈んでくれ、明るく励ましてくれる存在だ。
本意ではなかっただろうが最高なバンドと出会わせてくれた父に感謝しつつ、私は今日も自分の愛車でスピッツを聴く。
ちなみにこの記事のタイトルは、アルバムを初めて目にした時の率直な気持ちである。