高野山参拝の記録 〜1人旅で感じた心の響き〜
高野山(こうやさん)は日本における仏教の重要な聖地の一つです。
和歌山県に位置し、真言宗の開祖である空海(弘法大師)が816年に開いた場所として知られています。
また、高野山は世界遺産に登録されています。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
この世界遺産は、高野山だけでなく、吉野・大峯、熊野三山などの紀伊山地にある複数の霊場や、それらを結ぶ参詣道を含んでいます。
高野山は自然と調和した環境にあり、霊的な静寂と安らぎを感じる場所としても知られています。
そのため、真言宗に属していなくても、多くの人が高野山を特別な、あるいは聖なる場所と感じることができます。
奥之院という、空海(弘法大師)が今も生きて瞑想していると信じられている場所へ。
ここから奥之院参道1.9kmを歩き、弘法大師御廟へ向かいます。
今回はいつもの気ままなお出掛けではなく、とても神聖な気持ちでの参拝でした。
高野山には、幼少期に両親に連れられ訪れたことがありますが、険しい山道の印象が強く(車で行ったので)他の記憶がありません。
以後、全く高野山に行く機会なく過ごしてきました。
ところが昨年から、なぜかずっと高野山が気になっていました。
まさにこれが「呼ばれる」という感覚なのでしょうか。
最近、SNSでも空海について話をする方や、実際に高野山に訪れた内容の投稿などを頻繁に見かけるのも、気になっていました。
「呼ばれる」という感覚で訪れることは、一般的な体験のようです。
多くの人が、特定の時期や状況で何かしらの霊的な引力や導きを感じ、その場所に行く必要があると感じることがあるとのこと。
こうした「呼ばれる」感覚は、個々の精神的な成長や心の状態、人生の転機に関連していることもあり、高野山のような聖地は、そうした内面的な変化や気づきを深めるための場所とも言えるそうです。
今回、私は1人で参拝させていただきましたが、実際に訪れてみるとやはり心に響くものがありました。
私が一番印象に残った場所は、奥之院の先にある弘法大師御廟です。
(お大師様の御廟の霊域。撮影等全て禁止の区域でした)
弘法大師御廟に足を踏み入れた瞬間、空間全体に清々しいエネルギーが満ちているのを感じました。
水は澄み切って静かに流れ、瑞々しい空気が心まで浄化してくれるかのようです。
周囲に立ち並ぶ木々はどれも太く立派で、圧倒的な生命力に満ち溢れ、その力強さが自然の神聖さを物語っていました。
特に印象的なのは、御廟橋まで弘法大師様が私たち一人ひとりを迎え、そして見送ってくださるという思いです。
御廟橋を渡る時、まるでその慈愛に包まれ、見守られているような安らぎを感じました。
今回は日帰りの一人旅でしたが、今度は宿坊に泊まらせていただき、夜や早朝の高野山を体験してみたいと思いました。
私は人に気を遣ってとても疲れてしまうタイプなので、基本的に1人行動が好きです。
今回は、鉄道会社の1日乗車券を使っており、途中下車が可能でした。
帰り道、南海高野線の河内長野駅で下車してみました。
高野街道の合流地点があるとのことで、見に行ってみました。
昔の人々は、歩いて高野山へ行かれたんですね・・・
そんな時代に思いを馳せながらの帰り道でした。
帰りの特急電車も、とても空いていました。
乗り心地も良く、難波駅まであっという間。とても快適な電車旅でした。
何が真実かわからない、この情報社会に生きる私たち。
時に1人で神聖な場所を訪れ、心を浄化し、内なる自分の声を聞く。
高野山という大自然の中に身を置き、心の響きをそっと感じる。
そのような贅沢な時間を過ごすことができることに感謝。
高野山、素晴らしい所でした。