ネタバレが激しすぎるRPG2リリースまでのあれこれ。その3「ロミオとジュリエット」
⚠️この記事はネタバレを含む表現が含まれます。ネタバレしたくない方は閲覧をお控えください⚠️
その3でこのタイトルを持ってきた意味は最後に回収出来たらいいなと思います。
さっそく本題にいきます。
前回「大魔王がゼータにイマゼイが宿っていることを知った時に殺して欲しいと思ってたらエモい」というような事を書いたと思います。
友達ごっこをする為にゼータとも親密な関係を築いている。という事は想像できるんですが
ゼータがあまりにも人懐っこく
友達を大事にしている子なので
いくらなんでも感情が無いと言われるシンにも
潜在的に心のひび割れに浸透していくものがあったかもしれないななんて思うんです。
ゼータもたまには保守的な発言をしたりする事はあると思うんですが基本的に
悪しきを反省する心があったり自己嫌悪する様子があったりとすごく素直でいい子なのは明白ですよね。
裏切りばかり受けてきたであろう大魔王にとっては人を信じるに値しないとは思うんですけど
もしかしたら何かきっかけで
この子だったら….って思うイベントがあったのかな。
これも私のそうであったらいいなという希望でしかないんですけど。
いや。でも、恐らく…ハッキリとは自覚してないのかなぁ…
それすら「暇つぶしで」「ゲームであり」「かろうじて自分が自分であることを保つ手段」でしか生きていけなかったんだから。
死にたくて仕方ない大魔王
絶望に駆られてどうやったら死ねるかとか
試みようとした事が無かったとは言いきれない気がして
それをたまたまゼータは止めたことがあるとかね。そういう展開すみません好きです←
私の大事な友達
死ぬなんてやめて
そんな事言わないで
ゼータからよく聞くセリフですよね。
シンとゼータが仲良くしているのも
これくらいの親密度ができたのも
流れとしては自然というか。
そういうゼータに触れていくと
自然と芽生える感情もある。それにはなかなか気付けないけど。
そしてある時ゼータにイマゼイが宿ってる事を知るシン。
予期するものは戦いしかないわけですから。
20年かけて準備する戦い
ごっこ遊びをして
愉悦を見出すだけだったはずの物に
なにか変化があったのは
イマゼイの次の器がゼータだった事がこの戦いに終止符をうつ重要な20年目になったのかな。
シンは「愉悦」「ごっこ遊び」
と思っていると書きましたが
唯一自覚できる子がいますよね。
ココは絶対に自覚してゼータと接しているはずなんです。宿ってると知った時、或いはもう少し前からゼータという人間に心の傷を優しく抱擁されてるような感覚を思い出していたら
ココのゼータへの振る舞いとか思い入れとか頷く部分が多いなぁなんて。
でもですね…この考察(というか私の希望)だと
矛盾が出てきてしまう点があって
オーウとゼータの事なんですよね。
本編ラストでも謎の発言ありましたが
「あの時私を助けてくれていれば本当の友達になれたと思うよ」
いつなのかは本編には描かれてないので…
ここだけが一生分からない。
私の考察も全然違う要素になりうる。
それはオーウがあの紫の蝶説が浮上するので
ゼータが幼い頃にはもう
オーウがゼータの中にイマゼイが宿っていると分かってたのかもしれないし
分かってたからこそレガと引き合わせて
全て筋書き通りの道筋を立ててたら
ちょっぴり怖いまである。
何のためにって言うと
やっぱそれも含めて…ただの遊びだったのか。
どちらにせよ心境の変化があったりして
最後にしようって…思ったのか。
そうしたらなんであんなにゼータを傷つける必要があったのか。
仲良くして
大事にして
それで面と向かって
殺して欲しいとお願いしたところで
ゼータは絶対に拒否するでしょう。
拒否したゼータ=イマゼイとの戦い
刃が鈍るでしょうね。
ゼータは死ぬということになってしまいます。
だからこそ
大切な人が目の前からどんどん消え、
幼き日の少年との思い出を断ち切らせ
悪魔という存在を確実に悪だと刷り込んでいく必要があったのかな。
そのままの関係じゃあ
きっとゼータは殺せないんじゃないかなぁ。
蓋を開けてみたら親友が大魔王だった
だから戦います。殺して欲しいと言っても
そんなことできないよ。って泣きじゃくったんだろうなぁ。
最後の方ではもう
ゼータは悟って覚悟決めたくらいに成長してましたね。
正義は何か。
悪は何か。
自分なりに考えて考えて悩んだでしょうね。
健気な子ですね。
最後全て終わったあとのゼータのセリフがすごく悲しいんですよね。
「人はみんな孤独」
「私も悪魔の契約をしたかもしれない」
「私やレーダくんが悪魔じゃないのもただの偶然なんだ」
最後の最後に大切な人を思うゼータのやさしい気持ちが溢れてるセリフですごく切ないです。
レーダがその後めちゃくちゃ男らしくてかっこよかったですね。
ああいう時にとても救いになる子なんだなって思いレーダに感謝しました。
さて、最後の一撃の後ですが
シンの姿に戻りましたよね。
シンはあの時、
大好きだよ。って言葉を残していました。
あれはココ・シン・オーウの
本心であって欲しい。
そう思いながら私は収録をしたのをよく覚えております。
ココが消息不明のままでいたのもココの優しさと思うし
シンが命乞いとも取れる
「もし僕の真の姿が大魔王だとしてゼータは僕を殺すのかい?」
こんな発言を投げかけるのも
最後まで無様な姿を見せていれば
決心は揺らがないと思ったんだろうな。
実は私は
こちらのテイク
1度目に別の言い方をしていました。
当初はまた別の考えがあった為だったんですが
最初は静かに死を待つようなイメージでした。
男心を学んだような気がします。
最後の一撃を奮ってる時点で
私はもうゼータは強くなっていたと思っていたのもあり安心して殺してもらえるなんて思ってた節がありまして
制作者様からは
もう少し命乞いをする感じで。と。
そこでもう1回考え直しました。
獅子は我が子を谷底から落とす。
って言ってましたからね。
そうしたら最後に見たかったのは
這い上がった瞬間で、
その瞬間に自分の最期を迎える方が
シンなりの優しさなのかなって思いました。
最後までツンツンしてんだから。全く。
オーウもまた自分は悪役をずっと演じて貫き通してると思います。
これもまた。オーウの優しさであるのかなと。
ゼータ、大好きだよ。
これだけは伝えたかったんだよね?
これは本心でいいよね。そうでありますように。
大魔王マモナも
神イマゼイに思い寄せていたとかだったら
またそれも切ないよな。
前世恋人だったのかな?
太古の昔の
そのまた昔くらいにさ。
結末は違えど
許されない恋だったって点が
なんだか、ロミオとジュリエットみたいな悲劇だなと思いましたね。
大半私のご都合考察みたいになってしまいましたが
このお話は
「正義と悪」
その裏には
「悲劇のラブストーリー」
のようなイメージも持っております。
来世邂逅を願って。
シン。お前も男だ。
立派だったと思うよ。
その4「リリース後の心境。お礼。」
で締めくくり出来ればと思います。
ではまた。