【小説考察】みつきのふぃっくしょん
こんにちは。こんばんは。もみじです。
今回は、日向坂46の平岡海月さんのブログを取り上げます。私は日向坂が大好きなのです。
4期生の平岡海月さんは、読書が好きなメンバーでかなりの文才です。平岡さんの59回ブログにて、平岡さん自身が短い小説を書いています。今回はこの作品を読んでいきたいと思います。
皆さんもご一読いただいてから、この記事を読んでいただけると幸いです。
*以下、太文字が平岡さんの文章です。
1番好きな小説をマンションの5階から落としてみたら、ページがひらひらとアンバランスな扇型を作りながら宙を羽ばたいて地面に叩き付けられた反動で文字がバラバラに散らばった。
「1番好きな小説をマンションの5階から落としてみたら」という記述から、小説は偶然手から滑り落ちてしまったのではなく、故意に落としたと言えます。なぜ主人公は、「一番好きな小説」を故意に落としたのでしょうか。
つまらない小説、嫌な思い出がある小説を外に投げ捨てるのならなんとなく理解できる気がしますが。
ページはページ数だけを残して自由帳になった。
ページ数だけは残ったというのが面白い。数字だから落ちなかったのか、それとも、原作者が考えたものでないから落ちなかったのだろうか。
好奇心からやったことで大好きな小説が空っぽになってしまい私は悲しくなったので、駆け足で外に出て転がり散らばった文字をかき集め、自由帳を拾い上げた。
ここで「一番好きな小説」を故意に落としたのは、好奇心からであると判明します。好奇心で小説を落とすとは、主人公はなかなかヤバい人ですよね(笑)。それもマンションの5階から落としていますから、罪に問われても文句は言えないですよね(笑)。
しかし、好奇心からとはいえ「小説が空っぽ」になってしまったことに対して、主人公は悲しがっています。つまり、小説を落としたら、文字が散らばってしまうということは想像していなかったといえます。
そして、主人公は散らばった文字をかき集めるんですよね。5階から小説を落としたのなら、かなりの落下速度だったと予測できますから、文字はかなり広範囲に散らばっていると想像できます。それを一人で拾い集めるのですから、かなり大変だと考えられます。
散らばった文字を並び詰めて、もう一度小説を組み直すことにした。それはそれは、神経も体力も私の全てのエネルギーを吸い取る作業だった。
もう一度小説を組み直すとは衝撃ですよね(笑)。
文字は紙の上に置くと、ここに来たかったと言わんばかりに紙にすっと馴染もうとした。
文字を置いて24時間ほどは定着しづらく、ふっと浮いたりする文字があった。「し」が1番浮きやすかった。「を」の定着は早かった。
文字を置いても24時間は定着しないということは、文字を並べている途中に、他の文字に触れってしまったり、風が吹いてしまったらもう一度並べ直さなければならないわけです。かなり大変な作業です。
『「し」が1番浮きやすかった。「を」の定着は早かった。』この記述も面白いですよね。文字によって定着する速度が違うのです。これは何かの伏線になっているのでしょうか。
見開きが完成する度に、何度も読み返して成り立っている文章に心酔した。
頻出する「が」「で」「は」などの接続に使える文字達は、後々足りない事態と遭遇しないように用心深く使った。
5年と8ヶ月かけてようやく並び終えた。
5年と8ヶ月も文字を並べ続けているのは並大抵のことではないです。主人公は凄まじい精神力の持ち主であるといえます。
本当の小説の1文目は「午後2時、庭のひまわりと太陽に挟まれるのが好きだった」からはじまる。
6年弱前に初めて並べた書き出しの言葉は「父親捜しに飽きた頃」だった。
「散らばった文字を並び詰めて、もう一度小説を組み直すことにした。」との記述から、主人公は原状回復を目指しているのかと思っていたが、そうではなかったらしいです。全く違う文章になっていますよね(笑)。元の作品に「父親捜しに飽きた頃」という文章があったのかは定かではありませんが、これを書き出しの言葉にもちいた主人公の世界観は凄まじいものがあります。
私が思うままに寄せ集めてならべ整えたら全く違う小説になることは分かっていた。6年もの時をかけて造ったものがあまりに愛おしく感じた。
それでもこの1冊を生んだ原作者は他に居るから私の作品と言うには傲慢すぎる。なぜ私の作品にならないのだろうという我儘で幼気な独占が生まれた。
作者の名前はどこにも誰の名前も付けなかった。
原作とは全く違う小説になったのにも関わらず、自分の作品とは言わないあたりに主人公の律儀さが垣間見えます。一番好きな小説ということは、その作家に対するリスペクトもあったのだと考えられます。しかし、独占したいという気持ちもあり、主人公の葛藤が見られ、作者の名前は付けなかったという判断に至ります。
どうしても最後まで使えなかった余りの文字たちを組み合わせてできた言葉は「しョートけえ木」だった。それを1番丁寧に1文字ずつゆっくり表紙に並べた。内容とは一切関係ない。
この文章で小説は終わりになります。
主人公は好奇心旺盛で、それはマンションの5階から1番好きな小説を投げ捨てるという暴挙を行ってしまうほどです。それでも、投げ捨てた小説はやはり好きなものだったのでしょう。普通なら、散らばった文字を拾い集め、それを5年8ヶ月かけ並べ直そうとは思わないはずです。それをやってしまう主人公の精神力は凄まじいものです。
しかし、完成した作品は原作とは程遠いものでした。それを自分のものにしないあたりからも、主人公の人間性が垣間見れる気がします。
しかし、主人公は本当にこのような性格なのでしょうか?
この作品で、特に気になった箇所は3つです。まず、ページ数だけはバラバラにならなかった点。2つ目は、「し」が1番浮きやすく、「を」の定着は早かったという点。3つ目になぜ「しョートけえ木」という7文字が残ったのかという点です。
主人公は精神状態がかなり不安定な状態であると、私は考えます。その原因は、「父親の失踪」です。そうでなければ、文章の書き出しに「父親捜しに飽きた頃」は出てこないはずですし、本を投げ捨てたり、約6年もかけて文字を並べないはずです。
主人公は父親は死んでしまったのではないかと思い始めます。それを思うと、自分の命をも終わらせることを考えてしまいます。つまり、し(死)というものが主人公にとっては非常に軽いものになってしまっているのです。
最後に残った「しョートけえ木」という言葉。これは父親が失踪する前日、父親と食べたものであったと考えます。たまたまこの文字が残るとは考えにくいです。主人公は意識せぬうちに、父親との最後の記憶を思い浮かべていたのです。
主人公が1番好きな小説も父親と過ごした思い出に重なる部分があったのでしょう。勝手に失踪した父親に苛立つ部分もあったでしょう。それが、1番好きな小説を投げ捨てるという行為に繋がったのだと考えられます。
小説はフィクションです。所詮人の手によって作られたものです。ページ数は小説の中で唯一の事実です。残酷かもしれないが、残るのは事実だけなのです。
おしまい。
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