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''推し疲れ''を実感した話

どうも、こう見えて映画大好きな虚無さんです。
最近はターミネーター2とシャイニングの続編にワクワクしてる次第です。


私事ですけど、11/3に「IT THE END」観てきたんですよ。映画を観るのって凄い久しぶりのことでした。

まあ月一で映画館には足を運んでいたわけですが(主にAZラジMAX)、如何せんVの沼に落ちてからは金銭面で映画にまで回らなかったんですよね。

映画を観る前の、広告だったり映画泥棒だったりが流れてる間のワクワク、スタッフロールでの高揚感と充実感。これまた久々に感じました。映画はいいものだ、と。

映画館で映画を観てる間は余計な情報が入らないのもあって、自分と映画だけの時間と空間なんですよね。




まあ、ここで本題なんですけど、僕はVTuberを追っかけた当初はチャンネル登録はしてもフォローはしない、リプも送らない、たまに覗いていくつかのツイートにいいねするだけでした。


僕にとってVTuberは非日常だったわけですね。


いつからか、Vをフォローするようになり、リプを送るようになり、ファンの方々と交流することで非日常が日常になりました。


VTuberが日常になることで、推しの周り(ファンとか)も目に入るようになりました。


それ故に、ファン同士の人間関係であったり、別のファンとのいざこざが目に見えるようになったし、推しの活動を全て追う義務感なんかも顕著になっていきました。



見る必要のない情報が目に入ると、その時はそう感じてなくても後々の''ふとした時''に「あの時は疲れてたんだな」と思わせられます。

いつの間にかストレスになってたんだと思いますね。


良くも悪くもネット社会の現代、SNSを活用しているとどうしても他人の目や行動が気になってしまいます。

応援していて純粋に楽しいという気持ちや、人の目を気にせずに推しの事が好きという心が知らず知らずのうちに薄れていたのかなって。


推しに飛ばすリプライに一喜一憂したり、他のファンの応援の仕方や方向性の違いにイライラしてみたり、もにょったり、とにかく消耗してたと思うんです。

そしてこれは僕だけじゃない、とも思います。


だって、元々は趣味じゃないですか、段々と周りが気になって自信を無くしてしまった。誰にも頼まれてないのにイベントに通うことを義務としてた。よくわからないのに病んで悲観したこともある。

でも言い方はキツいかもですけど、推しは僕の老後の生活は支えてくれないんですよ。




じゃあ推しに依存するなって言うと、そうでもなくて。


推しと一緒に成長するのがいいんじゃないかなって思いますね。

推しに負けないくらい自分のフィールドで活躍しようとかそういう話です。

推したちは表現者だったり、(例えば)野球選手だったりだったりと、新しい世界を見せてくれたり夢を与えてくれるんですよ。

推しから与えてもらえることって本当に沢山ありますから。

自分とスタンスの違うファンにイラっとすることもある。推し本人にイライラするかもしれない。そんな時は応援しなくていい。休めばいいんです。

推しがどうしようもなく好きならそれを認めてもいいんですよ。その気持ちを認めないことが1番ストレスだと思うんです。負の気持ちも認めてしまうことが消耗されない一歩だと思います。



推し事はお仕事じゃないし義務じゃない、趣味として楽しもうって改めて思いました。

だって趣味に他人なんて関係ないじゃないですか、そこにあるのは自分とその趣味だけなんだから。

もっとゆるーく、他人だけど他人じゃない不思議だけどかけがえのない関係を楽しもうねってこと




まあSNSを使ってる以上はある程度の人間関係も大事ですけどね。

VTuber本人が「〇〇さん最近リプくれないな…」なんて思ってるって思うのが推し疲れの症状(?)ですよ。

推しに「もっと軽率に休んで」なんて言うなら、疲れる前に自分が休んでみましょうって話です。






以上です。あ、これ、きっかけがITだったのが笑いどころですよ?笑ってね

みんなも映画館で映画、観よう!

2019.11.5



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きょむのーと
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