誰かのことを羨ましいと思う度、自分のことが嫌いになった。そんな”これまでの私”も含めて好きになれた30歳の誕生日
31歳になって、もうすぐ1か月が経つ。
30歳の1年を振り返るのには、まだ味わいきれていない出来事も、感情も沢山あるように感じるから。
まずは、公開できていなかった「30歳の節目」に遺した私の想いを、ここに綴ろうと思う。
普段は自分が聴いて、遺す側だけれど、自分ではそれができないから。信頼している人、ほしゆきさんにその想いを託すことにした。
2022.10.26
「私には、何もないなぁ」って思ってた。
周りにいる人たちやSNSで目に止まる人たちはいつも、自分だけの夢を持っているように見えた。「これ!」と言い切れる何かを人生の中でちゃんと見つけていて、自分で選んだその一本の道の上を、戦いながらも歩いていた。
私はその姿を見て、「かっこいいな」「私もあんなふうになれたらいいのにな」って、そう思ってはこの手の中に何もないことに心を曇らせる。
保育士になるという夢を、20代で叶えたけれど。「どうしてもなりたい」というよりは、それに勝る夢がないから……という選択に近かったように思う。子どもが好きだし、ピアノも弾ける、将来子どもを産んだ時にも活かせる。
妥協ではないけれど、周りの人たちに比べて「これしかない!これがやりたい!」と言い切れるような、大きな夢か?と問われると頷けない。仕事を通して得られるものと、自分の“好き”や性格がマッチすると思えるのが保育士だった。そんな感覚。
いつまでも自分にないものばかり数えて、コンプレックスを自分で増やして、自分でいろんな道を「私には歩けないものだ」と勝手に諦めたり、閉ざしたり。30代に足を踏み入れた今振り返ってみると、私の20代は自分の何も認めてあげられないくらいに未熟で、だからこそ自問自答をくり返しながら、悩みつづけた10年間だった。
幸せを願うことと、自己犠牲の線引き
20代の人生で得た大きな経験に、「結婚」と「離婚」がある。
この人とだったらずっと一緒に生きていける。幸せにして欲しいというよりも、私が幸せにしてあげたいと思っていたけれど、お互いに仕事があって、同じ家で暮らしていても生活の時間はバラバラ。あまりゆっくり対話をする時間もないような状況が想像していたよりも長くつづいて、彼は仕事でうまくいかないストレスを家庭内で私にぶつけることが多くなっていった。
時には手を上げられることもあったけれど、いいところも優しいところもたくさん知っているからこそ、自分にキツく当たる彼のことを嫌いになったり、恨んだりすることもできなくて。
私たちには私たちの幸せの形がある。
当時の私は本気でそう思っていたし、辛い時もあったけれど、彼との暮らしに幸せを感じていたことも本当だった。
そんな私に「本当に幸せ?」「こっちの選択もあるかもよ?」と、何度も言葉で伝え続けてくれたのが友達で、周りにいてくれる人たちがいつも私自身の幸せを、私よりも願ってくれていたから、ちゃんと向き合うことができたんだと思う。
我慢を超えて自己犠牲あり気になってしまった関係性は、長続きしない。これじゃ上手くいかないんだなってことを、思い知ったのが結婚と、離婚だった。
「この生き方、もうやーめた」
離婚が成立する前ではあったけれど、「もう帰りません」と家を出たのは28歳の誕生日。彼との別れは意味的には「卒婚」だと捉えていて、自分にとっても彼にとっても離れることが一番いい状態だと思ったし、納得もしている。
だけど、やっぱり。幸せな時間がどれだけあっても、あの時受けた言葉や暴力の記憶は今でも時々フラッシュバックしてきたり、自分の中に傷として残ってしまうものだった。
自分の中にも傷があるから、昔よりも人の気持ちに寄り添えたり、同じように悩みを抱えている人のことをもっと理解できるようになったりした。たくさんの問いと自分の答えを見つけさせてくれた。傷ついたから、得られたものもある。視点や解釈をプラスに変えることはできるけれど、結局、それにも時間とエネルギーが必要で。
自分がちゃんと幸せだと感じられる、持続可能な関係性を築いていきたいのであれば、やっぱり自己犠牲は違うのだと思う。こんなに尽くしたのに、それでも上手くいかなかった。彼との関係に区切りをつけた時に思った、「この生き方、もうやーめた」って。
「あと2年で30歳になる、その時どんな自分でありたいか?」を考えたときに、誰かのためと言いながら実際は“誰かのせい”にして、何かを我慢したり、自分の可能性ややりたいことを制限されたりするのはすごくもったいない。今の自分が好きだと言い切れる、自分の軸で何か決められる人になりたい!と強く思って、新しい2年間が始まった。
サポーターから、プレイヤーへ
人生をリセットするつもりで家を出たものの、この先どうやって生きていこう?何をして生きていこう?生活できるだけの稼ぎはあるけれど、生活のためにお金を稼ぎ続けるのは違うな、じゃあ何から始めたらいい?
当時の私は、自分のやりたいことを見つけて邁進している人たちのサポートをしたいという思いから、人生の節目に立ち会う写真会社の事務として働いていた。
昔から誰かのサポートをすることが好きだったし、喜んでもらえることで私も幸せになれる。自己犠牲までいってしまうのは違うけれど、自分のエネルギー源にはやっぱり誰かの力になりたい、という想いがあったから。
けれど、“自分が活躍することで誰かの力になっている”というカメラマンさんたちを近くで見ているうちに、その強くて純粋なエネルギーが私の中に流れ込んできて、新しい視点を与えてくれた。
私にも、プレイヤーとしてできることがあるんじゃない?
挑んでみてもいいんじゃない?
サポーターではなく、プレイヤーとして誰かの力になってみたい。
想いはある、それをどう世の中に放とうか?
環境を変えて、新しい熱量も、想いもある。だけど何から始めたらいいんだろう?と思っている時に出会ったのがオンラインキャリアスクールICOREだった。
必要なタイミングで必要な出会いが訪れるとよく言うけれど、まさに私にとってICOREはそんな存在だったと思う。具体的に何かが見えているわけでもないし、全てが新しい挑戦で不安もあったけれど、ここで変わらなかったらもう変われない。その気持ちだけ、握りしめていた。
これまで1人で自分を振り返ることはあったけれど、初めて「誰かと一緒に」人生の棚卸をしたことで、自分の人生に在った大切な想いに気付くことができた。その経験や、「一人一人に心の拠り所のある社会をつくりたい」という人生の羅針盤を手に、新しい一歩を踏み出した。
今より少し、自分の人生が好きになれたら
誰かの大きな幸せに貢献したい、なんて大それたことではなくて、今よりちょっと、生きるのがラクになって、今よりもちょっと幸せを感じられる時間ができたらいいなという思いで、インタビューサービス『corelight』は生まれた。
インタビューを通して、これまでの人生について忘れてしまっていた記憶や想いにもう一度触れられたり、自分自身の大切な想いが見えるカタチに遺ることで、いつでも立ち戻れる場所になったり。そんな時間を届けられたら、今より少し、自分の人生悪くないなって、今より少し、人生を好きになるきっかけになるんじゃないかな。
同時に、一人で生きて来たわけじゃないことにも気付けたりとか。誰かとのつながりを感じられたり、インタビューを通して、人生を振り返ってみることで見つけられるものもきっとある。
「自分にしか歩めない人生を生きている」なんて、当たり前のようで実感しにくいことを体感できることが、どれだけ「私でよかった」と思えることなのか。例え拙くても、こうして自分の人生を堂々と語れるようになった今だからこそ、「今の自分」の言葉で話すことには価値がある。そう強く感じている。
私が歩いてこれたのは、拠り所があったから
ずっと、自分には何もない、何もできないって思ってた。周りの人みたいに、具体的に叶えたい大きな夢があったわけでもなかったし、強みと言えるような経歴や職歴もなくて。
自分の好きなものややりたいことがブレずに見えていて、走り続けられる人たちの活躍をみては、「すごいなあ」「かっこいいなぁ」と思う一方で「それに比べて私は」と俯くばかりで、本当に、ないものばかりに目を向けてしまったなと思う。
「私なんて」と思うたびに「あなたにはあなたにしかないものがある」と、言葉で伝え続けてくれたのは、周りにいてくれる友達や家族だった。そして、その人たちの隣や家族、喧騒から離れた地元に帰るたびに、「何もなくてもここにいていいんだ」と心から安心できて、こうして生きているという事実だけで自分自身のことを抱きしめてあげられる気がした。
間違えても、傷ついても、不安になっても自信をなくしても、その度に戻って来れる居場所があったから、前を向いてここまで進んでこれた。自分の人生をリセットするつもりで家を出て、新しく勉強を始めて、自分と対話をしていくうちに、今までの人生で自分が何に支えられてきたのが、今の自分がどれほどたくさんの大切なものを持っているのか……ということを、ようやく、痛感した。
大切なものは、ずっとここにあった
ないものばかり数えて、外にばかり答えを求めていた私がどれほど欲張りだったのか、今ならわかる。
「何者かになりたい」「憧れの人たちみたいに自分も何かを成し遂げたい」
何も持っていないと悩み続けた20代の10年間。他者から見て評価されやすい、わかりやすい答えや自分が自分を認めてあげやすい結果ばかりを求めてきたけれど。そうやってもがいたり、探したり間違えたり、新たに見つけたりをくり返して歩いていく道のりそのものが、私なんだ。
遠回りをしたかもしれないけれど、こう思える今があるからよかったと、素直に思える。無駄なことはひとつもなかった。自分なりに歩いてきた分だけきっと、軽やかになれたから。
2022.10.26「30歳の私」
Interview, Writing:ほしゆき
photo:ayako yasui