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思い描いていた25歳とは程遠いけど、いいなと思えた。そんな私はこれからも、きっと大丈夫。【後編】

「もう25歳か、やばいな。って思うこともあったし、でもまだ25歳なんだなって未来が楽しみにもなった。そんな始まりでした」

21歳の頃に出会った”25歳の理想像”とは全然違うけれど「今の私も悪くないなって思うんだよね」と話すあかりさんは、先月26歳を迎えました。

全然大人になれてないけど、そんな人間らしい等身大の今を覚えておきたい。25歳の終わりのあかりちゃんだから話せる、彼女のLife storyを前編・後編にかけて綴ります。

▶ 前編はこちら



理想と現実のバランスを模索しはじめた2024年


━━2024年、25歳はどんな年だった?

今年は不安がありながらも自分でやってみようって思って動いてたんですよね。心が動く方に、誰かとの繋がりを求めて必死になるとかではなく、どうリアルな生活とやりたいことのバランスをとっていこう?って。

個人事業主、会社員、DANRO CHILDREN(ダンチル)にイベントの企画…。とにかくやってみることをやって、やり切った感じ。しかも、そこには孤独感があまりなかった。

これって本当に新鮮な体験だし、”今”思ったんだけど、それができたのって自分の居場所をいろんな場所につくるってことを無意識にやっていたからなのかも…。

25歳のはじめ。3月に東京に戻る時「いつでも帰っておいで」って言ってくれる人と北海道でたくさん出会えて、私にとって「人が居場所」というか、拠り所ができた実感があったんです。


━━自分の家という拠点があって、あかりちゃんが帰ることができる居場所があるから、安心していろんなところへ足を運べるようになったのかな?

そうそう!そうだと思う!誇りとまでは言わなくても、例えば今の自宅って、やっと手に入れた大好きな空間で。自分のベットがあって、帰れる場所があるって結構大事なんだなって思った。

安心できたから「今、なにがしたいんだろう?」「これからどうしていきたいんだろう?」って、ストレッチゾーンを行ったり来たり出来たんだと思う。(その前に今までの疲れが出て、一回全部手放したくなって北海道へ行ったんだけど)

ダンチルも、選択肢を広げてくれたひとつだったな。


readyの終わり / 一人は大変だけど、楽だった。でも…


ずっとあったんだと思います。やりたいことは。自分が誰かにとってのハブになりたいなって思ってたし、自分の出会ってきた信頼できる人を、今その出会いを必要とする人に繋げたりとかしたいなって。でも、言ってこなかったんですよね。

誰かがやるのにのっかることはあったけど、言い出しっぺになって「やろうよ!」って言えるようになったのは、ここ一ヶ月の出来事で。

ダンチルツアー最後の沖縄で、和花さん、NOAさんやメンバーのみんなと円卓を囲んで話してた時に、めちゃくちゃ自分って脆いな、子どもだなって思う瞬間があって。まだまだいろんなことに反応しちゃうし、感情ベースになってその自分に目を向けられない時間もあるなって思ったんです。


━━未熟さを認めたくないような感覚…?

そうそう。今までは強がって生きていたいと思っていたし「変わんなくてもいいもん。これでいいもん」って感じだったけど、「強くなりたい」って、上手く伝えられないけどそう思うようになって。

ダンチルを通して、自分のことを弱いって言える人の強さとか、シンプルに素敵だな、いいなぁって思う人が周りにいて。みんなちゃんと各々に自分の時間を生きながら、重なる時間を心地よく過ごしてる。自分と他者との境目をちゃんと感じてるからこそ心地良いっていう感覚が、ようやく最近分かったなって。

私は今までその境目が曖昧だったから、必要以上に共感したり、感情が揺れ動いてしんどいなって思うことが多かった。だけど、感情を俯瞰する自分がちゃんといて、人と混じり合うことも、合えないこともあるんだって体感で分かって、不安定な揺らぎ方が少なくなって。

だから”誰かと一緒になにか創りたいな”って思えるようになった。

ダンチルツアー最後の開催地、沖縄にて


前は一人の方が早いし、楽。その方が好きにできるって思ってたけど、今はそう思わなくなったかな。他者に委ねることができるようになって気付いたのは、そのほうが楽で、楽しいなって。


━━あかりちゃんの話、まるで絵具みたいだね。めちゃくちゃに描くと色が混ざって黒になるけれど、ちゃんと眺めながら塗っていくと、重なる部分は新しい色になって一つの絵になる。むしろ、いろんな色が加わることでそれぞれの色が引き立って、より綺麗になるような。それを楽しんでるみたい。

美術館で見た、ポール・シニャック 《サン=トロペの港》
まるで点描のように、ひとつひとつの色が合わさって一枚の絵(私の人生)になる。

そうだと思う!さっちゃん(友人)にも「あかりんは真っ白になったキャンパスに、ひとつひとつ色を塗っていって欲しい」って言われて、すごくしっくりしたし、今年はそんな年にしたいなって思ったんですよね。心地良い色をのせていけるようにもなって。

前は「それ、もうできるよ」って言われても「またまた~」って斜に構えてたけど、DANROスクールのまなさん(メンター)に「どんどん叶っていくと思いますよ」って言われた時、素直にそうだなって思えて。捉え方が変わったというか、ready(準備期間)が終わったから自然にそう思えるようになったんだなって。

周りの人の熱にしっかりあやかりながら、対話を諦めないって姿勢を大事にしてたら、ちゃんと自分の想いを起点に動けてた一年だったなって思う。

これから何をするか、どこにいるかも分かんないんだけど、とりあえず今できた心の安定は揺らがないんじゃないかな。そう思えるのは、これまでの25年間の積み重ねてきたものが「もう大丈夫だ」と思わせてくれたから


「人生って、自分じゃどうしようもないことだらけだから」


━━総じて、25歳はどうだった?

本当、良い一年だった。ちゃんと自分の熱を持って走ることを体感したし、よく走り切ったね!って思ってます(笑)

私にとって12月って誕生日でもあり、大切な節目の月でもあるんだけど、24歳の終わりは「北海道は、絶対良い時間になる」って確信はあったけど、どうなるか分からないドキドキもあって。

2023年11月、DANRO忘年会で「いい12月をむかえるよ!」のメッセージとキタキツネを描いていた(左側3枚目)


一年経った25歳の終わりには、「いつかできたらいいな」を声に出し始められるようになってました。

こんな方法でつくっていけばいいんだとか、この人とやりたいなってアイデアが湧いて来たり。2025年は2月に北海道でツアーをやろうって話をしてたり、これから滋賀のフリースクールとのつながりもできそうで、楽しみなんです。

もちろん、日々自炊もできないくらい仕事で頭が一杯になったり、まだまだリアルな生活とやりたいことのバランスは模索している最中なんですけど。この一年はその時々でちゃんと立ち止まりながら、なんだかんだやってきたなって思えますね。


━━自分が想い描いた25歳とは違うけど、悪くないと思える25歳だったんだね?

そうね、悪くないなって思ったし、いいじゃんって思えてます。それに、憧れてる人はいるけど、私がそうなるんじゃなくて自分の生き方のスタイルが、これからもっと濃く構築されいくんだろうなって感じてます。

常に家族のことを考えることはなくなったし「一旦これで置いておこう」っていろんなことに区切りをつけられるようになった。

今は、訳も分からずジタバタしてるっていうよりも、言いながらちゃんと楽しもうって思えてる。うん、成長したね!

━━先が見えないという状況は同じだけど、未来に対しての好奇心が増してると感じるのは、信頼できる人との出会いや安心できる居場所がちゃんとあるからなんだろうね。自分が大切にしたいものを、一緒に大切にしてくれる人と繋がる環境に身を置けた。それはあかりちゃんのすごいところだと思うよ。

ね。嬉しいなって思うし、幸せだなって思う。26歳はね、「無責任感」がひとつのキーワードなんですけど。

だって、全部が自分のせいじゃないから。できないこともやっていきたいけど、何もかもが自分の力でどうにかなるって思っている方が傲慢だなって思うし、むしろそれでも「これは譲れない」とか「ここだけは守りたい」って思ってるものの方が大事で。

それだけは手放したくないものを、むしろそこだけ守れたらいいなって思えたから、今みたいに自由になったんだと思う。

そう思えるのも、家があって、働ける職場があるから。それがなくなった途端、きっと思考は変わるし、生活のためだけに生きようとしちゃうから。今の会社員+やりたいことのスタイルは、あと一年くらい続くかなとは思ってます。


━━それができるのも「これじゃなきゃ無理!」ではなく、自分が今の道を選んでいるっていう自覚がちゃんとあるから。生き方のスタイルを変える時は「道を訪ねる感覚」で聞ける人が、今のあかりちゃんには沢山いるね。

本当にそうだと思います。知らないことを自分だけでどうにかしようって思わなくなった。それが楽だもん。それに、ちゃんと自分の歩んできた道が、誰かの何かになるって思えているから。

25歳。よく頑張ったし、良いエネルギーの使い方をしたなって思う。消耗じゃなかったなって。いろんな人の熱(想いやエネルギー)にちゃんと当たって「あったかいね」って言いながらここまでこれた。

これからのことはまだ分からないけど、でも、大丈夫って思います。


あとがき / あかりちゃんへ


インタビューの時間、気付けば1時間半。あかりちゃんは突然「あー!よく喋った!」と終わり掛けに緩んだ笑顔でそう言葉を漏らした。泣きそうになった。

自分の家は好きだと話す一方で、26歳のはじまりは滋賀で過ごすと話すあかりちゃん。八雲に滞在中、日記に「帰らない選択を取れたら、どんなに幸せだろう」と書き綴りながらも、自分が帰る場所があるという安心感は、今のあかりちゃんが自分らしく生きるために必要な場所のひとつなんだと思う。

「対極に触れたから、今の自分になれた。気持ちに完全に蓋をする時期と、解放する時期と。それがあったから、中庸(極端に走らず、調和のとれた中間の立ち位置。軸)が分かるというか」

自分との対話を通して、そして関わる人との対話を通して、”話す(自覚する)=切り放す(よりよく知る)=手放す(必要なものと、本当に大切なものだけを選ぶ)こと”ができるようになっていったんだろうな。その渦中の大変さは人それぞれだけれど、少なくとも「今の自分が愛おしい」そう思えるまで向き合い続けたことは、決して容易なことではないと思う。

26歳。どんな道を歩んだとしても、あかりちゃんは自分を幸せにできるし、幸せになる選択をすると思う。そんなあなたと出会えた人生で、私もすごく幸せだよ。生まれてきてくれて、大切な節目に立ち会わせてくれてありがとう!あなたの人生が、これを読む誰かの人生を照らす光でありますように。  
 2024/12/21 ( 取材・文:廣田 彩乃 写真:yasui ayako  )

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廣田彩乃/心を温めるインタビュアー
一人一人にその人にしか語れない人生がある。いろんな人の人生や想いを遺すことで、誰かの人生が誰かの勇気や励みになる。その活動に活かさせていただきます🕊