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思い描いていた25歳とは程遠いけど、いいなと思えた。そんな私はこれからも、きっと大丈夫。【前編】
「もう25歳か、やばいな。って思うこともあったし、でもまだ25歳なんだなって未来が楽しみにもなった。そんな始まりでした」
21歳の頃に出会った”25歳の理想像”とは全然違うけれど「今の私も悪くないなって思うんだよね」と話すあかりさんは、先月26歳を迎えました。
大学卒業と同時に、帰る家が突然なくなる経験をし、自分で生きていくしかないという責任感を抱えながら生きてきた20代。
「ちゃんと苦しかったし、しんどかったけど、悪くないなって思えるのは出会った人のおかげなんです」と誕生日の節目に話すあかりさんは、私が初めて出会った1年半前よりも柔らかい表情で、良い意味で子どもみたいなあどけなさのある笑顔をしていました。
全然大人になれてないけど、そんな人間らしい等身大の今を覚えておきたい。25歳の終わりのあかりちゃんだから話せる、彼女のLife storyを前編・後編にかけて綴ります。
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24歳と25歳の狭間/生きることに必死だった
━━1年前の今日、25歳の始まりはどこにいたの?
北海道にいました。11月から3ヶ月間、人生で初めて訪れる場所に。この24歳の終わりと25歳の始まりを過ごした北海道での時間は、今の私にとってもものすごく大事なものになったんです。
実は私、大学卒業と同時に家がなくなって。住民票もないし健康保険証もない。全部ないから、漫画喫茶とか友達の家、大学教授の家に住まわせてもらう生活を半年間くらいしてて。友達の家に住民票を置いて就職したり、生きることに必死だった時期があったんです。
だから、東京の家を自分の名前で契約できた時は「やっと安心して寝れる自分の場所ができた!」って本当に嬉しくって。ようやく手に入れられた家は維持するのも大変だったけど、好きなものに囲まれる安心感とか、心地良さはめちゃくちゃあって。
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ただ、お家の契約が1年半経つ頃に「このまま東京に住んでる未来は想像できないな」って思ったんですよね。
いつかはもっと自然のある場所に住むんだろうなって思った時に、本当に必死だった今の生活から一回出たくなったんです。何かしたいというより、今じゃない生活がしたいって気持ちが強くなった。それが24歳の後半、2023年の5月くらい。
ちょうどその頃に、HIROさんに依頼して月に一回コーチングを受けていて。同じ時期にHIROさんからの紹介でDANRO HOMEというコミュニティにも出会って、対話を通して自分の気持ちに向き合っていったんです。
そのなかで「自由に動きたい」っていう自分の想いに気付いた時に、ちょうど当時の職場と働き方が合わないなって思うことが重なって「辞めよう」って退職することにして。
━━仕事を手放したタイミングに、北海道へ?
そうなんです。ずっと見たかったキタキツネを見に北海道に行こうって決めました(笑)
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大きな目的とかではなく、雪の中にいるキタキツネが見たい。本当にそれだけの理由だったから、3ヶ月もいるつもりなんてなかったんですよね。(でも、噂では”そこらじゅうにいるよ”って聞いてたのに、滞在中に見れたのは1匹だけ!全然会えなかったの!噂と違うじゃんって思いました(笑))
今とは違う生活を求めて、人生初めての北海道へ
北海道に初上陸したのは、11月後半。まずは八雲に2週間、WWOOF(ウーフー/食事や宿泊場所など無償で受ける代わりに働く、農業ボランティア)で滞在しました。
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北海道の滞在スケジュール
2023年11月後半:八雲(WWOOFにて2週間)
長期滞在を視野に、一度東京へ。
12月中旬~下旬:札幌、函館、木古内を巡り森町へ滞在
2024年1月~2月末:登別へ滞在(リゾートバイトで2ヶ月滞在)
3月1日のフライトで東京へ戻る。
━━北海道での滞在はどうだった?
楽しかった!特に茂里町で泊まらせてもらっていた時間は、ものすごく贅沢だったなぁ。その家の住人、けんちゃんとの出逢いは11月の八雲滞在中。
ぺコレラ(廃校をリノベーションした学び舎)で開催されたイベントをきっかけに、共通の友人のまさやんを通して知り合って。(このイベントで、後にダンチルともコラボしてくれた方とも出逢うことができて、本当に良い時間でした)
2、3時間しか話したことがないほぼ初対面の人間なのに、北海道に戻ろうって決めた12月上旬、「泊まっていいですか?」って連絡したら「いいよ」って言ってくれて(笑)
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会社を経営されてて、しかも12月の年末の時期で忙しい合間にも関わらず、美味しいごはん屋さんや温泉に連れて行ってくれたり、時間がある時は一緒に過ごして、夜も紅茶を淹れてロウソクをつけて対話したり。
とにかくまったり、のんびりさせてもらって、そこで過ごす時間が心地良くて。それを予感していたのか、初日、森町へ向かう車のなかで「(一週間泊めてって言ったけど)二週間泊めて欲しい」って言いました(笑)
━━彼の反応は?
驚いてはいたけど、いいよって(笑)断られたらどうしようって、その可能性もあり得たけど伝えてましたね。でも、ほぼ初対面の人に自分のお願いを伝えられたのは今までなかったし、すでに関係性のある”特定の人じゃない誰か”に自分のことをさらけ出すようになり始めたのが、ちょうどこの25歳の始まりだったと思います。
SOSとは違う「自分の願い」を人に伝えられた体験
それまでは「自分でなんとかしなきゃ」って一人で頑張ってきた感覚がすごくあって。もちろん友人とか教授とか、助けてくれる人はいて、ずっと一人ではないけれど”結局は自分でどうにかするしかない”とは思ってたんです。それをいろんな人に委ね始めたのが、この北海道の期間だった。
「助けて!」ってニュアンスでしかお願いできなかったのが、自分がピンチじゃないのに「こうしたいんだよね」っていうお願いができたんですよね。
生きることに必死じゃなくて、この”今の時間”を楽しみだした感覚があったのかな。だから「泊まっていいよ。やっていいよ」って言われたことが嬉しくって。
━━なんだか「生きていくため」だった今までから、「より良く生きていくため」というあかりちゃんの”願いの質感”が変わったのかなって感じるな。
そうだね、そう思う。きっかけはなんだったんだろう…。でも、自分で家を契約して生活できるようになった自信もあったと思う。それでも精神的に不安定だった時に、HIROさんとのコーチングやDANROの人との対話する時間、一人の時間とみんなとの時間があったことは私にとって大きかったかな。
DANROで出会ったゆいさんや渋谷さんや皆さん…入るまで誰も知らない環境で「こんなにも自分のことを話せるんだ」って感覚も面白かったし、日常のなかで頑張らなくてもいい時間ができ始めたきっかけにもなって。
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あと、HIROさんがセッション期間中、コーチングじゃない時間に「この歌聞いてたらあかりちゃんが思い浮かんだから、シェアするね」って Harry Styles の Matilda って曲を送ってくれたことがあって。私にとって、この出来事がすごく衝撃的だったんですよ。
コーチングを受けている時間じゃないところで思い出してくれる人がいて、誰かのなかに自分が生きてるんだ、みたいな。連絡をもらって私、LINEを読んで泣いて。
HIROさんって、コーチングでもめちゃめちゃ待ってくれるんです。自分の想いが言葉になるのを、ただ待ってくれる。そんな人がいてくれたことも支えになってたなと思うし、HIROさんの存在に救われていました。
いろんな生き方を知ることが、どんな境遇の自分でも悪くないと思えたきっかけだった
━━HIROさんとはどんな出会いだったのか、聞いてもいい?
大学生の頃、私が connect & fiow のソーシャル留学にインターンとして一年以上関わっていた時があって。そこでお世話になっていた流田和輝さんの仲の良い人がHIROさんだったんです。学生時代は一度お会いしただけだったんですけど、初めて会った時、HIROさんの人とのコミュニケーションの取り方がすごくいいなって思って。
HIROさんとの出会いも、和輝さんとの出会いもそう。私は、いろんな生き方に触れることが、そのまま自分の選択肢にもなると思っていているし、それに救われてきた。
私が学生だった当時、和輝さんは家を持たないという選択をしていたんですよね。だから、家がなくなった時「やばい、どうしよう!」っていうよりも「これは和輝さんに連絡だ」って思って、健康保険証って大事ですか?って聞いたりしてたんです(笑)
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太い道があるとするじゃないですか。「これが正解」みたいな。そこからどうしようもない理由で外れてしまった時、自分の意志と違うとしんどいんだけど、それでもちょっと楽しめたというか、落ちきらなかったのって「私のいる今の道を、自ら望んで選んでる人がいる」って知ってたから。そう思うと、悲観する状況が「やばくないかも」と思えたりして。
もし、そういう人との繋がりがなかったり知らなかったら、きっと今の私はいなくて。だから、いろんな生き方があることを自分もまだまだ知りたいし、周りの人にも「知って行こうよ!」っていうテンションというよりも、自然に感じられる距離感にあればなって思うんです。
ちょっと話が脱線するんですけど。HIROさんのコーチングを受ける前、同じ年(2023年)の3月にインドのヒンドゥー教の聖地、バラナシに一人で一週間くらい行ったんですよね。大学生の時、noteか何かの記事で「全てが嫌になったら、みんなガンジス川に来ればいいのに」って文を読んでからずっと行きたくって。
そこにいる時の自分が、日本にいる時の自分と違うなって思って。
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インド人が何言ってるか分からないから、その土地で出会った人とどうにか過ごすしかないし、何もないから「何も守らなくていい」というか。それに、目の前に映るもの全部がすごく綺麗で、美しく見えた。
その頃って、施設勤務していてコロナ患者の対応に追われて疲れていた時で。全然休みが取れなくって、ようやく一週間休みができて行ったインドで「自分が生きたいように生きよう」って感じて。
じゃあ、それをどう叶えよう?って考えた時「いや、分かんない」ってなって、HIROさんに連絡を取ったんです。
━━理想を現実にするための方法を模索し始めたのは、遡ると2023年が始まりだったんだね。
そうかも。2023年はジタバタしてた。「どう動いたらいいか分からない!どうにかして!」甘えられる人全員に甘えたいって思ってました(笑)
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後編へ続く
(取材・文:廣田 彩乃 撮影:ayako yasui )
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