すべての季節が出会いと別れの季節だから。
秋はお別れの季節なのでしょうか。
先日、フォローしていた方が亡くなられました。
とても優しくて、明るくポジティブで、
noteの中でほんの少しお話をさせていただく
そんな程度ではありましたが、とっても素敵な方でした。
たしかその方がフォローしてくださったのは、
わたしがnoteを始めてから、
まだ2ヶ月も経たない頃だったかと思います。
仲良くしてくださっていたその方は
(と言っても人生の大先輩です)
去年の冬から、病気の治療のため
しばらくnoteを離れますがまた戻ってまいります
とおっしゃって、noteをお休みされていました。
治療が順調に進んでおられますように、
もしかしたらもうすぐ帰って来られるかも、
そう、日々思っていました。
そして先日、いつも通りnoteを開くと
突然記事が更新されていて、
わあ!おかえりなさい!
そんな気持ちで記事を読み始めると
それはご家族の方が更新されたもので、
闘病の末に亡くなられた、という内容でした。
これまでnoteでは、
出会いも別れもたくさんありました。
前日までコメント欄などでお話ししていた方が
翌日に忽然といなくなっている、
アカウントごと消えてなくなってしまっている、
ということも何度もありました。
ですが、亡くなられたことを知るのは初めてでした。
声も言葉も出ない中、ここnoteという
言葉や想いを何かの形にする場所に、
これまでの感謝の気持ちと、
寂しいですという気持ちをきちんと言葉にして
残しておきたいと思い、コメントを書きました。
◆
「出会いがあれば別れがある」
というのは当たり前のことで、
わたしも、これまで生きてきた中で
様々な出会いと別れがありました。
恋愛、友人、仕事やそのほか、
あらゆる出会いと別れ。
例えばそれが一瞬の縁でも、
ご縁のひとつには変わりない。
そしてわたしは、色んなことを経験してから、
現実の生活の中では、「去る者は追わず」を
心の軸のひとつに置くようになりました。
相手が去った場合も、自分から去った場合も、
ただ疎遠になることも、穏やかな別れに壮絶な別れも。
例えそれがどんな最後であれ、
自分から去っていく者は追わない、
それが良い関係を築けた相手であれば、
どうかどこかでしあわせにと願うだけ。
嫌いな人なら、勉強になりました、
どうかタンスの角に足の小指をぶつけてください、
くらいの気持ちが多かったかもしれないけれど、
拳を握りしめ唇を噛み締め、
恨んだことだって一度や二度ではなかったはず。
だけど、例えどんな出会いでも別れでも、
生きる日々の中において、必ずあるものだから。
◆
話を戻して、
その方が亡くなられたということを
知ってから数日後、noteを開くと、
自分のフォロー数が減っていました。
もしかしてその方が(ご家族が)
アカウントを削除されたのかなと思い
見てみると、違いました。
別の方のアカウントがなくなっていました。
例えば日頃、自分がフォローしている
どなたかの記事が更新されていないとき、
お忙しいのかもしれないな、とか、
季節の変わり目に体調を崩されているのかな、
そんなふうに思います。
だけどそのまま、今回のように、
二度とお目にかかれないこともあります。
今回そうなってしまったその方は、
以前わたしに
「いろさんの記事を読むことが毎日の楽しみになっています」
とおっしゃってくださった方でした。
そのときはとても嬉しくて、記事にも書きました。
生きていると、
日々、出会いも別れもたくさんあります。
大きい出会いも小さい出会いも、
大きい別れも小さい別れも。
日常生活の中でも、ここnoteでももちろん。
亡くなられた方には、
お疲れさまでした、痛みや苦しみから解放されて、
お空の上からどうぞご家族を見守られてくださいね
と心の中でお話ししました。
伝わっていると信じて。
そして、電車から降りてしまわれた方には、
毎日記事を読むことを楽しみにしていると
そんなふうにおっしゃっていただけたこと、
短い間でしたが、素敵な出会いをいただけたこと
ありがとうございました、と感謝の気持ちで、
もう見えない後ろ姿を見送りました。
春は出会いと別れの季節だと言いますが、
歳を重ねて思います、
「人生はいつも、出会いと別れの季節です」
わたしはこの記事で何を伝えたいのか
記事を書きながらそう考えていたのですが
1番伝えたいことや今の気持ちを、
たったひとことで言い表せることに気がつきました。
フォローしてくださっている方、
今ここでこの記事を読んでくださった方、
この一瞬でも、
「わたしと出会ってくださってありがとう。」
それではこの辺で。
今日も1日おつかれさまでした。
最後まで読んでくださってありがとう。
また気が向いたら、来てくださいね。