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ism(イズム)を継ぐ

伊豆に住むようになって、こちらでも親戚のおじいじゃん、おばあちゃんと関わる機会が増えた。

私は子どもの頃も現在も、環境は似たような田舎だったので、近い距離に優しくしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんはたくさんいる状況には慣れているが、

子育てをするようになって、この環境の良さは子どもにも良い影響があるなぁと、改めて感謝する気持ちだ。

おじいちゃん、おばあちゃんと関わっていて、いつもびっくりすることがある。それは、みんながそれぞれ、実はとんでもねぇ特技を隠し持っていることだ。

ある親戚のおばあちゃんは、旦那さんはもう亡くなっているけど元漁師さんだった。だから、おばあちゃんも結構な歳だけど、出刃包丁を持たせたらビビる速さで魚を捌く。そんなに力があるように思えないけれど、コツを体が覚えているのだろう。

別のおばあちゃんは野菜作りの達人で。よく野菜を分けてくれるけれど、こんな美味しい野菜があるのかってビックリするぐらい美味しい。

すでに亡くなったけど、私の祖父母もそうだった。おじいちゃんは鮎釣り名人で、山菜採り名人だったし、おばあちゃんは柏餅作りの達人だった。

出会う人、出会う人、挙げたらきりがないぐらい、みんななんかしらの達人。

ただ、共通するのは本人は「すごいと思っていない」という点。

そう、ここが重要で、つまりこの素晴らしい特技は誰かに継ぐ気がない(継ぐほどのものだと気付いていない)ので、「放っておくと消えてしまう」ということだ。

おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったら途絶える。そういうことです。

私は自分の祖父母に対して、気付くのが遅かったと思う。私が今、「あーばあちゃんの柏餅、めちゃくちゃ美味しかったな」と思っても、市販の柏餅は食べられても、「ばーちゃんのあの味」は2度と食べることができないし、「じーちゃんの釣った鮎、美味しかったな」と思っても、もう2度と食べられない。

だからちゃんと、「やり方、教えて」とこちらから言って、受け継げるものは継いだほうがいいんだなって。

少し前の自分は、それって相手に失礼じゃないかと思っていた。なんか「もうすぐ死ぬ」って予測して行動しているような気がして。

でもこのあいだ、実際に「教えて」と言ったとき、親せきのおばあちゃん、すごくうれしそうだったから、やっぱり聞いた方がいいなと思った。

「〇〇ism(イズム)」という言葉があるけれど、具体的な特技だけじゃなくて、色んな知恵や考え方、もっと大きく言えば「生き様」とか「ポリシー」みたいなものも、おじいちゃん、おばあちゃんは言わないだけで実は持っている。

おじいちゃん、おばあちゃんが苦労と経験をしわに刻んで、笑い話にして、「たいしたことねぇ」って言いながら、とんでもねぇことをやっちゃう感じが私はすごく好きで。

こんなふうに歳を取りたいと思いながら、真似したくなるイズムの持ち主に出会ったら、脳内にメモするようにしている。

どこかで、人間は2度死ぬと聞いた。

1度目は、実際に亡くなるとき。
2度目は、生きている人みんなの記憶から消えるとき。

私がいるうちは2度目の死が来ないように。
色んな人の「イズム」を継いでおきたいと思う。

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