馬鹿と天才は紙一重 ~新しい天才の目指し方~
「馬鹿と天才は紙一重」という有名なことわざがある。
今日はこのことわざについて考察したい。
どれぐらい馬鹿で、どれぐらい天才か、ということを「なにか」で表現してみることを考える。
数直線だとどうだろう?
馬鹿であることを0として、どれぐらい頭が良くなっていったかという度合いを数直線で表すとする。
すると、100、200、300……
馬鹿から天才に向かって、数値はどんどん、どんどん、離れていく。
仮に「馬鹿と天才は紙一重」が本当であるなら、馬鹿と天才がどんどん離れていく数直線で表現することは間違っていることになる。
では、なにで表せばいいか?
そう。私は思ったのです。
「馬鹿と天才は紙一重」であるなら、それは「円」で表現できると。
時計を想像してほしい。
馬鹿を0として、1時の位置、2時の位置……と円を描くように天才に向かって数値が増えていく。とても天才なのは11時台を指しているとき。
でも、0時を過ぎて通り越すと、その瞬間、馬鹿の位置に戻っている。
これなら、説明できると思いませんか。
つまり馬鹿と天才の「紙一重」ポイントは、0時のちょい前か、ちょい後か。
ちょい前なら、超天才。
ちょい後なら、超馬鹿。
さて。
先日、我が家でこんな出来事がありました。
息子が茶色い毛布をくるっと巻いて、ゲラゲラ笑いながら「特大巻う〇こ!」と、私と娘達(息子の双子の姉)に見せてきたのです。
ここで「よしなさい」と言うべき場面でしたが、私と娘達は、何を血迷ったか「それは全然、美しい巻う〇こじゃない!」と言いました。
そしてそこから、何を血迷ったか「誰が一番美しい巻う〇こを作れるか選手権」が始まってしまったのです。
超くだらないことを、本気で。
さて、すると何が起きたか?
美しい巻う〇こ作りを全力で選手権した結果、
「黄金比って知ってる?」
なんと急に超まじめな話題に飛び、スマホで黄金比について調べ始めたのです。
目的はもちろん、究極に美しい巻う〇こを作るためですが(笑)
伝わりますでしょうか。
これって0時のポイントを反時計回りにまたいだ瞬間じゃないですか??
まさに「馬鹿と天才は紙一重」的な状況じゃないかと、このとき私は思ったのです。
この状況でそんなことを考えている私の頭も、なかなかの「馬鹿と天才は紙一重」ですが。
この出来事から分かるのは、もしも「馬鹿と天才は紙一重」が円になっているという仮説が正しいのなら、新しい天才の目指し方があるということです。
そう。頭を良くしよう、良くしよう、と時計回りに進むんじゃなくて。
実は反時計回りをした方が天才に近道かもしれないという可能性。
今、自分がいる地点が3時の位置なら、天才を目指すなら時計回りより反時計回りの方が近い!
それが「新しい天才の目指し方」である、というのが、この話のオチです。
私が思うのは、超~くだらないことをしようと思ったら、何にもすることがないぐらい「暇すぎる時間」を与えなければならないのではないかと。
大人も子どもも、いいアイデア、おもしろい発想は、「やらなければならないこと」で1日がキツキツに埋まっているスケジュールからは生まれないのかもしれません。これは自戒も込めて。
「暇すぎる時間」
確保するのは難しいけど、案外、天才的な発想の近道なのかもしれませんね。