懺悔
入院する為一人病院に向かった私。
最初に別室に通されて看護師さんから中絶の最終確認があった。
処置を始めてしまえばもう後戻りはできないから…看護師さんは何かを察していたのかも知れない。
本当は嫌だった。中絶なんてしたくない。だけど夫が望んでいない。
望まれていない子供を産んで、幸せに暮らせるのだろうか。
もしかしたら、実際生まれてきた子を見たら変わるかも知れない。
だけどもし夫が言った通り本当に仕事を辞めてしまったり、妊娠を継続する事によって自分や子供に関する費用を本当に1円も出してくれなかったら…?
夫に言われた酷い言葉の数々を思い出して、悲しくて泣いた。
だけど、本当の事は言えなかった。もしここで本当の事を言えていたら、保護して貰える機関に繋げて貰えたり、結果的に諦める選択をしなくても済んだかも知れない。
子宮の入り口を広げる処置は、痛くて泣いた。
部屋は、自分の他に誰かいた記憶がないから個室だったのだと思う。
生理痛みたいに下腹部がズキズキ痛み、詰め物の違和感も酷く、黙っていても痛みを感じた。
夜も痛みで眠る事ができず、静かだからこそ色々考えてしまってこれから自分がする事への罪悪感にずっと泣いていた。
そんな中、本当はこの日会う事になっていた友人から体調を心配するメールが届き、何気ないやり取りに心癒されながらも、「風邪を引いて熱が出た」なんて適当な嘘をついてキャンセルした事に罪悪感を抱いた。
友人も寝る時間となってメールのやり取りが終わってしまい、また1人で痛みに耐える時間がやってきた。
深夜をまわっていよいよ耐えられなくなった私は、ナースコールを押して痛み止めを貰う事に。
この、痛み止めを飲む事すらも、これから命を奪われる子供の事を考えたら申し訳なくて、この程度の痛みも耐えられない自分が情けなくて泣いた。
そして迎えた手術の時。室内には、ドラマでの手術シーンで見るような、丸いライトがいくつもついた大きなライトがあった。
無機質な感じが何だか怖かった。
「記憶が曖昧になるお薬入れますね」と言われた瞬間、頭がぼんやりしてきた。
意識があったのかどうかはわからない。目を閉じているのか開いているのかもわからない。私の視界はあの強力なライトの明かりのせいなのか真っ白だった。
処置中痛みは感じなかったが、引っ張られるような感覚があったり、カチャカチャと器具を扱う音が聞こえていた。
今まさに、子供が…そう思うと涙が溢れ、急に苦しくなった。
子供は私の勝手な理由で命を奪われるのに、私はのうのうと生きるのか。
何で私は生きなきゃいけないのか。
私も一緒に死ぬべきではないか。
私の事も殺して下さい。
子供と一緒に、私の事も殺してください。
お願いします、ごめんなさい、お願いします…
私も死にたい、子供と一緒に、お願いします、お願いします…
泣いて懇願したが、医師も、近くにいるはずの看護師も、誰も何も言わなかった。
真っ白で静かな部屋で、ただただ、自分の事も殺して欲しいと泣いて訴える自分の声と、器具を扱う冷たい音だけが響いていた。
誰かがそっと、私の手を握ってくれたような気がした。
目が覚めると別室にいて、傍には夫がいた。
目が合うと、涙を浮かべて「ごめん…」と謝ってきた。
私が入院した日、夫は遅番だったので帰ってきたのは深夜のはず…いつもなら寝ている時間なのに来てくれたのか。
手を握ってくれた気がしたのは、夫だったのかな。けど、手術中だったよな…もしかしてあれはリアルな夢だったのか。
術後は特に異常がなかったので、この後の過ごし方についての説明を受け、術後の経過観察の為の予約を取って病院を出た。
自転車は夫が押してくれて、ゆっくり歩く。
ぽつりぽつりと、夫が謝罪の言葉を並べる。
妊娠がわかった時、私はエコー写真を貼ってその時の気持ちを忘れないようメッセージを添えたアルバムをコソコソと作っていた。
夫に見られるのは何となく恥ずかしかったので隠していたのだけど、どうして見つかったのかわからないが夫はそれを見たらしい。
それを見た事で私の子供への思いや夫への思いを知り、なんか色々言っていたが何を言われた所で失った子供は二度と帰ってこない。
私はそれをぼんやり聞いていて「決めたのは私だから、気にしなくていいよ」とだけ言った。
日中の町中を歩いているはずなのに、周囲がやけに静かに感じた。
それから暫くの間、夫はとても優しかった。
妊娠中は家事が出来ていないと3食昼寝付きのダラけた生活をしているなんて言っていた癖に、中絶後は家事が出来なくても何も言わなかった。
元々料理をする人ではあったが、休みの日は私の為に食事を作り、家に籠ってばかりいるのも体に悪いからと裏手の海岸を一緒に散歩したり、車を持っていなかったのでプチ旅行みたいな感じでJRで隣町まで遊びに行ったりした。
そうした日々を送っているうちに、私はすっかり夫との関係が元に戻ったような気になって
「考えてみればお互いに望んだ上での妊娠じゃなかったから、夫はきっと心の準備が出来ていなかったんだ」
「自分一人の収入で私と子供を養っていくのは金銭面でも不安があるだろうし…」
「今回は予定外だったから諦めざるを得なかったんだ。今度は夫と話し合って計画的に妊娠すればいい」
「金銭的な不安を埋める為にも私も仕事を始めよう。そしたらきっと次は大丈夫」
こんな風に考えるようになり、「私達の間に子供はまだ早かったのだから、このような結果になったのは仕方ない」と、自分に言い聞かせた。