望まれていなかった子供
前回のお話しは▶コチラ◀から
子供が出来た喜びを夫と分かち合えたと思っていた私。
だけど実際喜んでいたのは私だけで、夫の本音は違っていた事に気付く事なく過ごしていた。
私は専業主婦だった事もあって、ずっと夫のシフトに合わせて生活をしていたのだけど、徐々につわりの症状が出てきてからは不規則な夫の生活に合わせる事が難しくなり、思うように家事が出来なくなってきていた。
そんな生活が続くと当然家の中は荒れてきて、夫から妊娠は病気じゃないし、そもそも専業主婦で家に居る時間が長いのに何故まともに家事が出来ないのかと日々責められるようになっていった。
吐く程具合が悪くなる事はまだなかったけど、とにかく体調の波が激しく、動くのが本当にしんどかった。
だけど、妊娠に伴う体の変化についていくら説明しても夫に理解して貰える事はなく、喧嘩になる度に3食昼寝付きのダラけた生活をしていると責められた。
挙句放たれた言葉は
子供産むなら俺は仕事辞めるから、お前が働け。
ちょっと、言ってる意味がわからなくてフリーズした。
どういう事か聞いてみると
「俺は子供が欲しいなんて一言も言っていない」
「勝手に妊娠しやがって」
「母子手帳見せられた時の俺の絶望した気持ちわかる?」
「死刑宣告された囚人ってこんな気持ちなんだなって思ったよ」
「一緒に喜んでやったのは、お前があまりにも嬉しそうに言うから合わせてやっただけ」
「子供なんて望んでいない」
「大体家事もまともに出来ないお前が子供なんて育てられんの?」
「お前に育てられる子供は可哀想だ」
「どうしても産むなら、お前と子供にかかる費用は全てお前が自分で出せ」
他にも色々言われていたような気がするけれど、はっきり覚えているのはこのくらい。
これだけ色々言いながらも、夫は「堕ろせ」とは一度も言わなかった。
何故か。
今ならわかる。私自身に堕ろす決断をさせる事で
「俺は堕ろせとは一言も言っていない」
「お前が決めた事で、俺が強要した訳じゃない」
と、自分は悪くないと言えるようにしていたのだ。
当時の私はそんな思惑に気付く事もできなかったし、働こうにも妊婦を雇ってくれる所もないし、今の状態を両親に話したら激怒して離婚させられるかも知れないし、堕ろす選択を選ばざるを得なかった。
母子手帳を貰ってから初めての妊婦健診…同時に、最後の妊婦健診となった平成18年(2006年)9月11日、医師に経済的な理由という事にして妊娠の継続を諦める事を伝える。
医師は淡々と中絶に関する説明をし、書類を手渡された。
9月14日に入院して夕方子宮の入り口を広げる処置をし、翌日15日の朝イチで手術する事が決まった。
家に帰り、夫の帰りを待つ。
夫に中絶費用がいくらかかるか伝え、お金を用意してくれるのか聞いてみると、すんなりOKした。
夜、夫に聞かれる。
夫「本当に堕ろすの?」
私「うん」
夫「本当に?」
私「うん」
夫「いいの?」
私「…うん」
子供を望んでいないと言い放った癖に、いざ私が堕ろすと決めたら何でそんな事確認してくるんだと思ったが、同意書と一緒に中絶に伴う母体へのリスクなど、諸々の注意事項などが書かれた紙も渡していたので、それを読んで怖くなったのかも知れない。
夫にとっていらないのは子供だけで、私ではなかったから。
入院当日、仕事だった夫は休もうか?と言ってくれたが断った。
付き添ってくれた所で何になると言うのか。
そして私は自転車に乗って一人、病院に向かった。