『wi(d)e-screen Balot』 / マレ・ヴォワール 曲解説(引用元・オマージュ作紹介など)
皆様、お世話になっております。『wi(d)e-screen Balot』です。この度『wi(d)e-screen Balot』第四楽曲となるマレ・ヴォワールを発表しました。これまで、歌モノとりわけJ-POPと近しい音楽を制作していましたが、今回は一転してダーク・アンビエントのインストナンバーとなりました。
本ブログも今まで同様に、曲を制作に至った理由・背景や参考にした引用元またはオマージュ作を紹介していきたく思います。今回は本や詩からのインスピレーションを多く受けたのもあって、音楽だけでない文化芸術作品を綴る予定で、書き手である私も楽しんで記していきます。
ぜひ、ゆるりとご覧くださいませ。
曲の制作背景
前述した内容と繰り返してしまいますが、今でこそJ-POP中心にその派生ジャンルを取り入れる音楽性で活動しているものの、『wi(d)e-screen Balot』もとより中の人をかし自身は、元々アンビエント/エレクトロニカなどの環境音楽ライクな音楽活動を志していました。なので、本来はマレ・ヴォワールのような楽曲を作りたかったのです(アンビエント/エレクトロニカをやりたかった理由は後述)。
「広く聞いてもらう・もらいやすいこと」を目的とした、他者意識の強いアーティスト性を持っている自負で活動していますが、今作は自我が表れた形ということです。純粋な自己表現の願望を叶えたかったのでしょう。
また、本作に使用した楽器は鍵盤 Yamaha reface CPただ一台となります。多重録音はしていますが「自身の手で鳴らす音の可能性を追求したい」という素直な自己願望が、ミニマルな表現に繋がりました。
解説 (引用元・オマージュ作紹介など)
〜音楽〜
▼ Motoro Faam 『Fragments』
2006年ベルギーの名門エレクトロニック・レーベルU-Coverより発売された、Motoro Faamの1st アルバム。本アルバムは、彼らの持つポストクラシカルやエレクトロニカな音楽性を、荘厳かつ日常風景を交えたシネマチックなサウンドスケープより映し出している点が特徴的。空想と現実が織り成すモノクロの森に誘われる。
制作した楽曲の音楽性こそ異なりますが、私のアンビエント/エレクトロニカ系統の原風景なのもあって、マレ・ヴォワールにおいても多大なる影響を受けたアルバムです。
Motoro Faamを知ったのは5〜6年前。まだ20歳前だった私はアンビエント/エレクトロニカに傾倒し、広く深く掘っていきたいと色んなアーティストを聴いていた時期でした(cokiyu、haruka Nakamura、i am robot and proudあたりは特に好きでした)。
晴れや雨、激情や静寂、誕生と終焉など先に紹介した幅広く多様な音楽表現は、人生そのものを音で奏でているようだと、いつ耳にしても思います。よく「映画みたいな作品」と称されますが本当にその通りだなと。
コンセプチュアルな作りは楽曲を制作する際に強く意識しているのも、このアルバムの影響があるからなのかもしれません。ポストクラシカルの大名盤。必聴。
〜本〜
▼ 蒼穹のファフナー Dead Aggressor 3
2004年放送のオリジナルアニメ・蒼穹のファフナーをコミカライズ。放送後に後発された小説版やドラマCDなどの要素を補完して丁寧かつ綿密に再構築された本作は、もはや[完全版]と評するに値される非常に高い完成度を誇る。
本作は、「全ての輪郭を無に帰す"虚無の海"に飲まれた者は、死を間際にして何を思うのか」をテーマに制作した楽曲です。つまり『死とは、不意に足元へと訪れる』という意味です。
死とまで言わなくとも、苦悩や葛藤、空虚や失望など、自身の心の内に穴が空く感覚を表現化・言語化して、その実態を「海」に喩え、形として捉えようと思ってのテーマとなります。
人間の深層意識を"海"に喩える作品は数多くありますが、SFロボット作品 蒼穹のファフナーでは「思考制御・体感操縦式」有人兵器ファフナーに搭乗する際、パイロットの内的ビジョンが海の心象風景として描かれます。本編ではこれを<仮想現実の海>と称しています。
海と聞いて思い浮かべるイメージは千差万別です。暖かい海・冷たい海・荒れる海・穏やかな海などなど。主人公の真壁一騎は、真っ暗な深海に沈みゆく仮想現実の海を写しました。何も感じず、何も見えない海、その無間は恐怖の対象に思われやすくありますが、一騎は「すごく落ち着く」と感想を述べます。捉え方も人それぞれという訳ですね。
心象風景を何を思い浮かべて、何を感じるのか。同じ海であっても、意識の表れは人によって変わるもの。曖昧な音像に仕立てたのもそのためです。
※ 詩作について
個人的に今回の詩作は、本楽曲の最も肝となる点だと捉えています。『wi(d)e screen Balot』は
「言語化して伝うこと」に重きを置いている活動です。このブログ作成もその一環です。そうした活動の中で、環境音楽といえどもなにか言葉のメッセージを発するべきなのではと考えました。
他の音楽ジャンル以上に<物語らない美学・音だけだからこそ感じられる表現>ではあると思います。不粋であるのは承知の上ですが「表現者が言葉を用いて視聴者に届ける。人間の共通感覚である言語を伝うべき」なのではないかと。つまるところ、音楽だけだと伝わりにくくても、言葉が世界観の補完となれるのでは、という発想です。こうした思案のもと、今回は詩作を行いました。
ただ、環境音楽のもつ"音が生み出す世界観"も重視し、詩作は敢えて小さく表記しました。動画では見えずらい表記となりましたが、詩作の全文を下に掲載します。こちらも併せてご覧ください。
追記
音の制作・簡単な導入背景紹介。
鍵を鳴らす音を入れました(途中から金属音でチャリンチャリン鳴っている音です)。楽器が鍵盤一台だったのもあって、肉体性を帯びさせるためのアプローチとして導入しました。スマホ録音の音質が程よいローファイさを生んでくれた気がします。
高周波ノイズ・・・音を歪ませて海の中の波打つ感覚を表現しました。歪む以上に割れた音色となったのはお気に入りポイント。
ディレイ機能を駆使した発進・・・これは鍵盤より入力。徐々に音が盛り上がっていく箇所です。海に堕ちながらも何かを求めんとする人の性、その演出を狙いました。本楽曲の展開を作るメインの起爆剤。
また、今回は動きを見せるような曲ではなかったものの、音楽を動画として視聴されている環境の多い昨今では、観てもらいやすいような動画作りにも力を入れていきたいですね。
おわりに
これまでで最も静謐な曲ですが、ある意味最も攻撃的意識の強い曲ではないかと思います。今まで夢想していた音楽を形にできて喜びを胸に、今後の制作活動の糧にしていきます。
次作の発表についてですが、おかげさまで最近は筆が乗る機会が多く、空想していた色々なアイデアを要所要所で多く形に出来てきています。次回発表できる曲がどうなるのかはまだ決めかねているのですが、そう遠くない内に皆様にお届けしたく思います。
今回もここまでご覧いただきましてありがとうございました。新年も迎えてもう久しい気すらしますが、活動を始めた昨年の勢いそのままそれ以上に精力的に動いていきますので、今後ともよろしくお願い致します。
それでは、また。