重なる奏でるアンサンブル~「響け!ユーフォニアム」アンコン編 雑記帳~
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こちらの記事には、『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』の重大なネタバレが含まれています。
ご注意ください
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Ⅰ.はじめに
2023年8月4日(金)
我々は4年間、この日を待ち望んでいた!
そう、『響け!ユーフォニアム』シリーズの最新作が公開される日を。
私の脳内の北宇治部室内に祀られているデカリボン大明神にどれだけ祈りを捧げてきたことか……。
さて、ということで、とりあえず2回観てきたので、気付いたことや感想考察を記していく。
※原作は既読ですが、あくまでアニメで描かれたことを語っていきます。
まず、今回のアンコン編について、彼女抜きに語ることはできない。
デデン!
そう、久石奏である。
冗談で言っているわけではない。
実際観に行って、誰もが思ったはずだ、
「動いて喋る久石奏、可愛すぎるだろ……」
と。
いや、本当に。前作でメインヒロインを務めたはずの奏の出番が、やたら多いし、異常に可愛いのである。
勿論、ファンサービス的な側面もあるだろう。
しかし、話としては今回、奏はそんなに重要なポジションなわけではないはずだ。
久美子と違うチームになった奏は、最初から最後まで久美子の近くをチョロチョロと動き回るだけで、アンコンでの演奏どころか楽器を吹いているシーンすら出てこない。
鼻息をふんすっしながらファイティングポーズを取るシーンや、5mm切った前髪を夏紀に見せつけジュースを押し付けられるシーンはあるのに……。
そして久石奏が登場していないにも関わらず、なぜか必要以上に久石奏を喚起させるシーンまである。
アルトサックスの細野暖奈が久美子に相談するシーンだ。
え?誰かって?
この子である。
彼女は、久美子にメンバー集めについて相談している際、「黄前部長(先輩)は優しいんですね」と、久美子と奏が邂逅したシーンとほぼ同じセリフを、明らかに奏を連想させるトーンで言い放っている。
ではなぜ、物語上重要な役目に位置していないはずの久石奏に、これほどまでスポットが当たって描かれているのだろうか?
それは、今作のタイトルでもあるアンサンブル=重奏からくる言葉遊びだからなのではないかと考えている。
黄前久美子が、重なる奏を導く物語。
それこそが『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』の重要なテーマだと私は提唱したい。
ここから先は、この勝手な解釈に付き合っていただくことになる。
今作の『響け!ユーフォニアム』シリーズの中での立ち位置から順を追って見ていこう。
Ⅱ.アンコン編の立ち位置
アンコン編は原作シリーズの中では本来、番外編的な立ち位置だ。
そんな物語が4年ぶりのシリーズ最新作として映像化されたことに、どういうメッセージ性があるのかについて考えてみたい。
結論から述べると今作は、黄前久美子の部長・指導者としての才能が開花するまでを描く意味で、シリーズにとって非常に重要な位置を担っている。
その久美子の才能こそが、重なる奏を導く力という見解だ。
アンコン編の話は、3年生が引退し次の1年生が入ってくるまで、久美子たちの世代による新体制が作られていく過渡期の話である。
一応アンサンブルコンテストという目標はあるが、彼女たちにとっての本番がそれではないことが明確に打ち出されている。
では、何を目的に描かれた話なのだろうか?
ストーリー上で示されているアンコン参加の目的は、個人のスキルアップや客観的視点の獲得などではあったが、そのことが中心的に描かれたのは主に加藤葉月と釜屋つばめの二人だけだ。
そして、むしろ葉月やつばめの成長を促した、黄前久美子の部長・指導者としての力の発露が、より強調して描かれている。
そして、黄前久美子の才能に関して今作を最初から観てみると、序盤ではある力を駆使して問題解決にあたっていたが、終盤で別の力が発露する、という流れに注目することができる。
序盤から久美子が持ち合わせていた力は、自身の経験や知識など色んなものを重ね合わせて問題解決に結びつける力。
終盤で習得するのは、重なって凝り固まってしまったものを分解して問題解決に結びつける力だ。
この前者の力の限界と、後者の重要性が示される問題として、アンコン編成問題とつばめと葉月への指導問題が用意され、そして久美子と麗奈の指導者としての才能の違いが明らかになっていく。
また、これらを目的に応じて自在に使える様になることで、重なる奏を導く力となり、部長・黄前久美子へと繋がっていくのである。
作中で起きたことへの久美子の対応を追いながら考えていきたい。
Ⅲ.久美子が直面した問題
1.姿を重ねて失敗した、部長としてのふるまい
まず、部長として部員たちの前に立った久美子は、アンコンへの参加とその意図を説明する。
その際に、前部長である吉川優子が全国大会金を掲げたのと同じ方法で部員たちの指揮を高めようとしたのだが、結果的に空回りする。
それもそのはず、そもそも部の悲願である部員一丸となって目指す全国吹奏楽部コンクール金賞と、悪く言うとその前座であるアンコンでは部の空気もモチベーションも違うのだから、同じ手法を取るのは誤りなのだ。
つまり、この時点での久美子は、とりあえず部長らしい方法として優子のやり方を重ねてみたものの、やるべきことの本質がまだ見えていなかった状態だったため失敗したのだと言える。
2.意見を重ねて成功した、投票方法
次に、アンコンの学校代表選ぶ投票方法について、麗奈と秀一で意見が割れ、滝先生に意見を求められる。
この時、久美子はその場しのぎとして二人の折衷案となる意見を述べるが、結果的にこれがうまくいく。
とりあえず二人の意見を重ねてみたらいい感じに問題が解決した、という事例である。
ちなみにこの場面のラストは、職員室から教室に場面転換し、久美子の顔が重なるところで締められる。
3.土壇場で乗り切った、アンコン編成
さて、続いてアンコン編成問題だ。
ここでは、チームが3つの段階で分けられて形成されていた。
・1段階目が、主要な部員が積極的に勧誘を行い、チームが形成される段階(梨々花、奏、麗奈&夢など)
・2段階目が、主要なチームが決まっていく中、余ってしまった部員たちが集まってチームを作っていく段階(サファイア川島、さっちゃんなど)
・3段階目が、最後の最後まで余ってしまい、チームが組めない部員が生まれた段階(3年生サポート組)
の3つである。
1段階目で描かれていた久美子と麗奈の牽制嫉妬イチャラブについては保留するとして、ここでチームが固まったのは、選ぶ部員と選ばれる部員だ。
2段階目において、みどりとさっちゃんが、選ばれない部員を合体させるという方法でチームを形成していったため、久美子は相談にきた細野暖奈に残りの部員でチームを作ることを優しく勧める……のだが、もうチーム無所属の部員が残っていないことが発覚し、3段階目へと突入してしまう。
ここで、なんとか部員全員に参加してほしい久美子は麗奈に相談し、久美子は誰かに掛け持ちをしてもらうことを提案するが、麗奈にあえなく却下されてしまう。
麗奈は、大会出場権をかけて争うのだから、参加するからには質を落としてほしくないのだ。
最終的に、渡りに船とばかりに優子と希美がやってきて、なかよし川劇場が展開され、結果的に一応なんとかなるわけだが、これは久美子の重ね合わせる力による問題解決の限界として捉えることができる。
過去を重ねて従来と同様の手法を取ろうとして失敗する、もうキャパを超えて重ね合わせることが出来ないものを重ねようとして却下される、という流れだ。
既に後戻り不能の段階に陥ってしまっていた久美子としてはもう手詰まりで、3年生の先輩たちというウルトラCで問題が解消されたのである。
同時に、優子と希美が協力してくれるとわかった瞬間、なんの躊躇いもなく残っている部員とチームを組むという案を提示したのは新たな問題解決能力の発露が見て取れる。
というのも、3年生とチームになった部員は実質的に大会出場権を失うことになる。一応これはアンコンの大会出場権を争うためのチーム編成なので、出場権を失ってしまっては本末転倒ではないだろうか?
しかし、この時の久美子は、自身で設定した全員参加という優先目的があったため、即時決断を下したのである。
つまり、この時の久美子は、アンコンチームの編成と大会出場権争いという本来重なり合っている筈の事象を分解し、大会出場権争いという建前よりも、部員の全員参加を優先事項として処理したのだ。
偶発的で無意識的なものではあるが、まさにこれは久美子の部長としての新たな才能の片鱗である。
4.麗奈と異なる能力が開花した、仲間への指導
最後に、つばめと葉月への指導問題だ。
ここでは、久美子と麗奈の指導を目的とした問題解決能力の差が如実に出ている。
この差を考える上では、つばめと葉月でスキルアップの過程が違っていたことも重要だ。
①指導者としての高坂麗奈
高坂麗奈は、善悪・良し悪し・正誤の判断が極めて適格かつ厳格なド正論タイプの人間だ。
悪いものより良いものが望ましいのは当たり前だし、悪いものを悪いままにしておくのは誤りなのだから正しく治すべきだ、と言ってはばからない。
実際、麗奈が良いと言うものは良いし、悪いと言うものは悪いのだから、言われた側はぐうの音も出ない。
だからこそ、「麗奈の一番」になりたいのである。
さて、ところがそんな正しさの権化である麗奈には、大きな問題がある。
自身の正解が揺るがないからこそ、文字通り融通が利かない。
審美眼に優れ、努力家の天才でもある彼女には、何度やってもうまくいかない、うまくいくためにどうすれば良いのかわからないという悩みがわからないのだ。
麗奈と相手との間で、正解や常識だと思っていることに乖離があった場合でも、正解である麗奈と誤りである相手との間で生じる"結果の差"だけが議論の上にあげられてしまい、なぜ"結果の差"が生じるかについて関心が向かない。
麗奈からすると、自分の言う通りにすれば改善されるのに相手が言うことを聞いてくれないという癇癪だけが蓄積されるのである。
高坂麗奈は、誰もが目指すべき理想や模範として君臨するにはこれ以上ない人物なのだが、彼女の指導は各自が抱える事情や問題を"結果の差"に還元してしまうのだ。
初めは実力が心配されていた葉月が麗奈を信じて示されていた"差"を埋めるため地道な練習を重ねてそれなりに成長したのに対し、自身の能力とそれを信じている麗奈に疑問を持ちながら練習を行い続けていたつばめが麗奈との"差"を埋められなかったのは、麗奈の指導者としての能力の限界である。
②指導者としての黄前久美子
一方、この時の黄前久美子は、自身の中でつばめと葉月に対して明確に問題意識を持ちながらも、彼女たちがなぜ課題を克服できないのかについて、彼女たち一人一人に寄り添った眼差しを送っていた。
麗奈が指導する中で、"結果の差"として還元されてしまっていたものを、"過程の差"として捉えなおすことを試みたのである。
まるで、重なり合った地層の歪みの根本を探すかの如く、見えなくなっている・考えなくなっているところまで積み重なったものを解体して見せたのだ。
結果的に、久美子はつばめと葉月が抱えていた本人たちも気付かない根本的な問題を発見することに成功し、つばめは劇的に、葉月はより一層のスキルアップへと繋がったのである。
言うなれば、麗奈は自身の積み重ねたこと一点突破で問題解決を行うエース的存在であり、久美子は麗奈になれない者たちが立ち向かうべき課題を可視化させる、まさに指導者的存在だと言える。
Ⅳ.重なる奏を導く部長・黄前久美子へ
さて、ここまでで明らかにしたのは、久美子の指導者としての才能だ。
久美子が指導に向いている、という話は前作まででも頻繁に出てきていたが、今作アンコン編でそのことが決定的に描かれたのである。
そして、ここまできてやっと、黄前久美子の部長としての決意へと繋げることが出来る。
Ⅱ.でも述べたが、アンコン編は新体制が確立されるまでの過渡期の話であり、同時に黄前久美子が部長として確立していくまでの話でもある。
作中で幾度も久美子が、部長であることに慣れていない描写がある。
しかし、当人の覚悟は他所に、周りは久美子を部長として扱う。
自身の思惑は関係なく、久美子の発言や行動は、北宇治高校吹奏楽部部長の発言や行動として見做されるのである。
では久美子は、作中で部長として自身を確立できたのだろうか?
その答えの補助線となるのが、"重なる"表現だと考える。
黄前久美子は、目の前の事象に対峙した時、様々な景色を重ねる人物だ。
また、久美子が重ねる景色には、同時間軸で横並びのものと、同シチュエーション別時間軸の縦並びのものがある。
今作で横並びの重ね合わせが出てきたシーンとしては、麗奈がホルンの森本美千代をチームに誘ったと聞いた時にユーフォ担当として奏を誘ったと勘違いしたという吐露や、順番にチームが決まっていく中で葉月とさっちゃんの名前に目線が向くシーン、優子希美夏紀の助力が決まってみぞれの元へ向かうシーンなど、久美子の不安や心配事にまつわる時に描かれている。
一方、縦並びの重ねた合わせが直接描かれたのは、冒頭で空回りしてしまった際に重ねていた吉川優子の姿と、優しいと言われ時に思い出した小笠原晴香の姿、奇しくも、どちらも歴代部長の姿である。
まだ、自身がどういう振る舞いをし、どういう決断をすればいいのかわからないからこそ、自分が見て育った部長の姿を思い浮かべたのだろう。
久美子にとって、目の前の景色以外のものがチラついて重なるのは、心理的なグラつきの現れだ。
だからこそ、最後に登場した彼女と、出会っただけで終わったことに大きな意味を見出したい。
観ている側が連想はすれども、久美子が何かを重ねた描写は描かない。
もう、アニメの黄前久美子は、部長としての在り方を見定め、決意しているのではないか。
誰か個人にとって理想的な演奏と、北宇治が全国で金を取るために必要な演奏の、どちらを優先すべきなのかを。
バラバラに重なり合った奏を、最優先の目的を達成するために、自らの手で導く決意を。
いざ、決意の最終楽章へ―。