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毎日が特別になった理由
一昨年に母方の祖父が亡くなった。
昨年の12月12日に母方の祖母も亡くなった。
昨年の秋は友人が天国へ旅立った。
祖父母は99歳と90歳の大往生。
友人は私の一つ下でまだまだ若かった。
ありがとうの涙。
まだ早すぎるよの涙、
いっぱい流した。
心の整理にも時間がかかった。
立て続けに見送り、自分自身に変化があった。
娘や夫に寛容になった。
何しても「生きていてくれてありがたい」がベースになる。
些細な事だが
お料理に塩を振りすぎて「無駄にしちゃった、ごめん」と落ち込む娘に
「そんなのは大した事じゃない」と言える
以前はもったいないと言っていたはず
学校や仕事に遅れそうで急いでる朝には、
「あなたの体が一番大切なんだから遅れてもいいからゆっくり行きなさい」
と声をかける
「今日無事に安心安全に帰ってこられますように」と祈って見送る
夜に3人揃うだけでこの上ない喜びを感じる。
友人も、いつも会えたら嬉しいけれど音沙汰がなくてもいい。
元気でいてくれれば。
毎日がありがたい。
人は自分の寿命を選んで生まれてくると言うが祖父母も友人も決めてきたのだろうか。
大切な人から教えてもらった命の大切さを刻んで今日も、感謝して生きる。
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