本日のつぶやき「『ミッドナイトスワン』が配信されてた」
映画館で観て、面白かった、映画『ミッドナイトスワン』。
https://youtu.be/2O8-2DvOxiI
Netflixで配信がはじまってたー!
不幸を誇張しすぎてる、と言う人もいる作品ですが。
確かに、エドワード・ゴーリーの『不幸な子供』みたいな話だけどさ。
こう、不幸が濃いだけに、幸福が物凄く強く響くのよ。
だから、私はこの作品好き。
1番ハッとさせられたのは、凪沙が“母になりたい”と思ったこと。
どこかで、女性になりたい=男性が好き、ってことだ、と思っているところがあったのよ。
それはそれで間違いでもないんだけど。
でも、自分に置き換えた時に。
自分が“女性である”とか“女性として生きる”って思う時に。
女性である、と認識するのは、男性が恋愛対象たまから、ということだけなのか、と。
違うじゃないですか。
少なくとも、私は自分の恋愛対象だけが、自分の性別を認識する判断材料じゃない。
どちらかと言えば、“生き方”と深く絡みついていると思う。
少し話はますが、今、橘玲の『もっと言ってはいけない』を読んでて。
主に、同棲相手の男性が対象で。
本来なら、子孫を残さない同性愛者になる(?)遺伝子が何故受け継がれているのか、みたいな研究があるらしく。
男性の同性愛者の方の母方の家系は多産であることが多い、と。
男性に好かれる遺伝子を持っていて、それが男子にも受け継がれる為に、その家系では男性は同性愛者になることが多いが、その他の女子が多く子孫を残す為、結果として(動物としての生存競争で)“異性愛者ばかりの遺伝”よりも多く子孫が増える、“残してメリットのある遺伝子”になるので、現在でも遺伝が続いているのではないか、みたいなことが書いてあって。
じゃあ、女性の同性愛者の場合はどう説明するのか、とか素朴な疑問がないわけじゃないんだけど。
とりあえず。
“神に失敗作などない” だな。
と改めて思いました。
良い作品です。『ミッドナイトスワン』。
この世に“母”という生物は無く。
欲した者だけが、産んだ産まないに関わらず、“母”になることができる。
歪でも、滑稽でも、母になっていく凪沙は美しかった。
観てない方は、是非。