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ひとりがたり⑤

最近ずっと文藝賞への応募に向けて執筆しているので、今日は息抜きに別の話を書くことにする。

息抜きなのにまた文章を書くってのもおかしな話かもしれないが、文章を書いては消して書いては消してを繰り返している原稿執筆と、今回のような文章はまた別物である。なーんにも考えていない。頭の中に浮かんだものを書いているだけなので、もうほんと気楽なもんである。てにをは誤字脱字、あるかと思うが、とにかく何も考えずに書きたいので、今日ばかりはご容赦いただきたい。

ちなみに文藝賞に関する記事はこちら。


今回の記事タイトルは⑤となっているが、実はこれまでに過去4回実施したことがある企画で、ホームページのほうでやっていたやつである。


今回はリアルタイムでは更新しないが、内容的には「ひとりがたり」だなと思ったので使うことにする。


さあ、というわけで久しぶりに始めますよ、ひとりがたり。

どうぞよろしくお願いいたします。


さて、これ以外にもホームページのほうでは色々と書いてきた記事があって、自分でもたまに読み返すことがある。ふと過去の記事を読んで思ったことがある。


ネガティブに……なってない!!

いつだったかは忘れたが、自己分析をしてみたことがある。すると、2~3月の私はネガティブな思考に陥ることが分かった。原因も分かっている。人事問題だ。自分は異動があるのか、ないのか。他の人はどうなるのか。気にしないようにしていても、やはり気になっていた。もう少しいうと、異動そのものというよりは、「変わるかもしれないし、変わらないかもしれない」という不安定な時期が嫌だったのである。

ただ、今年に限っていえば、今のところ全くもってネガティブ思考になっていない。おそらく、人間関係含めて仕事関係で動じることがなくなってきたことが大きい。勤務年数も長くなってきて付き合いの長い人たちも多くなってきたので、どうなってもどうにかなるわいという思考になっているのだろうと思われる。あとは、文藝賞に向けて執筆していてそれどころじゃないってところと、7周年イベントも控えていて、とにかくやることがいっぱいなのが私にとっては良いのかもしれない。


話は変わって読書会の話(あ、今日は何も考えずに書いているので話は色んなところへ飛んでいきます)

東京のほうは、3/16に予約していた会場がまさかの閉業ということでレンタルスペースから連絡が入り、代わりの会場も見つけられず延期することになった。会場問題には悩まされ続けているので、常に探しているところではあるが、閉業のタイミングになったのは初めてだった。その日は何年かぶりに宿泊する段取りで予定を組んでいた。読書会が終わったら飲み会、二次会、三次会……カラオケオールいっちゃううううう?くらいのノリで考えていたので、非常に残念でならない。ちなみにここ最近利用していた新富町の会場も新規受付を停止していた。年度替わりでレンタルスペース業界にも何か変化があったりするのかしら。

延期にはなってしまったものの、私の中で少しばかりスタンスが変わっていて、「無理はしない」方向で今は考えている。コロナ前はとにかく毎月開催しないと!と焦っていた時期があったし、コロナ禍後に再開してからもやはり毎月開催はしたいと思っていた。ただ今は、クオリティを下げたり準備不足のまま毎月開催にこだわるよりは、一回一回の開催を大切にしようという気持ちのほうが強い。コロナ休止中も繋がりを持ってくださっていたこと、読書会とは別に文学フリマ出店という企画等で繋がれたこと、サポーターの方々、再開後に参加してくださっている方々、皆さんのおかげで「開催したら参加してくれる方はいる!」という安心感を確実に持てたおかげでもある。会場探しは続いているが、4月か5月には開催するつもりでいるし、東京会場をやめるつもりはないので、気長にお待ちいただけるとありがたい。

大阪のほうは、こちらも会場探しは続いているものの、一応今の規模に合った会場は見つかっている。欲をいえば梅田辺りで開催したかったり、3テーブルくらいに分かれるところが良かったり諸々とあるものの、こちらに関してはひとまず定期的に続けることを優先している。サポーターの方も増え、7周年サポーターを希望してくださる方も現在4名いるので、6月末の開催に向けて着実に体制が整ってきている。今回使う会場は1周年イベントでも利用した会場で、約6年ぶりの利用となる。個人的には感慨深いものがある。1周年イベントに参加されていた方には懐かしさもあるだろうし、ここ最近彩ふ読書会に参加し始めている方々には、準備期間も通してこれからじわじわとあがってくる熱気を感じてもらいたいなと思っている。今、1周年イベントのころと近い感触がある。ぜひ楽しみにしていただきたい。


それにしても眠い。現在1時半。もう眠ろうかと思っているが、一つだけ書いておきたいことがある。

失敗について、の話だ。そういえばこれを書こうとしていた気がする。

以前から「何をもって失敗というんだい?」という考え方が私の中にはある。タイトルにして書いたこともある。私は「失敗だったなー」と思うことを何度もしてきている。けれど、最近「失敗」という概念?は実は存在しないんじゃないかと思い始めている。何だか難しい話になりそう、かつ既に眠いので例をあげて書くこととしよう。

読書会を例にあげる。

たとえば読書会を自分で立ち上げようと思ったとする。おそらく色んな準備をして第一回目の開催に臨むことだろう。結果的に参加者がゼロで開催出来なかったとしよう。それは失敗だろうか。否、この方法では人が集まらないという「結果」が分かったということだけのことだ。

読書会に参加してみて、何か場の雰囲気と自分が合わないなーと思ったとしよう。それは読書会選びを失敗したのだろうか。否、自分には合わないという「結果」が分かったというだけのことだ。あるいは自分にとってその読書会が「ハズレ」だったというだけのことだ。

読書会に参加してみて、上手く本の紹介ができなかった、上手く喋れなかったなーと思ったとしよう。それは喋り方を失敗したのだろうか。否、この方法では思ったように喋れなかったという「結果」が分かったというだけのことだ。

失敗したと感じると、恥ずかしさもでてきて、もうやめようとなるかもしれないが、全ての「失敗」を何か別の言葉に置き換えてみてはどうだろう。仮として私は今「結果」という言葉に置き換えてみた。「結果」が分かれば、次はそうならないよう避けたら良いし、避ける、別の方法をとってみるという選択肢が生まれたということになる。これは「成功」ともいえるかもしれない。

期間を定めてしまうと、その期間の中では「失敗」となることもあるかもしれない。だが、期間を定めなければ、もしかするとその「失敗」だと思っていた事柄は十年後の何かに活かされるものなのかもしれない。

失敗というものは、存在しないのだ。

なんてことを書いていたらパソコンが急に「デバイスに問題があったため再起動します」と出てきた。即座に再起動されるパソコン。あああああ!保存してなかったーーーー!!失敗したー!!!!

書き直す気力はないぜ……。

もう寝ます。おやすみなさい。

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ののの@彩ふ文芸部(彩ふ読書会)
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