
ひとりがたり⑱
さあ本日もぼちぼちやっていきましょう。ひとりがたり。どうぞよろしくお願いいたします。
ひとりがたりももう18回目となる。記事タイトルも冒頭のつかみも考えなくて良いし、気楽に始めて気楽にやめれるので、ついやってしまうのだが、まあ良しとしよう。私は自分に激甘なのである。
さて、今回も下書きは溜まっているのだが、放出シリーズはまた今度にしよう。
昨日は彩ふ読書会+企画「読書会について語る飲み会」でしこたま食って飲んだ。とても楽しい時間だった。読書会をやっていても読書会そのものについて語る機会というのはなかなかない。本を好きな人たちが集まれば本の話になるのは当然だし、私も本の話がしたくなる。読書会そのものについて話すのは優先順位的には低いのだ。それをあえてメインに持ってくると、いつもとはまた違った話が出来て面白いということが今回分かった。
帰りの新幹線ではほとんど寝ていたのだが、ちょいちょい起きてしまった。新幹線の中ではフリーWi-Fiに繋げることができるのだが、私のスマホとはどうも相性が悪く、回線が途切れがちになる。となるとスマホを触れば触るほどストレスが溜まるので、出来ることといえば読書しかないということになる。行きの新幹線ではこの状況を存分に有効活用している。スマホに惑わされず、課題本を集中して読める環境になるのだ。今回の一九八四年も朝の時点では80ページ程度しか読めてなかったのだが、行きの新幹線だけで読了できた(再読だったからというのもある)
行きは良いのだが、帰りをどうするかはいつも悩みどころである。今回は酒も入っていたのでストンと落ちたが、眠れないときもある。一応本を用意はしているのだが、課題本読書会で頭を使ったあとなので若干文字が滑る。なので帰りは考え事をしたり、繋がりにくいWi-Fiで何とかネットニュースや調べ物を読んだりしている。
昨日考えていたのは、文芸部や文学フリマについてのことだった。というのも、今回の読書会ではなんとお二人から彩ふ文芸部に興味があることを聞いたからだ。2024年1月に始動し、ここ最近は彩ふ文芸部が認知されてきていることをひしひしと感じる機会が増えてきている。
お一人にはその場で彩ふ文芸部の案内をしたのだが、そこで一つ、今まで埋もれていた問題に気づくこととなった。グーグル検索で「彩ふ文芸部」と入力すると、一番上に出てくるのは初代彩ふ文芸部のサイトになっていたのだ。仮に彩ふ文芸部が気になって検索しても、移転前のサイトにアクセスする状態になっていたのである。部長に連絡し、移転のお知らせを一番上の記事に載せてもらうようにした。これで万事解決であろう。無事に入部までの導線が出来ているであろうことを祈る。
さて、そのこととは別の場所の話に移る。職場の話なのだが、私が読書会や文学賞に応募していることを知っている人は職場に数名いて、そのうちのお一人と話をしていたところ、初めて「のーさん(実際には苗字で呼ばれている)の作品を読んでみたい」と言われた。本はほとんど全く読まない人である。本は読まないが、私がどんな作品を書いているのか興味を持ってくれたのだ。嬉しい反面、これはなかなか責任重大ってやつである。興味を持ってくれたということは、仮に「のーさんの作品面白い!」となれば、他の作品も読んでくれる可能性が出てくる。読むことに抵抗感がなくなれば、そしてそこから先、「読書って面白いんだな」と思ってくれれば、自主的に書店に足を運び、本を買って読むようになるかもしれない。私はその人が読書好きになるかどうかの、いわばターニングポイントの矢先に立っているかもしれないのだ。私が職場で読書会等をやっていることを打ち明けている相手は、身内オブ身内のような存在である。母親や妻に読まれるのが個人的には一番恥ずかしいのだが、その一段下あたりには位置しているくらいプレッシャーを感じる存在なのだ。
これまでいくつか書いてきたが、おそらくその人は一作品しか読まない。その一作品が、その人にとって私の代表作となる。そしてその人にとっても「読書好き」になるかどうかのターニングポイントになっているのかもしれない。単純に考えれば、群像新人文学賞向けに書いた作品が最新で最も力を入れて書いたものなのだが、なんせ80ページもある。文字数でいえば3万文字程度(しかも素人の作品)を、普段読んでいない人に読んでもらうのはかなり酷というものだろう。ではどの作品を読んでもらうかとなると掌編・短編が手頃ということになるが、その中で私の代表作は何になるのか。東京の読書会で文芸部が話題にあがったこともあり、今日は自分の過去作をざっと読んでみた。
初代彩ふ文芸部に初めて投稿したのは『全力疾走』という話なのだが、これは私が以前勤めていた職場の話をモデルにしている。今の職場の話ではないし読んでもらっても構わないのだが、やはり粗いところが目立つ。次に書いた『上書き保存』は個人的に好きなのだが、その人には響かない気がしている。『夜の校舎で制服デート』は以前読書会参加者の方からも面白かったと言ってもらえているので良いかもしれないのだが、職場の人に読んでもらう前提では書いていない。私の性癖がバレてしまうのはまあ別に良いのだが、職場ではまだ真面目な人で通っているのでイメージを維持したいという邪な気持ちが踏みとどまらせてしまう。
その後となると『とりあえず十年で』となるのだが、これは文学フリマ東京へ初出店するために作った『創刊号彩宴』に収録されているものなので、現時点ではネット上で公開していないので読んでもらうことは出来ない。次の『十一月二十二日』は『とりあえず十年で』のアナザー(アンサー?)ストーリー的な位置で書いたので、単体で読んでもらっても構わないのだが、出来れば『とりあえず十年で』とセットで読んでいただきたい作品である。
その次の『絞まる前に』も彩宴2に収録されているのでネット上では公開していないし、読書好きな人向けに書いてみたところもあるので、ほとんど本を読まない方には朝井リョウの話はピンとこないだろう。
『ナンパかと思った。違った』は育児の話だし響きそうなのだが、これも彩宴3収録作で公開していない。
そのあととなると文藝賞に応募したものと群像新人文学賞に応募したものなのだが、こちらもネット上では公開していないし、群像新人文学賞応募作はまだ結果待ちである。
さてさて、困ったことになった。自信を持って「これ読んで!」と言えるものが、ネット上には全くない。そのことに、今さらながら気づいてしまったのだ。
これはその人に読んでもらうことを置いておくとしても由々しき事態である。彩ふ文芸部に興味を持ってくれた人たちに対して、オーナーである私が自信を持って「これ読んで!」といえる作品を公開していないのだ。ここ最近部員の方もぼちぼち増えてきているが、オーナーが手の内を晒さないのは一体どうなのか(もしかすると謎のままのほうが良いのかもしれないが)
そんなことを新幹線の中でうにゃうにゃと考えているうちに、「彩宴で書いた作品、公開したら良いんじゃね?」という思考に辿り着いた。
彩宴シリーズで書いてきた『とりあえず十年で』も『絞まる前に』も『ナンパかと思った。違った』も、やはり紙の本にして代金もいただく以上は、ということで、ふんだんに気合いを入れて書いた作品たちである。編集メンバーから誤字脱字チェックもしてもらっている。これで満足してはいけないだろうが、その時に自分自身が出せるもの以上のものを書いてきたつもりだ。自信を持って「これ読んで!」といえるのは、やはり彩宴シリーズに収録した作品になる。
というような思考の流れがあり、私の過去作と彩宴収録作を全てこちらに移すことにしようと思っている。ただし、彩宴収録作に関してはちょっとだけ差異をつけることにする。タイトルを変えたり、少し修正を加えるものもあるかもしれない。ひとまず作品に合わせたサムネ(表紙)が出来たら順次公開していくつもりである。お楽しみに!
というところで、ひとりがたりを終えることとする。
最後に。
過去のひとりがたりをまとめたリンクを貼っておく。では!
いいなと思ったら応援しよう!
