12 つくる責任つかう責任
梅雨入りした。公に宣言されずとも、連日の雨でみんながそう思っていた。梅雨らしいじんわりと長く広い雨ではなく、マンゴー的な短く騒がしい雨だった。私の安物の古いテントでは雨を防ぎきれなかった。扉を二度叩き、お邪魔しますと小屋に入った。
妻がハンモックで横になっていた。東京から持ってきたであろうサイドテーブル、東京から持ってきたであろうバカラのグラスに入った赤ワイン、豪華な別荘のような優雅さがあった。小屋の隅にある妻の持参したテントは一度も広げられていなかった。この雨にも耐えられそうな本格的なもので、私の簡素なものとは大違い。
体を拭かないと風邪をひくと言われた。居心地の悪さを感じずにはいられなかった。雨の音が大きくなり、強弱の波が聞こえた。
妻のパン宅配事業は順調、一方で本業は全く仕事がなく、勤務する意味がないので有給で休んでいるとのこと。東京はそんな感じ、と他人事だった。妻の本業については何も尋ねていないので、知らない。
妻の電話が鳴る。パンの注文。ここはネットの電波は届いていないが、電話の電波は弱く届いていた。注文は電波の届く町の誰かがネットで見て、妻に電話で伝える。雨が降れば宅配はしないのだが、客が自ら取りにいってくれるなら、販売していた。宅配屋が取りにきてもらう、便利なものだけが商売として成り立つわけではない。
雨が止んだので外に出た。被害が出ていないかと小屋を一周する。自作した太陽光温水器が目に入った。SDGsの残り二つのうちの一つ、”つくる責任つかう責任”を突きつけられた。ちょうどいい機会だった。12番、つくる責任つかう責任を見つめ直すこととした。目の前の温水器に対峙する。ボロボロ。泥まみれ。ゴミ置場に直行する風貌だ。一年すら使わないなら、作るべきではなかったのか。一時のSDGs活動は単なる自己満足だったのか。泥を拭き取り、直し、再利用する、そうする気が起きなかった。
風の湿気が増した。また雨が降ってきた。温水器を持ったまま小屋に入った。再び雨に濡れた私、泥水を垂らす温水器。妻から、体を拭かないと風邪をひくと言われた。
妻の不機嫌を直すために、SDGsの活動をしてきた話をした。途中で珈琲を入れた。そしてまた話した。12番の温水器の話で終えた。
アフリカから帰ってきたときと同じ、そう妻が言った。楽しそうに話しはじめ、徐々に退屈そうになり、行き詰まって真顔で話を終える。
私の会社員としての最後の仕事は、南アフリカでの発電所建設だった。”つくる責任つかう責任”など意識していなかった。電気のある生活が正解だと疑っていなかった。三年半で日本に戻った。特にすることがなかったので、有給休暇で旅に出て、そのまま今に至っていた。
翌日、雲の間から太陽が見えた。温水器を山の上にあるゴミ処理業者に持ち込んだ。大抵のものは小銭になるのだが、買取価格はゼロだった。顔見知りの主にご苦労様、と良く冷えた缶珈琲をもらった。甘さが染みた。二口目で飲み干すと、煙草を勧められた。ライターの火が見えないほどの太陽の照りつけだった。煙を吸い込んでチッチという燃焼音を鳴らした。誰に咎められることもなく煙を吐き出した。吸い殻は主に倣って地面に捨てて踏んだ。