「悪の教典渇き」2021/05/26

・渇き。
昨日から引き続き「みんなの映画部」読んでる。
こういうとこで酷評されてる作品をこそ選んで見たくなるのは何でなんだろう?
酷評されてる作品の中では、「渇き。」は公開当時、見に行きたい気持ちとすごく不愉快になりそうだし行かない方がいいって気持ちが混ざって、結局見に行かなかったっていう経緯(?)もあって「これ見たいな」という吸引力が一定の値を超えた。
相変わらずやる気は出ないしNetflixにあるし、ちょうどいいだろうとだらだら見ていた。
「映画部」の人たちが語ってたことの意味がすごくわかった。
面白さとは多分関係無いんだけど、なーんか途中で気持ちも逸れてしまい。
役所広司がクズのオッサンをやっているのも妻夫木聡の薄っぺらさも好みなんだよな。ていうか全体的に演技のトーンはすごくいいんだよ。
続きを見るつもりではあるんだけど……。

・悪の教典
続きを見るつもりなのにどうして私は「悪の教典」を見てるんだ?
「渇き。」にある、暴力描写とかグロテスクさの表現が性にあわないのは、現代の邦画のそれ全般がそもそもあってないからで、私は実はR指定が付きそうな作品が好きじゃないのでは? と思ったんだ。で、パッと思い浮かんだ「グロテスクな表現をしている」「見たことがある」「好きとも嫌いとも思わなかった」「邦画」として「悪の教典」をさらさらっと見直そうかと。
結果的に普通に見てしまった。
何がどうって冒頭に貴志祐介本人が出てるのがズルいんだよな。見るたび笑ってしまう(教師やってそうな常識的そうな外見なのにこの人がああいう作品群を書いてるってこと、貴志祐介の画像を見るたびに面白がってる私が、動く貴志祐介で面白くなっちゃわないわけない)。なんかアレがヒキになってしまったような気がする。
まあつまり、グロとかゴアとかバイオレンスとか、そういうの自体が受け入れられないというわけではなかったってことやね。
「悪の教典」は冒頭の貴志祐介と釣井先生で掴まれて、あとは伊藤英明の体とカッコ良さだけの映画なんだよな。「渇き。」の役所広司と妻夫木聡がそれに劣るわけではないのになあ。
「渇き。」完走より「映画部」で紹介された他の映画を見る方が近い未来な気がするな。酷評されて「渇き。」で良かった妻夫木聡が出てるし、かつ公開当時気になってた「来る。」だろうか。柴田理恵が見たい。でも「渇き。」と同じ監督だし、ホラーは怖いからって理由で見なかったんだよな。

・渇き。続き
今ふわっと再生再開してみたんだけど2分でもうちょっと嫌になってるな。
みんなやたら怒鳴ってるし、音楽も耳障りなのが合わないのかも。既存の曲は、曲に込められたものやパブリックイメージからも文脈を読みとることを助ける効果があるから、多層的な表現ができるようになるけど、使い方が変だとメロディに気をとられて物語から気持ちが逸れていく。
あと、R指定描写自体は苦手じゃないけど、作品内でゲスな役割を与えられた人物の表現として安易にゲスっぽい喋り方をする人が出てくると背中がゾワゾワしてしまう。流行りの共感性羞恥というやつかもね。何様だ。でもこの作品、俳優だけじゃない各所にそのゾワゾワを感じる。
あと単純にわかりづらいよね。映画館だったら全然わからんかったと思う。一時停止したりネトフリの字幕機能があるからどうにか追いつける(おそらく)というだけで。

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