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2025年は、5年に一度のターニングポイント。改めて自分の頭の中を考えてみた

2025年は、大阪・関西万博が開催され、まさに万博イヤーとなる1年。私が住んでいる関西地方は日に日に開幕に向けて、新しい情報が更新されていく中、自分自身でも様々なターニングポイントも迎える1年となる。改めて、入江真太郎が個人として実現させていきたい世界線は何なのか?整理を含めて考えて、綴ってみた。

なお、今回は日本ワーケーション協会の代表理事としてではなく、あくまで入江真太郎個人の目線にフォーカスした内容とするため、日本ワーケーション協会の目標などは記載しないことに留意したい。(活動は記載するものの、活動の中で個人として感じたことを記載する。そのため個人目線で見るため、本記事の中では、全ての記載を「社団法人」で統一する。)

福島県川内村へは、福島県内や東京圏だけでなく、関西圏や仙台、栃木からも参加。様々な地域から集まることで、多様性の掛け算が増し、より地域多様性が増える。川内村が2024年のハイライトだったという声も多数集まった。

5年に一度迎えるターニングポイントが2025年

旅行会社時代に営業に行っていた鹿児島県南九州市のゴルフ場、あの時の仕事からもう10年以上経つとは、時の流れも早いし、自分も歳を取るもんだ。

私はここ最近、実は5年ごとにターニングポイントを迎えてきた。

2010年:社会人になったこと【自問自答の日々】(それから15年、早い)
2015年:新卒の旅行会社を退職したこと【試行錯誤しながら、北海道と特に関わった時期】(それから10年、え、もう?)
2020年:今の社団法人の活動を始めたこと【関わる地域も国も爆増、経験値が一気に伸びた時期】(それから5年、え、これももう?笑)

全て5年ごとに発生している。自分の中で5年ごとの年は、必ず大きなターニングポイントを経験してきており、2025年もそうなるであろうと感じている。

最も人生について考え直させてくれたのが、仙台に通っていた時期。東日本大震災で大きな被害の出た南三陸町にも何度かボランティアで通いながら、自問自答を繰り返していた。

2010年〜2015年の5年間では、社会人としての成長を。このままで良いのかと、自問自答も繰り返した。1人で自問自答をする先として、東日本大震災の被災地となってしまっていた仙台や宮城県を選んでいた。仙台の人たちの今を大切にし、強く生きる姿に心を打たれたものだ。

2015年〜2020年の5年間では、会社名に頼らない、入江真太郎としての基礎を叩き込まれた苦悩の日々。その中で特に北海道との関わり合いが強くなった。その札幌と釧路の経験で、今の社団法人の活動の起源があるのも面白い話だ。

そして、2020年〜2025年は実現させていきたいことを、皆さんの力を借りて、でもがむしゃらに形にしていった、関わり合う地域が爆増した。そんな各5年間だった。

今では信じられないかもしれないが、私と社団法人のメンバーを繋いでくれたのは釧路。まだ繋がりのある地域は少なかった分、2015年〜2020年は札幌と釧路の往来が最も多かった時期。

私自身の人生ミッションとして、ここ最近表現を変えてきたことがある。「日本の地域多様性を後世に残したい」という考え方だ。実際に自分の子どもを一緒にワーケーションへ連れて行っていた経験も大きいだろう。

ただ、こんな壮大なことをいくら理想で語ったとしても、大きなことを実現させるのは難しい。理想論だ。しかしながら、自分にできることがある。それは、出会った人たちの意識を少しでも共感させていくことができないか?ということだ。

2025年を迎えたにあたり、今年から話し方を変えているポイントがある。それは「自分1人だけで対応しなければならない話は極力お断りし、誰かと動けること」を頭に置いて話していることだ。「日本の地域多様性を後世に残したい」という考え方を実現させていくにあたり、それは1人でできないミッションだ。だから、共感してくれる人と動いていき、輪を広げていきたいという思考が強くなった。

大阪市内で実施した、長野県・信州リゾートテレワークを知る「信州ガチ対談」。伝える相手側の多様性を考えた長野県は、かなり「ボケとツッコミ」を勉強してイベントに臨んでいる姿が印象的だった。北海道の自然と風土の役割が、今は自分自身は長野県に移っている。

今回の5の倍数は、今まで自分自身が全力で走ってきた世界線と異なり、走れる方を増やして共創していくフェーズが強くなると考えている。

そのこともあり、今年は少し原点回帰をしてみたいと思う。なるべく1人で物事を進めないことで、自分の手を開け、自分のために使う時間を増やしていきたいと考えている。その上で、もう原点を見つめ直し、次なる展開を進めていきたい。

日本の武器は「地域多様性」、その武器を消したくない

日本は小さい国?そんなことない。ヨーロッパに置き換えると、デンマークからドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、そしてポルトガルにまたがるほどの幅を持つ広い国なのだ。それだけ文化多様性がすごい。

日本の最大の武器は「地域多様性」だ。気が付かない方も多いかもしれないが、日本列島をヨーロッパに当てはめると、デンマークからポルトガルの広い範囲に位置することが分かる。そもそも札幌〜沖縄線のように国内線で片道4時間の空路を運行できる国は世界でも非常に限られる。

4つのプレートが交差することで災害は多いが、その分地質的にも多様。食材も気候も豊富。もともと300を越える藩に分かれて統治されてきた歴史もあり、それゆえ、何もかも多様性が残るのだ。だから、様々な文化や歴史もあり、世界中に日本ファンを有するようになっていると思う。

香川県琴平町始め5市町で実施したワーケーション、自分自身の本籍地の地域ではあるが、地域の方と多方面から来られた方々のコミュニケーションは、今でのその繋がりを残している。

私自身、人生経験で「地縁」(住んだ、通った等)と言える地域は47都道府県中、10府県(秋田・福島・茨城・愛知・京都・大阪・兵庫・香川・徳島・長崎)ある。人生経験上、様々な地域の方々と触れて、仕事をしてくる中で「日本全域」というものに愛着が湧いているのである。

だから、文化や歴史、風土の違いも分かるし、話す時も、その地域目線で基本的に話す。(この能力を最近は「特殊系能力者」と言われることも)「日本の地域多様性を後世に残したい」というミッションには、そんな好きな日本の長所が、薄れてしまうという社会的意義の危機感から生まれてきたのかもしれない。

名古屋市で実施した主催イベント、この日を境に、愛知県や岐阜県在住者のフリーランスやNPO法人との関わり合いが増え、中京圏の解像度が自分自身も大きく向上した。

そして、その中で自分自身は地域の人としての強い役割が難しいのは元々理解していた。理由は転勤族だったので、本当に地元がなく転々としていたからだ。だから地域を客観的に見る目は持っていたので、バランス良く関われることで、地域の中にはなかなか持てない「掻き混ぜ役」ならできると考えている。

ワーケーションがそのミッションにフィットした、そして京都の存在の大きさ

島根県出雲市で開催されたワーケーションイベントの中での地域交流会、地域の方に移住した海外出身の方も混ざり、新たな地域多様性を感じた時間だった。

きっとそれを感じてもらう方を増やしていける手段にワーケーションやデジタルノマドがあり、社団法人の仕事のやり方なんだと感じている。つまり、5年経ってもフィットしている。

そして私にとっては東京も1つの多様性の地域であり、何も特別な存在とは思っていない。1つの楽しい地域である。私の中で、人と関わるという意味では「都市部」も「地方」も殆ど存在していなくて、東京の会社や人が凄いという考え方は一切ない。全てがフラットだ。

社団法人のイベントを京都市内で実施、ホームタウンで華々しく主催したことは自分自身初めての経験で、より地域の愛着が増した1日だった。

この想いを強くさせてくれたのが、やはり昨年1年間の京都での経験だ。地縁の多い私だったが、昨年は全国で動きながらも、京都の繋がりが強くなったことで「いつメン」や「お疲れ様です」と気軽に呼べる場所や人脈が京都市内で多くできるようになった。

これは拠点地を京都市内で全国ネットワークのコワーキングから、地域のコワーキング(QUESTION)へ移したことが大きい。京都を訪れて声をかけてくれる機会も格段と増え、案内する件数が圧倒的に増え、京都のホームタウン意識が増した。

自分自身もホームグラウンドを持てたことで、こうした活動を東京拠点でなくても、改めて強くできると、今まで以上に強い説得性を持って発信できるようになった。それでも京都では「掻き混ぜ役」だ。ただ、その役割が京都ではフィットしている。

私自身が、京都のスタートアップの事例として取材されたのも懐かしい。京都は課題も多い街が故に、この街を拠点にしながら歩み続ける意義を今後も感じている。

東京都新宿区で実施したイベントでは、小田急電鉄が運営するNEUUにて実施、このまま新宿や小田急沿線のメンバーが中心となって、同様の取り組みを継続、新宿という地域の繋がりの強さを体現している。

また、昨年は東京都内でも、例えば新宿でローカル色を感じたり、三大都市圏のうち、愛知県の様々なフリーランスの方と関わったり、香川県西部や島根県出雲地方のように従来から関わりのあった地域の深掘りや、静岡県下田市や兵庫県洲本市のように新しく出会った地域の輪に触れたりなど、様々な経験をすることができた。

特に新宿では、私自身の考え方をそのまま小田急沿線や新宿に往来頻度の高い方々が中心となって、取り組みを残してくれて、私自身が「1人ではできない」を体現してくれている。地域多様性のことを考え、現状の過度な東京一極集中へは懐疑的な私も、実はかなり多くの東京の地域を考える方々に支えられているのも事実だ。だから、地域としての東京は本当に好きだ。

また、栃木県のような存在の地域も現れた。関係性が1年半前まで0だったのが、一気に開花。そのことにより地域の関係人口になっている経験も、私自身に様々な影響を与えてくれた。

私の願いに、国籍も関係ない。だから、好きになってくれる人は手放さない

宮崎県日向市へやってきた韓国からのゲスト。この時のスーパーの食材の話から、日本の地質の話をしたことで、日本語を勉強したい!と言ってくれた。表面上の日本と、沼った後の日本は大きく異なる。

最近では韓国から日本に来られたデジタルノマド(ワーケーションしにきた方)に言われた「日本のスーパーはなぜ魚の質が高いのか?」という問いに「気候と地質」の話から入って、日本の関心度を高めてもらったこともある。私の役割は「今までの様々な地域経験を深度のある日本を知ってもらうこと」そして「自己満足でなく、そのに生きる何かに深く関わってもらうこと」を国内外問わずに考えていくことだと感じている。

ロシア出身で、私と同じコワーキングに旅行会社を登記。京都を取り巻く変化が、私自身の価値観に大きな影響を与えた。

私が拠点としている京都府では「長期滞在型外国人起業家等誘致プログラム(The 90 Days Kyoto Stay Program)」を2024年より実施している。このプログラムに参加したロシア出身の方が、私の拠点のQUESTIONに登記をした。こんなにも嬉しい再会はないし、こうして本気で日本に来てくれることが何よりも嬉しいと感じるのも、私自身の今後のやりがいにも繋がってくると感じている。

2025年、私は「日本の多様性」をただ単に地理的に面白いとか、そういう目線ではなく、日本社会の課題に向かっていく姿勢で、地域の多様性を感じることができる方を増やしていきたいと考えている。そのためには、ワーケーションを手段とすることで、今後もそういう学びの機会を増やしていきたい。

そして、そのために重要なのは地域の方々だ。私は今までもそうだったが、地域を荒らす考え方はしないし、押し付けることもしない。地域の方が尖って楽しくいるから、私のような地域の多様性を伝えていく役割の人間が活きてくる。だから、地域の中で不足する役割を補う形で、私という人間がいれば良いし、その支えるという役割の方がいれば、自ずと少しずつ目指すべき方向に進めるのではと考えている。

兵庫県洲本市のワーケーションでは、自分自身も新しい経験をしただけでなく、何よりも様々な地域から訪れ、ゆっくりと深く語り合うことができた。自分のいる関西地方で、こんなにも素敵な地域があるものかと、まだまだ日本を深く知りたいと思わせてくれた経験だ。

また、そのための経験をこの5年、ワーケーションを通してしてきたが、自分自身の生活環境も変わる中で、色々なチャレンジを見つけたいと考えている。

いつしか仕事の拠点も2020年は大阪に軸はあったが、今では大阪府内に住みながらも、京都に軸がある。居住地は家庭環境で変わらずも、自分自身も拠点地を変えることに、この5年間で成功した。そして、多少ながら子供たちにも、親子ワーケーションという形で、可能な限り経験をしてもらうこともできた。

たった24時間の滞在。それでも強烈なインパクトが残った静岡県下田市。地域のキーマンだけでなく、移住者や下田を訪れていた方々との交流の中で「地域多様性」というものを強く感じた1日でもあった。Instagramを中心に、その後の関係性が強く続いている地域の1つへ。

是非、感度の近い方と今年は走り抜けたい。

2025年は、私の経験に寄り添った吐き出しを、少しずつでもしていきたいと思う。そして、5年に一度のターニングポイントとは何なのか?その答えはきっと12月31日に、事後報告的に明らかになるのだろう。

一旦、いつもより雑に、頭の中を叩き出すイメージで書き記した。きっと、何かを自分自身の中でも整理したはず。

あと、書いてて後で、気がついた。私自身もまた、ワーケーションを手段にして、様々な経験をして、自分自身の未来に繋げていることをー。

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