ノベルゲーム『君といつかの再会を』の考察&感想
ノベルゲームコレクションのティラノフェス2023参加作品に『君といつかの再会を』というサークル"Nameless Library"の作品があり、それをプレイしながら心理学的に考察しました。
リアルタイムで考察しながらプレイしたので、かなり的外れなことが書かれています。
それをご了承の上でお楽しみください。
以下、ネタバレを大いに含みますので既プレイの方は下へスクロールしてください。
未プレイの方は君といつかの再会を - 無料ゲーム配信中!スマホ対応 [ノベルゲームコレクション] (novelgame.jp)をクリックしてプレイした後に本記事をご覧いただければと思います。
スタート画面
不穏さを喚起させるBGMに左手の薬指に赤い糸を結んだ少女の絵。
結ばれた赤い糸が上に伸びていることが意味するのはなんだろう。天国へ連れていってくれるのか、天国へ連れて”いかれる”のか。相手は死んでいるのか、生きているのか。
かくれんぼ(?)の場面
この場面が意味するのは何だろう。心理学的に解釈していこう。
ユユは愛着理論でいう「安全基地(ここでいう家)」を離れて外の世界をうろついている。つまりユユは新たな家族以外とのつながり(絆)を構築して発達心理学でいう「アイデンティティ」を獲得していこうとしている。
しかし、「怖い、というひとことでは済まされない、存在」がユユを自由にさせない。邪魔をする。ユユを守るチャッピーもいるが殺されてしまう。
このことから、ユユは「確固たる自己(アイデンティティ)」を形成できずにいることがわかる。空っぽな、何者でもない自分。そう、まるで荒れ果てた空き地のような。
自室で起床する場面
カーテンについて……
水玉色模様のカーテンは「雨の日に足をとられた大きな水たまり」と関係があるのだろうか。
それが安全基地である家の内と外の世界を隔てている。
「水たまり」がユユを邪魔する人の象徴ならば、水玉模様のカーテンは(宮田ほどではないが)多くの人がユユを監視していることになるだろう。
しかしカーテンは家の内にあるものだ。
なので、親密な関係がある多くの人(母や父、友人など)が監視といっても過保護(コントロール)といったかたちでユユを束縛しているのかもしれない。
今後の家族や友人、知り合いとの関係性に注目だ。
布団について
ユユは布団を「天国、もとい牢獄」と呼んでいる。矛盾した布団への認識の原因はなんだろう。
布団は身体を覆うものだ。なので、布団の中は安全基地ともいえる。
この構造はまさにユユの現状―安心できる基地にいるが、そこから出て自由になることは束縛されていてできない―を表しているといえるのではないか?
安全基地(家)のなかの安全基地(布団のなか)という入れ子構造が面白い。
ユユの世界はとても狭くて小さいのだ。
教室
やはり、委員長が「監視」してくる。
「がらんどうで薄暗い教室」はまるでユユであるかのようだ。
ここでユユは窓の外へと目をやるが、これはユユにとっての「なにか」、つまりアイデンティティを求める欲求を表しているように思える。
ユユはその欲求を深層心理で抑圧している。これは精神分析学でいうところの防御機制だろう。
「なにかを忘れている気がする」と思うと頭痛がするユユから読み取れる。
やはり、「私はこのままで、本当によかったんだっけ?」という独白には、ユユが自己のアイデンティティを求めていること、あるいは何もない今の自分への疑念が表れていると思う。
ニナとの帰り道
夢をもつニナに劣等感を抱いているユユ。やはり、「何者」かになりたいのだろう。
ユユは「純粋なもの」が苦手らしい。
ここでは子ども=純粋なものとして話題に挙がっているが、子どもとはただ存在しているだけで承認される存在だ。
一方で大人とは、生産性などのような、社会に対する価値を提供しなければ承認されない存在だ。
高校生であるユユは子どもと大人の境界にいる。
社会心理学者のレヴィンがいうところの境界人(周辺人、マージナルマン)(*)と考えられ、自我が不安定になっていると考えられる。
*境界人(周辺人、マージナルマン)とは
しかし、度々語られる「飼育委員」の話題は何なのだろう。きっとこの話のキーになるだろうけど、まだわからない。
帰宅
ユユがオムライスを母に作ってあげたところ、母は少し大げさに感嘆を示しユユを褒める態度をとるが、散らかったキッチンをみて小言を吐く。
ユユの母はユユの「良い所」よりも「悪い所」の方へ目を向ける傾向がありそうだ。しかし、母と娘の関係というのは一般的にそういうものなのだろう。
今のところ心理学的にこの親子関係に問題がないように見えるが、気になる点が一つある。それは、「なぜユユは自分を差し置いて母のために夕飯を準備するのだろう」というものだ。
母子家庭で家事の役割分担をしなければならないのはわかるが、「せっかくなら一緒に食べるまで母を待たせればいいのに」と思ってしまうわたしはおかしいのか?
「常に思考にモヤがかかっていて、頭が上手く働かない」、「ギリギリにならなければ、その場その場では、現実感が湧かないのだ」と独白するユユ。この状態は、前者はブレインフォグ、後者は精神医学的には離人感と呼ばれるもので、どちらも抑うつ状態でよくみられる状態だ。
親子関係が気になっていたわたしだが、「私にしたいことはないけれど、いつか決して裕福とは言えないまま女手ひとつで育ててくれたお母さんに楽させてあげたい。私だって、そんな心ぐらいは持ち合わせているのだ。」とユユはこの関係に不満を抱いてはいないようだ。
風邪をひくユユ
母はユユのために会社にかけあって在宅ワークをしてくれた。母とユユは相互に想いあっているように思える。
やはり、わたしの懸念点は杞憂だったかもしれない。
宮田との再会
宮田の壮絶な家庭環境が語られる。
虐待やネグレクトはその後の人格形成に多大な影響を与えるが、そのひとつに加虐性がある。その一例がチャッピーを躊躇せずに蹴った、「あの日」に見て取れる。
「飼育委員」の話が強調され続けているが、きっと宮田は飼育されていた動物を殺していた気がする。
将来、宮田は殺人を犯すと思う。
こう考えるのは、将来殺人を行う、虐待された経験を持つサイコパスは必ずと言っていいほど動物を遊びとして殺しているからだ。(アメリカのシリアルキラー、神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗もとい少年Aなど)
宮田はユユの些細な優しさをずっとずっと記憶中で再生していた。愛着理論の話になるが、愛着スタイルのなかに「不安型」(*)がある。宮田は不安型だと思われる。ユユの言動に依存しているのがその証拠だろう。
*愛着スタイルの「不安型」とは
別れたあと部屋にて
ユユは「純粋なものは、恐い」と純粋に秘められた悲劇性について思案する。
確かにユユの言うように、純粋なものを愛玩するときの構造は悲劇的だ。なぜなら、「愛玩する側」と「愛玩される側」には明らかな権力勾配が生じているからだ。ある種の「見世物」のように「愛玩される側」=「純粋なもの」は扱われる。
なんという残酷さだろう。
体育の授業
からかう雄大が宮田と重なるのは立ち絵のせいだろうか。
前に水玉模様のカーテンについて考察したが、やはりユユを取り巻く人間関係はすこし歪だ。
更衣室
白く染め上げられ、乱された女子制服。
「なにかを忘れていた気がする」ユユにその「なにか」を思い出させるトリガーが現れそうだ。
しかし、この白はなんだろう。
精子なのか。いやでも、小学生はまだ精通していないだろうから、女子制服と上靴にかかっているものが同じだとすると精子ではなさそうだが……。まあ、小学高学年で発達が早い男の子は精通していてもおかしくはないか。
翌日の教室
ユユとニナの関係にほころびが出始めている。いや、表面化していなかっただけで元々健全な友人関係ではなかったのかもしれない。
ニナと宮田になにか関係性があるのだろうか。
その日の電話
飼育小屋のヒヨコやニワトリなどがみんな殺されたことが明かされる。
ユユはその動物たちが大好きだったようだ。
「みんな」と動物たちを呼んでいるあたりに、ユユの動物に対する認知がうかがえる。すなわち、動物を人間と同じ対象と認識していたことがうかがえるのだ。
動物を殺されたユユの心のダメージは案外少なかったと語られる。
しかし、ユユは精神医学でいうところの「解離性健忘」(*)を起こしていたのではないかと考えられる。そうして、自分の心を守ったのだ。
*解離性健忘とは
翌朝
ユユはユユ自身がマザコン気味であると自覚している。そしてユユは母を「内心では私を失うことを必要以上に恐れているところのある人だ」と語る。
ここからわかるのは、ユユと母は共依存関係であるということだ。
前に「親密な関係がある多くの人(母や父、友人など)が監視といっても過保護(コントロール)といったかたちでユユを束縛しているのかもしれない。今後の家族や友人、知り合いとの関係性に注目だ。」と考察したが、ユユの周りの人間関係がこの考察のようであることがだんだんと証明されてきている。
宮田と遭遇
宮田は自身のなかでユユの考えていることを勝手に結論付けている。
ユユはそんな宮田の言葉を否定するが、果たして本当に宮田の結論は間違っているのか。
ユユは図星をつかれているから拒否反応を見せているのか?
自宅前
視線を感じるユユ。それは今までもトイレの中でも感じていたことがあったようだ。
電話
視線を遮るためにカーテンを真っ黒にしたと語るユユ。
前に〈自室で起床する場面〉で
と考察したが、この考察を踏まえると、水玉つまりユユの周りの人間を拒絶していることが推測できる。
ユユはもう、誰からも監視されたくないのだ。
孤独になったユユはきっと宮田を求めるようになるだろう。
これ(ユユを孤独にして自分を求めるように仕向けること)は宮田の仕組んだことなのか……?
考えすぎか、次へ行こう。
警察に相談した後
ずっと視線がユユにまとわりついている、家の中でも。
もうユユに安全基地はない。
これは統合失調症の症状のひとつだが、ユユは統合失調症を発症したのだろうか。これだけではわからない。
わたしはむしろ、境界性パーソナリティー障害の発症を危惧する。理由はなんとなくだ。
以降、ユユは境界性パーソナリティー障害(*)の症状を出すかもしれない。よく「メンヘラ」と呼ばれるが、イタ電や膨大な量のメール(LINE)、束縛などが激しい女性を想像してもらえばいいだろう。
宮田に依存し、束縛して自分の思い通りにコントロールするようになるかもしれない。
*境界性パーソナリティー障害とは
翌日の学校
ニナとの作戦会議中に校内放送で呼び出され、母が襲われたことを知るユユ。
ユユは学校を走り出し後にする。
きっと母を襲ったのは宮田だろう。
夜の公園
公園について
公園がチャッピーを亡くしてしまった「あの空き地」だったことが明かされる。
「空き地」がユユのこころの状態を表現しているのだとしたら、「公園」は何を表しているのだろう。
公園は子どもが遊ぶ場所。子ども。子どもは純粋なもの。
以前、「空き地」はユユの空っぽさを表していると考察したが、見方を変えると、何にでもなれる可能性を表しているともいえる。
一方「公園」はどうだろう?
皮肉った見方をすれば、この場所の役割が固定化されてしまったともいえる。それも、「子どもという純粋なものだけの場所」という役割を。
こう考えると、ユユは純粋なもので自分を満たしたい、つまりただユユとして存在している(なにか他者に自身の価値を提示しなくてもよい)だけで承認されたいと願っているようだ。
しかし、以前にユユは「純粋なものの悲劇性」について言及していた。「純粋なものが、恐い」というあの発言は純粋なものに対する憧れの裏返しだったのだろうか?
さて、公園で宮田にたびたび遭遇しているが、ユユが宮田と遭遇しているとき、子どもは公園にいたっけ? たしかいなかった。いつも公園で二人きりだった。
ユユは純粋なものを満たすための場所(こころの空間)を用意したが、ユユがそこを訪れるたびに宮田とだけ出会う。
宮田は純粋なものなのだろうか。
今まで、宮田=悪者として考察してきたが、宮田は良いやつなのかもしれない……。
電話の相手
雄大がユユの母の死を知らせる。
電話の相手は宮田だったのか! まったく気が付かなかった!
叙述トリックとでもいうのだろうか、面白い仕掛けだ。それと同時に積み上げてきた私の考察もぐちゃぐちゃだ笑
でも、それが面白いじゃないか。
先へ進もう。
過去の回想
ユユはチャッピーの動物的本能、つまり繁殖欲求に襲われる。
純粋なものだと思っていた存在からの純粋ではない行為……。
これは境界人である高校生のようだ。
第二次性徴を通し子どもから大人へ。
人間の動物的本能、つまり繁殖欲求、性的な欲求の発現、精通。
宮田に手を引かれてチャッピーから逃げる場面は、ちょうど雄大から逃げる場面と重なる。
チャッピー=雄大と考えるなら、雄大がニナに思いを寄せているというのは演技で、本心を隠すためだったのか。
ユユに対する性的欲求という本心を。
〈かくれんぼ(?)の場面〉の「怖い、というひとことでは済まされない、存在」という発言は、純粋なものだと思っていた存在が純粋ではなくなった存在へと変わってしまったことを踏まえているのか。
ユユのショックは大きなものだっただろう。今まで純粋なものだと思っていた存在が実は純粋ではなかったという裏切りにあったのだから。この状態はフェスティンガーがいうところの「認知的不協和」(*)と呼ばれる状態だ。
このショックを「忘れる」ために、あるいは「なかったこと」にするために、チャッピー=ユユを守るもの、宮田=ユユを攻撃するものという偽りの記憶を形成してこの認知的不協和状態を脱したのだろう。
ユユの「純粋なものは純粋であって欲しい」という祈りのような欲求が垣間見える。
*認知的不協和理論とは
「純粋なものが、恐い」というユユの発言は決して純粋なものへの反転した憧れなんかではなくて、純粋なものの永続性への疑念だったのか。
「純粋だと思っているものもいつかは純粋ではなくなってしまうのではないか」という疑念が純粋なものへの恐怖感を抱かせていた。
その疑念はユユ自身へと向かうことになる。「自分の在り方」への疑問。つまり、エリクソンでいうところの「アイデンティティ・クライシス(同一性危機)」(*)の状態にユユは陥ってしまったのだ。
*アイデンティティ・クライシス(identity crisis,同一性危機)とは
ではなぜこんなミスリードを作者は仕掛けているのだろう。
作者がわたしたちに「純粋なもの」への問いを投げかけているようだ。
回想が終わり雄大と対峙する場面
やはり〈上述〉の予想は的中したようだ。
そして、今まで宮田に対して考察していた
〈電話〉における
〈宮田との再会〉における
すべてが雄大のことだったのか……。
ふたりは冷たいキスをしてゲームは終了する。
EXTRA
チャッピー(雄大)の「こいつを、自分だけのものにしたい」というユユへの欲求の源泉が語られる。
感想
「純粋な存在」について
この作品は子どもや動物を「純粋な存在」として見做すわたしたちへ疑問を投げかけているようだ。
わたしも子どもや動物を「純粋な存在」として見做してきたが、この作品を通して「純粋さとは何だろう」と考えるきっかけを得たように思う。
純粋さの永続性?
誰が何に対して「純粋さ」を抱くのか?
また、その権力勾配について―「純粋な存在」と見做される存在は、一般的に弱者だ―
〈スタート画面〉で考察したことについて
「天国へ連れていってくれるのか、天国へ連れて”いかれる”のか。」と書いたが、皆さんはどう思うだろうか?
左手の赤い糸は「運命」だったのか。
「相手は死んでいるのか、生きているのか。」と書いたが、皆さんはどう思うだろうか?
チャッピーは死んで、雄大は生きている。
雄大……you die (英訳:死ね!)
シナリオについて
どんでん返しにとても驚いたし、そのどんでん返しも「純粋な存在とは何か?」をプレイするものに問いかける上でとても効果的だったと思う。
さいごに
素晴らしい作品を作って下さりありがとうございました!
作者様に感謝申し上げます。
以下、作品情報。
「君といつかの再会を」をプレイするには……https://novelgame.jp/games/show/8614をクリックしてください。無料でプレイできます。