『律子が"恋鐘ちゃん"と呼ぶ日まで』【アイマスEXPO Day2 P-6a】
第一章 恋鐘と律子の出会い
律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼んだ日
昼過ぎに布団から身を起こして約2時間、私はスマホの画面をただただ見つめ続けていた。
側から見たら、奇妙な行動かもしれない。
しかしこの時の私は、目当ての〝呼称〟をまだかまだかと待っていたのだった。
『THE iDOLM@STER POPLINKS』(通称:ポプマス)は、当時のアイマス全五ブランドが集結し、順次追加されるアイドル達でユニットを組み、パズル形式のライブを通して遊んでいくゲームだった。
「担当である秋月律子と、各ブランドの推しを出会わせたい」という憧れがあった私にとって、ポプマスが発表された当時は「ついに夢が叶う!」と心から喜んでいた。
そんなポプマスには、ゲーム本編の他にも、様々なお楽しみ要素が用意されていた。
この内の一つに「アイドル達が、互いを呼称で呼ぶ様子を見られる」というものがあった。
その為、この時にポプマスで結成したばかりのユニット『センセイ以上、トモダチ未満。』のメンバー間の呼称を、ただひたすら確認する毎日を送っていたのだ。
メンバーは秋月律子、月岡恋鐘、安部菜々。
たまに画面遷移やゲーム本編のプレイを挟みながら、この3人がホーム画面を行きかう様子を、朝から晩まで眺め続ける。
正直、律子関係の呼称はほとんど予測がつきやすい為、ただボーッと画面を見続ける時間に、退屈さやキツさを少しも感じないということもなかった。
だが、この『センセイ以上、トモダチ未満。』は、ポプマスの情報が解禁されたタイミングから、ずっと組みたいと待ち続けていたユニットである。
私にとって呼称を待つ時間は、テストのあり余った時間で検算をしていくような単調さと、まっさらな答案用紙の空欄が一つずつ埋まっていく小さな喜びの両方を合わせ持つような、不思議と心が満たされる時間だった。
事態が動いたのは、ユニット結成から12日目、2021年10月22日のことだった。
いつものようにポプマスの画面を無心で眺め続けていると、律子が恋鐘ちゃんに対して何かを喋りかけていた。
気を抜いていた私は、完全に油断していて、何と呼んだのかを目視で確認出来なかった。
しかし、咄嗟の判断で、その瞬間をスクショに収めることが出来た。
ほっと一安心しながら、たった今撮ったスクショを確認する為に、写真アプリを開く。
「まぁ、どうせ変わり映えしないんだろうけど」と思いながらスクショを確認した瞬間、私は驚愕した。
———恋鐘ちゃん?
自然と私の口が、そうつぶやいていた。目を擦り、何度も瞬きをし、手の甲をつねってみる。
恋鐘ちゃん。恋鐘、ちゃん。何回見ても、どこからどう見ても、〝恋鐘ちゃん〟である。
さっき撮ったスクショの中の律子は、確かに恋鐘ちゃんのことを〝恋鐘ちゃん〟と呼んでいた。
一瞬の静寂の後、私の中を雷に打ち抜かれたような衝撃が走った。
恋鐘ちゃん!?何で?どうして!?本当に?律子が?初めて見た。こんな律子、初めて見た。嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい!!!!!
色んな感情が毛細血管を通じて体の中をドクドクと駆けめぐるように、とにかく体が熱かった。
一度深呼吸をして、改めて先ほどのスクショを見ながら、落ち着いて考えてみる。
やっぱりスクショの中の律子は、〝恋鐘ちゃん〟と呼んでいる。私の見間違いではない。
だがしかし、本当に〝恋鐘ちゃん〟という呼び方で合っているのだろうか?私は恋鐘ちゃんのことについて、改めて公式の情報を調べてみることにした。
恥ずかしながら、この時の私は、恋鐘ちゃんのことを何故か20歳だと勘違いして覚えていた。しかし、ここでのリサーチによって、恋鐘ちゃんが19歳だったことに気づいた。
19歳。律子と同じ、19歳。
年上ではなく同い年だった。ということであれば、違和感が若干払拭される。
ギリギリあり得そうな気もしてきた。
だが、本当にそうなのか?
律子が他のアイドルのことを〝ちゃん〟づけで呼んでいる場面を、10年以上のプロデュース活動の中で、目にした記憶はなかった。
かなり昔のコミュやドラマCDを見直してみても、ファンのラジオネーム以外では〝ちゃん〟づけの事例はなかった。
ここは慎重に、ちゃんと吟味すべきところである。何か別の方向性で考えてみて———となったところで、私はふと思い出した。
ポプマスのサービスが開始された当初、呼称機能の存在が発覚し、Twitter上のプロデューサー達が大いに盛り上がっていた中で、いくつかの呼称の誤植も同時に発見されていた。
その中の最たるものは「○○さんさん」のように、呼称が2回続いてしまうものであった。
こうした二重に呼称がつくバグは、一体どのような状況で起こるのだろうか?
たぶん、呼称担当の人が「さんさん」と自分の意志で入力し、その2回打たれたものを目視で確認した上で流されてしまった———なんてことは考えづらいだろう。
だとしたら、名前を入力すると、年齢などの条件に合わせて自動的に敬称をつけてくれるシステムがあると仮定したらどうか?
本来入力すべき部分は「○○」の部分だけなはずなのに、連絡が行き届いておらず「さん」まで打ってしまったことで、ゲーム上で「さんさん」と敬称が重複して表示されてしまった。
これなら、二重呼称が頻発した説明が大方つく。
例えば、律子であれば、年上のアイドルに対しては「○○さん」と〝さん〟づけで呼び、同い年以下のアイドルに対しては「○○」と下の名前呼び捨てで呼ぶのが通例である。
これ程に明確でハッキリしている条件づけであれば、プログラム関連の知識が全くない人間でも、中高の技術の授業で習った知識を使えば、Excelで同じことが再現出来てしまう。
だが、全てのアイドルが、わかりやすい法則に基づいて呼称を設定出来るわけではない。
双海亜美/真美や本田未央、高坂海美に伊勢谷四季に三峰結華と言ったような、あだ名を頻繁するようなアイドルもいるし、そうでなくとも、特定の相手に対してのみ、法則に当てはまらない呼び方で相手を呼ぶアイドルも少なくはない。
このことから、簡単な条件づけで敬称を付与するシステムと、直接入力を適宜使い分けながら呼称を実装しているのではないか、という推測に至った。
これを踏まえて、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼称を改めて考えてみる。
秋月律子は、先述の通り、極めて明確な条件のもとで相手の呼び方が決まってくる。
それならば、基本的には条件づけの敬称付与システムで呼称が表示されることになる。
つまり、呼称の誤植が発生するとしたら、相手が本来の年齢より若い設定になり、年上のアイドルを「○○」と呼び捨てで呼んでしまうケース。
または相手が本来より大人な設定になり、同い年以下のアイドルを「○○さん」と〝さん〟づけで呼んでしまうケース。
この2パターンしかあり得ない。
となると、律子が〝ちゃん〟づけで恋鐘ちゃんを呼んでいるこの呼称は「意図があって設けられた特別な枠」で実装されたものであるということになる。
基本システムとは別枠で設定された呼称ということであれば、この呼称が誤植という可能性は、かなり低くなるのではないか——?
そこまで考えたところで、私の心臓が再びバクバクと大きく脈打ち始めた。
律子が、〝ちゃん〟づけで他のアイドルを呼んでいる。しかも、私の推しの一人である恋鐘ちゃんに対してだ。
そうか、律子と恋鐘ちゃんは、出会ってるんだ。
私はポプマスで楽しく遊んでいて、大好きな気持ちに溢れていた。
しかしその反面、心のどこかで、「これは自分の中の妄想を、一定の型の中で視覚化してくれるシステムに過ぎない」「画面の中では律子と推しが一緒にいるけど、実際の本家のゲームの中では出会ってなくて、互いの存在すら知り得ないままの状態なんだ」と、一線を引いた状態で見ていた部分があった。
だが、そうではなかった。
律子と恋鐘ちゃんの間には、他のアイドル達に対してとは違う、律子が〝ちゃん〟づけする程の〝何か〟が確かにそこにある。
その〝何か〟が存在する限り、本家のゲームシリーズのどこかで、二人に関わるストーリーが実装される展開も、暗黙で確約されているようなものである。
今まで見たことがなかった、律子の新しい魅力。
加えて、それが当時最も新しいブランドだったシャニマスの、しかも推しのアイドルである恋鐘ちゃんとの関係性に寄与していること。
———いや、一旦冷静になれ。まだわからない。まだ、わからないぞ。
でも、もしかしたらこの呼称をキッカケに、秋月律子に興味を持ってくれる人が増えるかもしれない。少しでも多くの人に、律子のことを知ってほしい。一人でも多くの人に、秋月律子というアイドルを好きだと、応援したいと思ってほしい。
色んな感情が渦巻く中、今までのプロデューサー人生では起こり得なかった〝何か〟大きなことが動き出したような予感がした。
拡がる反響
呼称発見から数時間、私は迷いに迷った上、このスクショを旧Twitterに投稿することにした。
一番は、やっぱり「秋月律子に興味を持つ人が増えてほしい」という気持ちが大きかった。
ただ、それに加えて、客観的視点を取り入れたかった、という思いもかなりあった。私一人で盛り上がってしまっては危ないから、同じく〝恋鐘ちゃん〟呼びを見たことがないであろう他のプロデューサーさん達の声を参考にして、自分の中の考えを調整したかったのだ。
また、最近では運営側がSNSのエゴサーチに力を入れているケースが多い。仮にこの呼称が誤植だったとしても「間違った内容出しちゃってた!」と運営さんが気づいて、迅速な修正に繋がるキッカケになるかもしれないという見立てもあった。
いずれにせよ、マイナスよりもプラスに転ぶ部分が多いのではないかと総合的に判断した。
はやる気持ちを抑えながら、午後3時ちょうどにツイートのボタンをタップする。
すると、投稿した直後から、普段の自分では考えられないほどの早さでリツイートといいねが増え始めた。
あれよあれよという間に数字は伸びていき、最終的には、最高でリツイート数は1000以上、いいね数は2000を上回るほどに多くの人からのリアクションがあった。
しかも、その反応の多くは「すごい大発見!」「二人の間に何があるのか気になる!」といったような、ポジティブな内容のものだった。
もちろん、「変じゃない?」とか「違和感がある」といった声もあがってはいたが、自分が想像していたよりも遥かに少数しかなかった。
少なくとも、大多数のプロデューサーにとってこの呼称は「ビックリはするけど、同い年であることや恋鐘ちゃんの性格も考えてみると、完全にあり得ない設定じゃない」として、受け入れられる傾向にあるものだという客観的反応を知ることが出来た。
それだけではない。この投稿を機に、二人の関係に興味を持つプロデューサーが多く現れ始めた。
どんなキッカケで律子は〝恋鐘ちゃん〟と呼ぶようになったのか、この二人はどんな関係性なのか、普段二人でどんな話をしているのか、律子はどんな声で〝恋鐘ちゃん〟って呼んでいるのか———。
その声のどれもが、ワクワクとドキドキに満ち溢れていた。
その中でも、特に嬉しかったのが「この二人のことをほとんど知らないけど、この呼称を見て、二人のことをもっと知りたくなった」という声だった。
他ブランドに比べ、活動範囲の縛りが今以上に強かった765AS組のアイドルとして、この呼称は、秋月律子をたくさんの人に好きになってもらえる、大きなキッカケとなってもらえるはずだ。
発覚したばかりの現状では、まだこれが本当の呼称だと信じ切ることは出来ない。
けれども、こんなにもたくさんのプロデューサーさん達と楽しみやワクワクを共有出来たこの呼称が、正真正銘本物の呼称であって欲しいと、そう願う気持ちがより一層強くなった。
固まりゆく確信
この日を境に私は、律子と恋鐘ちゃんの二人のことを、朝から晩までずっと考えるようになった。私だけでなく、旧Twitterでは多くのプロデューサー達から様々な考察が飛びかい、中にはこの件を議題として取り上げたニコ生を配信するプロデューサーさんまで現れた。
あらゆる形で盛り上がりを見せる中で、この一件にさらなる追い風が吹いてきた。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼称が発覚した6日後の10月28日に、ポプマスで定期メンテナンスが実施された。
この時に、呼称に修正が入る可能性があるかもしれない、もしそうなったとしても、恨みっこなしでポプマスを楽しもうと、私は覚悟を決めていた。
しかし、メンテナンス終了後に再び呼称を確認しても、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びは変わらなかった。
これを受けて、私はもう一度驚きを味わった。
正直なところ、このメンテナンス以前の私の中での信疑の割合は、信じる三、疑い七くらいだった。だが、この二回のメンテナンスを経て、ようやく五分五分くらいにこの呼称の確信度が増した。
追い風はまだまだ吹き荒れた。さらに3日後の11月1日の緊急メンテナンス、呼称発見から約1ヶ月後の11月25日の定期メンテナンスと、計3回のメンテナンスを終えてもなお、律子の恋鐘ちゃんに対する呼称は、〝恋鐘ちゃん〟のまま変わることはなかった。
さらにダメ押しでもう一風。律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びと同日に発見報告がされた誤植呼称が、11月25日の定期メンテナンス後に修正されていたことが発覚した。
ここまで来てようやく、私の中でのこの呼称は、100%正式な公式設定なのだという確信に変わっていた。
「もしかしたら…」と不安を抱えながら、1ヶ月という期間の経過観察を続けても、最初に見つけた〝恋鐘ちゃん〟の呼称はそのままだった。
仮にこれが誤植だったとしたら、ここまで話題が大きくなったものを、しかもゲームのお楽しみ要素の一つとして設けられた機能の中で発覚したものを、この長期間放置するということは、まずあり得ないだろう。
それだけではない。同じタイミングで見つかった誤植が修正されていたということは、裏を返せば「同じタイミングで修正されなかった〝恋鐘ちゃん〟呼びは、修正する必要がない」と判断されたことになる。
もしも両方とも誤植だったとしたら、片方だけ直して片方は直さないという対応は、流石に考えられない。
もっと言えば、この呼称が発覚したタイミングでは、シャニマスでも恋鐘ちゃんのガシャが実装されたばかりの頃だった。
仮にポプマスのスタッフがこのことに気づかなかったとしても、直近のガシャ関連のエゴサをしていたシャニマスの運営の目に止まって、それがポプマス運営に伝わるルートだってあり得たはず。
にもかかわらず、一切の修正が入らなかった。
ポプマスの運営側がこの一件を認識した上で、それが何の問題もないものだと、運営自身が設定した嘘偽りのない呼称であると考えているのだと、そう判断するには十分なレベルの経過だった。
3度目のメンテナンス後、スマホの中に映る律子の〝恋鐘ちゃん〟を見た時には、自宅で万歳三唱をし、何度も飛び跳ね、自分の歳も忘れてはしゃいでしまった。
本当に、本当に律子が、初めて他のアイドルを〝ちゃん〟づけで呼んだんだ。まだ私の見たことのない律子が、これからもたくさん見られるんだ。
10年以上プロデューサーを続けててもなお、アイマスを始めたばかりの、秋月律子を担当にしたいと決めた頃の、あの時と同じようなトキメキやワクワクを、まだ感じることが出来るんだ。
ポプマスが始まったばかりの頃、他ブランドのアイドルに触れて新たな担当の出来たプロデューサーさん達の様子を、五叉路に突っ込んだトラックに見立てて〝交通事故〟と持て囃されていた。
けれど、全ブランドのアイドルを既にある程度知っている私は、決してその中には入ることが出来ないのだと、羨ましいと思いながら、遠くから眺めることしか出来なかった。
けど、違う。ずっと前からアイマスとともに歩んできた私でも、まだまだ知らない律子をたくさん見られるんだ。
中学3年生の時の9月18日———秋月律子が一時的にアイドルの舞台から退いて以来、たぶん私は、自分で自覚していない中で、秋月律子に関する色んなものを諦めてきていた。
数年ほど経って、律子がアイドルに戻った後も「律子がアイドルでいてくれるだけで十分だ」「いつまでも後ろ向きでいたら、他の子のプロデューサーさん達に迷惑がかかってしまう」と、遠慮して、我慢していた。
そういう考えを持ち続けていく中で、知らず知らずのうちに、律子が到達出来るラインを、私が私の中で決めつけるようになってしまっていた。
でも、違う。そんなわけがなかった。
無自覚でそう考えてしまっていた、過去の自分を恥じた。
まだ見たことのない秋月律子が、アイマスの中にはたくさんあるんだ。
心惹かれる秋月律子に、これからもっと出会えるんだ。
他の誰よりも輝けるアイドルに、誰もが夢中になる唯一無二のアイドルに、秋月律子は、なれるんだ。
律子がそうなれるように、私ももっと頑張りたい。
私の知らなかった律子を、もっともっと知れるようになりたい。
そうして知れた律子の一面を、一人でも多くの人に知ってほしい。
律子のことを、もっとたくさんの人に好きになってもらいたい。
一人のプロデューサーとして、一人の人間として、誇れる生き方をしたい。
そう思えるほど、秋月律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びは、私の心を動かすものだった。
動きだす心
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びによって、私を取り巻く環境は、著しく変化した。
この時の私の変化は、今の私が振り返っても目に見えるほどの目覚ましい変化だった。
当時の私は、大学時代の精神的な無理がたたり、新社会人になったタイミングで、パニック障害や適応障害などを発症してしまった。
その影響で、私は外へ出ることがほとんど出来なくなってしまっていた。
電車に乗ると動悸がして過呼吸になる為、遠くへ出かける必要がある時には、母に同伴してもらわなければならないほどだった。
そうした状態だった為、新卒で入った会社も、将来の夢の為に始めた習い事も、全て辞めざるを得なかった。
「私は、もう何も出来ない」と、自分の人生を諦めてしまっていた。
そんな状況の中、少し体調が良さそうな日には、私は頑張って外へ出る練習に取り組んでいた。
だが、家から2,3m離れただけで怖くて引き返してしまい、一向にその距離が伸びることはなかった。
しかし、ポプマスで律子の〝恋鐘ちゃん〟を発見した翌日、私は隣の家の前を通り過ぎ、さらに隣の家の少し先のところまで、一人で歩くことが出来た。
いつもは怖い気持ちでいっぱいだった頭の中に、この日は律子と恋鐘ちゃんがいた。
二人のことを考えながら歩いていたら、自分でも気づかないうちに、それまでの私では来ることが出来なかったような場所まで、怖がらずに一人で歩いてくることが出来た。
ふと後ろを振り返った時に「こんなに遠くまで歩けたのか!」ととても驚いたことを、今でも鮮明に覚えている。
その日を境に、少しずつ外へ出られる日が増えていった。
たくさんのプロデューサーさんと二人の関係性について言葉を交わすたびに、ポプマスのメンテナンスを経ても〝恋鐘ちゃん〟呼称が変わってないと確認するたびに、歩ける距離も次第に伸びていった。
もう出来ないと諦めていたことが、少しずつ出来るようになっていった。
出来なくなってしまったことが再び出来るようになっていくうちに、私は少しずつ自信を取り戻していった。
そうした自信は、プロデュース活動にも現れた。
律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼ぶ理由や、この二人にどんなバックグラウンドがあるのかを考えるうちに、もっとたくさんの人に二人のことを知ってほしいという思いが、日に日に強くなっていった。
これまでにもそういう思いを抱いたことが何度かあるが、そのたびにいつも諦めていたことがあった。
それが〝二次創作活動〟である。
旧TwitterやPixivで色んなアイドル達のイラストや小説を目にして憧れを抱くものの「きっと私には無理だ」とずっと諦め続けていた。
だけども、今回は特別だった。
秋月律子が月岡恋鐘のことを〝恋鐘ちゃん〟と呼ぶ事実を、この二人の———〝こがりつ〟の尊い可能性を、何としてでも多くの人々に広めなければならない。
それからというものの、心の中で渦巻く戸惑いと躊躇いと、大きな不安と戦いながら、私は幾度もの夜を過ごした。
書こうと思っては目をそらし、書こうと思ってはスマホを置きといった夜を、もう何度も繰り返した。
そしてあの日の夜。
寝る前に入った布団の中で、律子と恋鐘ちゃんの小説の始まりの数行を、スマホのメモに書き記すことが出来た。
出来た。今までずっと出来ないと思っていたことが、また一つ出来た。
早くこの小説を書きあげて、二人のことをもっとたくさんの人に知ってほしい。
この上ない幸せな気持ちのまま、私はゆっくりと目を閉じた。
2021年12月21日、午前2時の出来事だった。
第二章 〝恋鐘ちゃん〟がいなくなった日
4回目のメンテナンス前
小説の書き出しを書いた日の朝、相変わらず、私は二人のことを考えながら、ポプマスを遊んでいた。
もちろん、律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼ぶところを見る為に、合間にスマホを眺めるのも、すでに日課と課していた。
その甲斐あってか、呼称を見つけてからこの日までの2ヶ月間で、律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼ぶ瞬間のスクショが十数枚も私のカメラロールに貯まっていた。
この日はあまり運がまわって来なかったのか、なかなか律子が恋鐘ちゃんの名前を呼ばない。
2021年12月21日。この日には、定期メンテナンスのアナウンスがされていた。
これまで3回のメンテナンス前は〝恋鐘ちゃん〟呼びが誤植として修正される可能性を危惧し、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びが見られるまで、必ずポプマスのホーム画面を見続けていた。
だが、あの日から今まで、もう2ヶ月が経ったのだ。3回もメンテナンスを経て、それでも変わらなかったのだ。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びは、揺るぐことのない、正真正銘の公式設定なのだ。
「メンテナンス後に、また見に来られるもんね」
そう思って、私はポプマスのアプリを閉じ、すっかり習慣となったウォーキングをする為に、外へ出た。
絶望と怒り
2021年12月21日午後4時、ポプマスの定期メンテナンスが終了した。
私はポプマスを開くと、すぐにお知らせ欄をチェックする。不具合修正の欄に、呼称に関する記載は一切なかった。
良かった。今まで通りだ。
こうしてメンテナンス後にほっと胸を撫で下ろすのも、〝恋鐘ちゃん〟呼びを見つけて以来、私の日課になっていた。
呼称が正式なものだと確信を得てからも、つい確認して安心を求めてしまう。
数時間前と同じように、少しポプマスで遊んだ後、ホーム画面の二人の様子をいつものように見守り続ける。
まだかな、まだかな、とワクワクしながら待ち続けて約2時間、ついに律子が恋鐘を呼ぶ時が訪れた。
しかし、私の目に映った光景は、今までと全く違うものだった。
〝恋鐘〟の後に続くはずの言葉が、そこになかった。
〝恋鐘ちゃん〟の呼称発見から実に2ヶ月後、秋月律子の月岡恋鐘に対する呼称が、〝恋鐘〟呼びにサイレント修正されていたのだ。
これを目にした瞬間、思いきり頭を殴られたような感覚に襲われた。
「何で?」と「どうして?」だけが、私の頭の中を占領していた。
それらはしばらくして、やり場のない悲しみと怒りに変わっていった。
3回もメンテナンスをして、2ヶ月間ずっとそのままだったのに、何故今になって直したのか?
運営さんの目に入っておかしくないレベルの規模感で話題になったのに、それを何故すぐ直さずに放ったらかしにしていたのか?
運営さん側からは誤った情報だということがわかっていた上で、その情報を見て諸手を挙げて喜んでいた私達の様子を、馬鹿な奴等だと指差しながら運営さんは笑っていたのだろうか——?
ここまでの文章を読んで「そこまで大袈裟な問題じゃなくない?」と思った人もいるだろう。しかし、ここまで私が大きな怒りを抱いたのには、それ相応の理由があった。
ポプマスの呼称
今までサラッとポプマスの呼称機能について書いてしまっていたが、ポプマスの呼称は、見たい時に簡単に見られるものではない。
ホーム画面で見られるアイドル間での掛け合いのセリフは完全にランダムで、その内の一部でしか呼称を確認することは出来ない。
しかも、掛け合いモーションを発生させるには、ホーム画面で二人のアイドルが近くにいる必要があり、アイドル達がどこへ行くかも完全ランダムである。
2022年2月のメンテナンス後に、アイドルをつまんで移動させる機能が実装されたが、それ以前は呼称を確認したいアイドル同士が近くに立たせるべく、何十何百回と画面遷移をし、立ち位置厳選をする必要もあった。
だからこそ、目当ての呼称をいち早く確認するには、幾度もの画面遷移を繰り返しながら何時間もホーム画面を見続ける毎日を、数日〜数週間続けることになる。
ゆったりプレイしている人の場合だと、数ヶ月経っても目当ての呼称を見れないなんてこともザラにあった。
それだけではない。一組のアイドル間で見られる呼称は、実は二つある。
ポプマスでは、アイドル二人の組み合わせ全てに友好度が設定されている。
その値が、ユニットを組んでライブやレッスンをある程度重ねて一定以上を超えると、呼称が変わる仕組みがあった。
律子で言えば、友好度が低い状態では相手のことを苗字に〝さん〟づけで呼んでいたのが、友好度が一定以上になると下の名前呼び捨てか下の名前に〝さん〟づけで呼ぶようになるといった具合である。
今回の律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼んだ呼称は、後者にあたる。
つまり、律子と恋鐘ちゃんをガシャで引いただけでは、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びを拝むことが出来ないのだ。
しかも、この友好度は思ったよりも上がりづらく、私が律子と恋鐘ちゃんの友好度を条件である値以上に上げるまでは、10日間かかった。
そこからさらに3日間画面を眺め続け、ようやくたどり着いたのが〝恋鐘ちゃん〟なのである。
かかる手間の大きさと情報の正確性が釣り合っていないことだけでも、十分腹を立てて致し方ない理由だと言える。
だが、理由はそれだけではない。
これだけの行程を踏まなければ見られない情報だからこそ、それが無条件で信頼出来るものである必要がある。
もしも今回のように、多くの人に拡散された呼称で同様のことが起こった場合、公式から何のアナウンスもなければ、発信者の画像加工やデマを疑われてもおかしくはない。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びが修正されたのだって、もしも私がメンテナンス直後に気づかず、先に他の人が発見していたとしたら、私が嘘を広めていたんじゃないかと言われてしまってもおかしくなかった。
そして当たり前のことだが、ポプマスに実装されている呼称の大部分は、各ブランドの大元のゲームで確認することが出来ない。
だからこそ、ポプマスが初出の呼称が正しいかどうかは「メンテナンスで修正されたか否か」でしか判断することが出来ない。
こうした背景から、プロデューサーが運営さんに100%の信頼を置き、奇跡的なバランスの上で成り立っていたのが、ポプマスの呼称機能だったと言える。
それまでの15年の歴史をアイマスが歩む中で、大なり小なり、運営さんがミスを犯してしまったことはたくさんあった。
しかし、その責任や批判の矛先がプロデューサー側に向かうような対応を運営さんがとったことは、私の知る限りではこれまでに一度もなかった。
ただ単に情報を変えたわけではなく、そのミスの責任を放棄して、プロデューサー側にネガティブな目が向けられるような対応を、アイマスの運営さんがした。
私は運営さんから「そういう目に遭っても良い人間」だと認識されてしまった。
だから、運営さんはこのような対応を取った。
人生の半分をともに歩んできたアイマスから、トカゲの尻尾のように私は切り捨てられてしまったのだ。
私が中学三年生だった、2010年9月18日。
アイマス2で律子がアイドルを辞めてプロデューサーになった時。
今まで見ていた律子が、全部違うものになってしまうような、隣にいるはずなのにどこか手の届かない遠くへ行ってしまったような———いつか律子が消えていなくなってしまうんじゃないかと思えてしまうような、あの時と同じ不安感を覚えた。
大学生の時に入っていた部活動で、私の代の部長から「あなたが消えていなくなったとしても、私達はまだ大学生だから、何の責任も取れないよ?」と言われた時のような、自分の存在価値を否定された時のような感情を抱いた。
律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼ばなくなったのと同じくらい、運営さんにこういった形の対応をとられてしまったことが、私にはとても辛かった。
報告とアンチ
呼称変更を見つけた後、その日のうちに、私は旧Twitter上でこのことを報告した。
ツイートするや否や、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びや〝こがりつ〟の関係性に関心を持っていた多くのプロデューサーさん達から、悲しみや運営に対する怒りの声があがった。
それまで旧Twitter上では、嫌なことやモヤモヤすることがあっても、ポジティブな発言だけをするように心がけていた。
しかし、今回ばかりは無理だった。
この時点でのポプマスの評判は、はっきり言ってかなり良くない状況だった。
ゲームバランスを崩壊させる限定スキルの登場や、それによる大き過ぎるユーザー間格差、おまけにサービス開始当初はガシャに天井がなかったり、属性によるスキルの制限で採用されやすいアイドルとそうじゃないアイドルの差が大きかったり———。
数え始めたらキリがないほどに、プロデューサー達の不満が噴出していた。
私が律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びを発見してツイートした際、それを肯定していなかった少数派の意見において、純粋に呼称への疑問や違和感があることを発言したプロデューサーは、ごく僅かしかいなかった。
一番多かったのは、ポプマスを叩く口実としてこの呼称を挙げて否定する人間だった。
「ポプマスの情報は信用出来ないから」
「どうせ適当な運営の誤植でしょ」
「あそこはダメだから、たぶん後で黙って直すだろ」
私にとってのポプマスは「律子と推しが出会ってほしい」という自分の憧れを叶えてくれた存在だった。
十数年のプロデューサー人生の中で一番ハマったアイマスのゲームだった。
だからこそ、事あるごとにそういった言葉が目に入る当時の状況は、本当にしんどかった。
言われた直後にはその気持ちをグッと飲み込んだが、この時にはそれが出来なかった。
「ポプマスの運営さんが今回とった対応そのもの」が、アンチの人達の主張が正しいということを証明してしまった。
こんなにも悔しいことはなかった。
どんなものであれ、誰かの好きなものを蔑む行為は、決してやってはいけないことのはずなのに、どうしてポプマスにだけはそれが許されてしまうのか。
ゲームを純粋に楽しんで応援しているプロデューサーが、どうして文句や批判ばかりで空気を悪くする人達のことを我慢しなければいけないのか。
大好きなゲームで、何でこんなに悲しい思いをしなければいけないのか———?
二人の呼称が変わってしまった悲しさとともに、当時のポプマスを取り巻く空気感に対する不満や怒りが、抑えきれずに溢れ出てしまった。
私は報告ツイートをした後、その時に抱えていた思いを正直にTwitterで吐露した。
しかし、この書き込みが、アンチの格好の餌になってしまった。
この件が、あるまとめサイトに偏向的なまとめ方をされたのだ。
その記事のコメント欄では、律子だけでなく、本件とは全く関係のない推しのアイドルに対する誹謗中傷まで書き込まれていた。
これが出た直後、私から公にコメントをすることはなかったが、自分のせいで律子や推しを傷つけてしまったことに、大きな自責の念を抱いた。
そして、そうした発言をした人間を、心の底から許せなかった。
ある律子Pさんに相談したら「そういうのは気にしないのが一番ですよ」と言ってもらえたが、考えないようにしようとすればするほど、書き込まれた内容の数々が私の頭の中をグルグルと回って離れなくなってしまった。
そんな時、私はある人のことを思い出した。
もしかすると、律子の声を演じている若林直美さん———殿の耳にも、この件が届いてしまっている可能性もあるのではないだろうか?
殿は、秋月律子役の声優さんとしてだけではなく、一人のプロデューサーとして、最初期の頃からガッツリとアイマスを楽しんでいるのは、周知の事実である。
アーケード版アイドルマスター(通称:アケマス)が稼働していた時には、全国各地のゲームセンターで「このゲームで秋月律子というアイドルを演じている声優です」と、殿自らが頭を下げて、筐体やプロデューサーノートにサインをしてまわっていた。
ミリシタとフリマサイトのコラボ企画の時には、一般のプロデューサーが制作/出品したパーカーを、殿自ら購入し、生配信で自慢げに見せびらかしていた場面もあった。
この本を書いている直近で印象的だったのは、アイマス検定特集生配信での一幕だろう。
プロデューサー公募問題における投稿要綱で、誹謗中傷の話題になった時のこと。
かつてのニコニコ動画の中で、秋月律子に対して頻繁に向けられていたアンチのコメントを引用して「やめて頂きたい」と殿が言ったのだ。
中学生だった当時、私はニコニコ動画でその言葉を目にするたびに、とても悲しい気持ちになっていた。
その時の私と同じ気持ちを、きっと殿も味わっていたのだろう。
それほどまでに、殿は一人の声優さんである以上に、私達と同じものを見てアイマスを楽しみ、同じものを見てアイマスで悲しんできた方なのだと、私は思っている。
そういう考えがあったから、私はSNSでは「もしも殿の目に入ったとしても、殿が快く思ってもらえるようなツイートをしよう」と常に意識していた。
それは、私がなるべく明るくポジティブなツイートを心掛けていた理由の一つでもあった。
だからこそ、この時の私は頭が真っ白になってしまった。
今回のポプマスでの一連の出来事も、もしかしたら殿が見ていたかもしれない。
理由がどうであれ、律子に関する内容を私が広めたせいで、たくさんのプロデューサーをガッカリさせる結果を生み出してしまった。
秋月律子をアンチに叩かせるキッカケを、全く関係のないアイドルにまでその手が及んだ要因を、私が作ってしまった。
こんなことを殿が知ったら、きっと殿はショックを受けるに違いない。
もしそうなったら、私は律子Pではいられなくなってしまうかもしれない———もう私はパニックだった。
どうしよう、どうしようと、目の前が真っ暗になった。
本当は、今回の件について、言いたいことがいっぱいあった。
だけれど、あのまとめサイトの記事を機に、これ以上律子達に批判の矢が向けられるのを恐れた為、呼称の件についての発言を控えざるを得なくなってしまった。
律子達や殿のことを考えて、ずっと一人で自分のことを責め続けていた。
賛否両論の人々の反応を見守りながら、私はこの先どうポプマスと向き合っていくべきなのかと、頭の中でじっと考え始めた。
第三章 クレームは愛に変えたい
どうすれば伝わるのか?
今回の〝恋鐘ちゃん〟呼称の一連の対応に関して、私は運営に問い合わせを送ろうと決意した。
この現状を放置していては、呼称機能だけでなく、ポプマスというコンテンツそのものにとっても、確実に悪いことだと考えたからだ。
私が悲しんだり怒ったりする様子を見て、大袈裟だと馬鹿にしていたプロデューサーも見受けられたが、それは、この件の渦中にいたのが、その人の担当アイドルではなかったからである。
今回問題になったのが、たままた律子と恋鐘ちゃんだったというだけである。
呼称まわりの体制がこのまま変わらなければ、必ず同様のことが起こり、そのせいで傷つくプロデューサーさんが私以外にも出るということが、考えなくとも目に見えてわかっていた。
それを防ぐ為に、この件で感じた問題点や疑念、悲しみや怒りは、絶対にポプマスの運営さんへ伝えなくてはならない。
しかし問題は、どうすればこの声を確実に伝えることが出来るかという点だ。
というのも、普通のお問い合わせ窓口へメッセージを送れば、それが握りつぶされて適当に処理されてしまう可能性が高いということを、私は知っていたのだ。
そのキッカケとなったのは、私が大学一年生の時。
某飲食店でのアルバイト中、異物が混入した生地を使った料理を、店長がそのままお客様へ提供する現場を目撃してしまったのだ。
私は翌日にその店でのアルバイトを辞め、本社へ告発文を送ることを決意した。
その際、この話を聞いた父から「普通に問い合わせ窓口に送っただけでは、握りつぶされて声が届かない可能性が高い」「確実に声を届けたいなら、社長宛に手紙を送るのが一番だ」というアドバイスをもらった。
それを受け、社長へ直接直筆の手紙を送った結果、当該店長の処分が決まった旨の文書が返って来たという経験があったのだ。
このことから、下のスタッフではなく、その上に立つ責任者に対して意見を送る方が、迅速に効果的な対応をしてもらえるという知見を得ていた。
もちろんこれまでには、アイマスで遊んでいて気になったことがあった際に、一般のお問い合わせ窓口からメッセージを送ったことが、何度かあった。
だが、仮にその方法で今回の件のお問い合わせを送ったとしても、今後の改善に繋がる対処が成されるとも、私の心が少しでも救われる返答が返ってくるとも、一連の対応を見ていた私には、そうは思えなかった。
それほどまでに、私のポプマスの運営さんに対する信用は、地に落ちてしまっていた。
加えてこの時の私は、一連の出来事を経て、酷く憔悴しきってしまっていた。
もしも送った問い合わせに対して「この呼称はただの間違いで、存在しないものです」と簡素で何の配慮もない返答が返ってくることも、この運営さんであればやりかねないと考えた。
本当にそうなってしまったら———自分で自分を保つことが出来なくなってしまうに違いないと、この時の私は、本能的に悟っていた。
それほどまでに、私の心は追い詰められていた。
自分の心と体を守る為に、窓口からお問い合わせを送ることを選択するのは、どうしても出来なかった。
だが、この方法でお問い合わせを送るには、もちろんリスクも存在する。
正規ではないルートでお問い合わせを送るのだから、ただ単に本件に関する文句を書き散らすだけの内容になっては、本来のルートから送る以上に悪印象になりかねない。
「コイツはプロデューサーじゃなくただのクレーマーで、尊重すべき内容じゃない」と判断されてしまっては、伝えたい内容が伝わらない。
そして何より、人生の半分以上をともに歩んできた大好きなコンテンツに対して、100%怒りのみをぶつけるのは、私には辛い。
私にとって特別な思い入れのあるアイマスに対して、それだけはどうしても出来なかった。
こうした懸念点を踏まえて、バンダイナムコ本社へお問い合わせの手紙を送る際、私の考えや気持ちを的確に伝えるにはどうすれば良いのか。
考えに息詰まった時、私は視点を変えて「何故私がこんなにも怒っているのか?」という点を振り返ってみることにした。
〝大好き〟の怒り
ここに至るまでにもたびたび触れて来たが、私はかねてより「担当の律子と他ブランドの推しに共演してほしい」という夢があった。
そんな私にとってポプマスは、10年近く抱き続けてきた憧れを叶えてくれた存在だった。
だからこそポプマスは、今までのアイマスの中で、私の一番大好きなゲームになっていた。
ただ単にゲーム内で適当な対応をしただけでは、私の怒りの気持ちは、そこまで強くなっていなかったはずだ。
私の中のポプマスを〝好き〟な気持ちが、一連の対応への怒りや不満をより一層強めているのだと考えた。
また、ポプマスは、今まで知らなかったアイドル達との出会いのキッカケを作る側面が、とても強かったゲームだと思える。
それならば、他のどのゲームよりも、一人一人のアイドルのことを大切に扱うべきだったはずだ。
中でも、この呼称機能については、サービス開始当初から多くのプロデューサーさん達から注目を集めていた。
大元のゲームシリーズでは絶対に見られない、ブランドの垣根を超えた呼称が見られるこの機能を「資料的価値がある」と評するプロデューサーさんもいた程だ。
事実、2021年3月に公開された、某You Tubeチャンネルでのポプマスの案件動画では、根っからの真Pかつシャニマス好きとしても有名な、仮面を身に纏った男性ライターさんが、アイドル同士の呼称に対する心の高揚についてを、とてもルンルンとした様子で述べられていた。
30分を超える動画の中で、たった30秒だけ語られたその内容に、多くの人達がコメント欄で共感を示していた。
それほどまでに、ポプマスにおける呼称というのは、他のゲームよりも多くの人が重きを置いていた要素の一つだったのである。
にもかかわらず、律子に関する情報———それも呼称の情報を、運営さんから適当に扱われてしまった。
私の〝大好き〟な担当の律子や推しの恋鐘ちゃんに関わることを、ぞんざいに扱っても良いと運営さんに思われてしまった。
それが私にはどうしても許せなかったのだ。
もっと言えば、この時の対応は「運営側のミスであっても、こちら側にとって都合の悪いことであれば、ポプマスを楽しく遊んできたプロデューサーを切り捨てても構わない」と捉えられるものだと言っても、過言ではなかった。
私の律子を大好きな思いや、アイマスを応援したいという思い、そしてこれまでアイマスとともに歩んできた一三年間に詰まった〝大好き〟の思いを、この対応によって全て否定されてしまったような気持ちになったのが、心の底から悔しかった。
そして何より、これからもポプマスで楽しく遊び続けたいのに、このままでは、何の心配もなく安心してポプマスを遊ぶことが出来なくなってしまう。
アイマスを〝好き〟でい続けることが、出来なくなってしまう。
それが困るから、私はこの気持ちを、どうしても運営さんに伝える必要があると考えたのだ。
そこまで考えた時、私はこの怒りの背後には、どれも律子達やアイマスを〝好き〟な気持ちがあるということに気づいた。
それと同時に、私は思った。
「問い合わせを送るなら、本件で怒っていることと併せて、ポプマスが〝大好き〟な気持ちと、これからも楽しく遊び続けたいという気持ちも、一緒に送れば良いのではないか?」
この気持ちを伝える最善の形は何なのかと考えた時、私の頭の中で今まで空想し続けていた、あるものが思い浮かんでいた。
それは、ポプマスで組んでいる、もしくは組ませたいと構想しているユニットの設定をまとめた資料である。
「出来たら良いなぁ」という漠然とした思いはあったのだが、それを実際に形にしようと動くところまで至っていなかった。
これだ。これを作ろう。
この資料を完成させて、それを呼称の件のクレームの手紙と一緒に、株式会社バンダイナムコエンターテインメントの本社へ送ろう。
熱意を込めた資料を一緒に見てもらえれば、ただのクレーマーとして処理されず、ポプマスが〝好き〟な一人のプロデューサーからの意見として、きちんと対応してもらえるのではないか。
私のありったけの〝大好き〟を詰め込んだ資料『ポプマスマイユニットシート』の計画が、動き出した瞬間だった。
届くことを願って
〝恋鐘ちゃん〟が〝恋鐘〟になってしまった翌日、私は早速『ポプマスマイユニットシート』を一から作り始めた。
どんな情報を入れるべきか、どんなことを書きたいかを考えながら必要な項目を紙に書きだし、久々に触れるWordの使い方を少しずつ思い出しながら、小一時間ほどでテンプレートを完成させた。
見開き2ページで、1ユニット分のテンプレートを一二ユニット分、計24ページを家のプリンターで印刷した。
今からここにある空白全てを、手書きで一つずつ埋めていく。
文字も一緒に印刷してしまえば、もっと楽なのかもしれない。
文字を手書きにした理由は、より熱意を伝えたかったという思いももちろんある。
けれども一番の理由は、心から楽しい気持ちで、この『ポプマスマイユニットシート』を書きたいと思ったからだ。
お問い合わせとして送るものとはいえ、悲しい気持ちや辛い気持ちだけでこれを書いていたら、私の中にある〝好き〟の気持ちは、絶対に運営さんには伝わらない。
小学生の時によく書いていたプロフィール帳のように、たくさん並んだ項目が、一つ、また一つと埋まるたびに感じるワクワク感や、渡す相手のことを考えながら書き進める楽しい気持ちを、私はこの『ポプマスマイユニットシート』で特に大事にしたかったのだ。
それからというもの、私は毎日、朝から晩までのほとんどを『ポプマスマイユニットシート』の制作に費やした。
手首に湿布を貼り、腰にコルセットを巻き、痛み止めを飲み、寝食を削り、魂をかけて机に向かい続けた。
心浮き立つクリスマスにも資料を書き続け、2021年の大晦日は、ミリシタの年越しカウントダウンをバックに『ポプマスマイユニットシート』を書き連ねながら、新たな年を迎えた。
さらに、年が明けた2022年一月2日〜9日。
ミリシタでは、律子も登場する『Clover‵s Cry ~神と神降ろしの少女~』のイベントが開催されることとなった。
私は資料を書きながら、手首の痛みに耐えながら、歌唱メンバー5人分の衣装を全て獲得出来る90000ポイントまで、しっかりとイベントを走りきった。
イベントが終わる頃には、手首も腰も心もボロボロで、もう椅子に座ることすらままならない状態だった。
それでも諦めずに、私は書き続けた。
椅子に座れない時には、布団の上で横になって書いた。
どうしても書きたいことが浮かばない時は、同封する手紙の下書きをスマホで書き進めた。
手首の痛みや猛烈な体のだるさと戦う日もあった。
「何で私はこんな無茶な計画を立ててしまったんだろうか」と、涙で頬を濡らす日もあった。
それでも、書き進めている時の私の中にはずっと、ワクワクとした気持ちがあった。
『ポプマスマイユニットシート』が出来あがっていくにつれて「私はやっぱり、ポプマスが大好きなんだ」ということを、改めて実感した。
その気持ちだけが、鉛のように重くなった手と脳みそと心を動かす、唯一の原動力となっていた。
それは最早、ただの趣味の活動の一つではなかった。
このシートを書いている間、私は色んなことを思い出していた。
昔よく見たテレビやマンガ。
好きな音楽にアイドルに食べ物。
最近聞いている曲に、つい見てしまうYou Tubeチャンネル。
幼い頃から抱いてきた憧れやトキメキに、大切にしている信念。
それから、辛かった過去や悔しい記憶———。
私がこれまで生きてきた二十数年の、あらゆるものを詰め込んだ。
このシートの中にあるのは、趣味の範疇で考えた、ただのアイドルプロデュースの妄想ではない。
ここにあるのは、私の人生そのものだった。
ポプマスを心から楽しめる日がまた来ることを願って、起きてる時間のほとんどは、とにかくペンを走らせ続けた。
その結果、ミリシタの『Clover‵s Cry ~神と神降ろしの少女~』イベントが終わった2日後、ついに『ポプマスマイユニットシート』の全ての項目が書きあがった。
それから休む間もなく、スマホに打った下書きを見ながら、一緒に送る手紙を書き始めた。
今回の対応によって困ったこと、悲しかったこと。
現状の体制のままでは、安心してポプマスで楽しめなくなってしまうこと。
大好きなポプマスをこれからも遊び続けたいこと。
その為に、ポプマスの呼称機能の見直しと改善をお願いしたいこと。
そして、今回の騒動がキッカケでたくさんの人が楽しみにしていた、秋月律子の月岡恋鐘に対する呼称について、可能であればもう一度元に戻すことを検討してもらえないかということ———。
書き表せる限りの〝大好き〟を綴った10000字を超える内容の手紙を、一日半で全て書ききった。
手紙が書きあがった深夜、続けて『ポプマスマイユニットシート』の仕上げに取りかかる。
今まで書いたものを全てコピーすると、各ユニットのジャケット画像を印刷していく。
出来たジャケット画像を一枚ずつのりで貼りつけ、出来たものをあらかじめ買っておいたポケットクリアファイルに入れ———制作を始めてから丸3週間、全12ユニット、計24ページの『ポプマスマイユニットシート』を、ついに完成させることが出来た。
終わった。ようやく、全てを書き終えることが出来た。
今までに感じたことのない安堵と解放感が、私の全身を包み込む。
やろうと決めたことを最後までやり切れたことに、言葉では表せない喜びと達成感で胸がいっぱいだった。
部屋のカーテンの隙間からは、すでに朝日が差し込んでいた。
そうか、もう日付が変わっていたのか。
そう思い出した私は、スマホにあるアイマスのアプリゲームに、一つずついつものようにログインしていった。
ポプマス、ミリシタ、シャニマス、デレステと開いていった後に、サイスタを開くと、画面には道夫先生のバースデー演出が表示された。
この日は一月一三日。
そうだ、今日は道夫先生の誕生日だった。
誕生日記念で実装されたアイドルエピソードを見てみると、全く知らない動画制作の分野を、意欲的に学ぼうと奮闘する道夫先生が描かれていた。
自分にとって初めてのことや、未知のことに挑戦する喜びや大変さを、この数ヶ月の間にたくさん味わってきた。
何事にも臆することなく挑戦し続ける道夫先生の姿が、辛い気持ちの中で今日まで必死に頑張った自分へのエールのように思えて、胸にグッと来るものがあった。
第四章 この声は届いた……?
きっと届くはず
『ポプマスマイユニットシート』と手紙を完成したその日のうちに、それらをまとめて入れたレターパックプラスを、株式会社バンダイナムコエンターテインメント宛で送付した。
宛名はポプマスプロデューサーの北島奈緒氏、当時のアイマス総合プロデューサーの坂上陽三氏、当時の株式会社バンダイナムコエンターテインメント代表取締役の宮河恭夫氏の三名の連名にし、封筒には赤ペンで「親展」と記載した。
こうすれば、御三方の誰かの目には、必ず入ることになる。
手紙の文面にも、握りつぶされることがないよう、連名にした旨を記載した。
仮に責任者ではなく他の部署へまわされたとしても「送り主がそれほど深刻だと認識している問題だ」と思わせる効果は十分にあるはずだ。
翌1月14日、午前10時55分。
レターパックプラスの追跡機能で、封書が無事に株式会社バンダイナムコエンターテインメントへ配達されたことを確認した。
この日には、北島さんも出演するポプマスの1周年記念直前生配信があった。
配信前までに届いて北島さんの目に入れば、配信中に何らかのアクションがあるかもしれないという希望的観測が、わずかにあった。
それが絶対的なものというわけではないのだが、元々設定していた目標にギリギリ間に合ったことに、私は小さくガッツポーズをした。
その甲斐あってか否かは定かではないが、この日の夜の生配信中に「プロデューサーからの意見をもとにアップデートを考えている」との北島さんからの言葉も伺えた。
私一人だけに向けられた言葉ではないことは理解しているが、それでも私の心はすごくほっとした。
「これでまた安心してポプマスを遊べるようになるだろう」と、今まで張り詰めていた心が少しだけ和らぐのを感じた。
これから律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びがどうなるのか、呼称機能やポプマスそのものの体制がどうなっていくのか、全くわからない。
けれども、中学時代から10年以上アイマスを見てきて、どれだけ大きな不満が出てきたとしても、長い時間をかけてそれを改善してくれるのが、アイマスの運営さんだった。
手放しに喜ぶことが出来たわけではないが、数年の時を経て律子がアイドルに戻れた時も、運営さんの頑張り自体はひしひしと伝わっていた。
一つ一つの問題に真摯に向き合おうと考えてくださるアイマスの運営さんなら、きっとかなりの時間がかかったとしても、ポプマスを取り巻く色んなものを改善してくれるはずだ。
仮に〝恋鐘ちゃん〟って呼ぶ律子がもう見られなくなってしまったとしても、今回の件をキッカケに、また同じことが起こらないように、私と同じ思いをする人が現れないようにと、ポプマスの運営さんも注力してくれるはずだ。
そして何より「何の心配事もなく安心してゲームを楽しめる環境にしてほしい」という最低限のラインだけは、必ず叶えてくれるに違いない。
その日が一日でも早く訪れるように、私は一人のプロデューサーとして、ポプマスを遊び続けよう。
そして自分の出来る範囲で〝こがりつ〟やポプマスの魅力を伝える発信活動を頑張ろう。そう気持ちを新たにした。
その気持ちを胸に、私は書きかけだった〝こがりつ〟小説に、3週間ぶりに向き合った。
気持ちが乗って筆が進み、3日ほどで完成間近まで書き進めることが出来た。
これなら、次の日には投稿出来そうだ。
そう思った数時間後、その気持ちをズタズタにする事件が起こるとは、この時の私は思いもしなかった。
1周年カウントダウンイラスト取り違え事件
2022年1月18日、日付が変わった瞬間に、ポプマス1周年カウントダウンと称して、旧Twitter上のポプマス公式アカウントから、イラストとセリフのテキストが公開された。
このイラストでは、推しの海美ちゃんと咲ちゃん、そして私の中で気になっている心ちゃんと智代子ちゃんが描かれていた。
好きなアイドル達が一緒にいる様子に、私はすごく嬉しい気持ちになった。
一連の投稿をリツイートし、さぁセリフテキストを読み込もうとワクワクした気持ちでツリーのツイートを開き直す。
しかしその内容は、私を愕然とさせるものであった。
このイラストに描かれていた海美ちゃんが、セリフのテキスト部分にはいなかった。
海美ちゃんの代わりに他の3人と話していたのは、恵美ちゃんになっていた。
そう、記念すべき一周年カウントダウン企画の1発目に、アイドルの取り違えミスが発生したのである。
調べてみたところ、どうやらこの取り違えは、ポプマスの運営側が、イラストレーターさんへ誤った発注を行ったことで取り違えが発生したらしいと推察された。
旧Twitter上のこの絵を担当されたイラストレーターさんのアカウントには、ポプマス公式アカウントからの投稿直後に異変に気づいた様子と、そのすぐ後に仕事上の連絡をイラストレーターさん側から入れた報告のツイートが残っていた。
自分の描いたアイドルの名前が〝恵美〟ではなく〝海美〟だ、ということを知らなければ、異変に気づくことも、迅速に対応することも出来ない。
それが出来たのだから、この取り違えはイラストレーターさんのリサーチミスで起こったものではなく、公式側からの発注が間違っていた可能性が限りなく高いのではないか、という見方が強かったのである。
この取り違えにより、多くのプロデューサー達の怒りと呆れが大爆発した。
合同もののゲームで一番やっちゃいけないミスを何故したのか。1周年を祝うイラストでどうしてこんな問題を起こすのか。
中には、律子の〝恋鐘ちゃん〟の件を挙げて、何でポプマスでは確認体制をしっかりしないのかと言うプロデューサーさんもいた。
イラストの投稿から19分後、ポプマス公式アカウントから発表されたお詫びの文章は、さらに驚くものだった。
その内容は、セリフテキストの恵美ちゃんの名前の方を修正するのではなく、イラストの海美ちゃんを恵美ちゃんに描き直し、修正してから再投稿をするといったものだった。
このお詫びで、イラストの方を修正する対応をとることを疑問視する声や「絵師にミスを押しつけるのか!」といった怒りの声があがり、事態がより大きくなってしまっていた。
その後、同日の午後8時に、元の絵の海美ちゃんを恵美ちゃんに差し替えたイラストと、別シチュエーションの海美ちゃんのイラストの計2枚が投稿されたことで、この事件は幕を下ろした。
何も、届いてない……?
この一連の騒動を、私は呆然と眺めていた。
私の書いた『ポプマスマイユニットシート』と手紙は、配達が完了してからすでに4日が経っている。
いくら何でも、送付物には目を通してもらえているはずの頃合いだ。
なのに、何で今目の前でこんなことが起こっているのか?
4日前の生配信で北島さんが言っていた言葉は、一体何だったのか———?
いや待て、落ち着け。
4日だったら、まだ忙しくて目を通せていない可能性だって考えられる。
それに、イラストやセリフの発注自体は、かなり前にあったであろうことは流石にわかる。
私が送った物を見た見ないにかかわらず、それは防ぎようがなかった、仕方のないことである。
だが、そうは言っても、あの1周年記念ツイートに関しては、それぞれの届いた成果物を確認し、公開前にミスに気付くこと自体は出来たのではないか?
気づいてさえいれば、公開前に成果物の差し替えや投稿の延期/中止などの対処をすることだって出来たのではないか?
封書を送った時「ポプマスの体制が、短期間で大きく変わることはないだろう」とは思っていた。
だがそれは、システムや機能面の改善など、ゲームの根幹に関わる部分の話である。
チェックを入念にするといったヒューマンエラーや、アイドル一人一人のことを大切にしようといった心の持ちようは、すぐにでも変えることが出来る部分のはずだ。
けれども、何も変わっていなかった。
決して自分が特別な人間だと驕る気持ちはさらさらないけど、あの『ポプマスマイユニットシート』と手紙には、自分の込められる限りの律子達やポプマスへの〝好き〟を込められたと思っていた。
「いくら何でも、あれを見て何とも思わないという人間は流石にいないんじゃないか」とも思っていた。
でも、何も変わらなかった。
『ポプマスマイユニットシート』が運営さんのもとに届いているのかは定かではないが、少なくとも〝恋鐘ちゃん〟呼びの件で、多くのプロデューサー達の悲しみや怒りの声がちゃんと届いてさえいれば、1周年の大事な企画で、大切なアイドルを蔑ろにするようなあんなミスは、起こらなかったはずだ。
それでも、何も変わらなかったのだ。
———本当にあの『ポプマスマイユニットシート』は、読んでもらえるのだろうか?
私が送った物と今回の事件に、何の相関性もないことは理解している。
だとしても、3週間という時間と13年間の〝大好き〟を込めて書いて、それを送った直後に出されたものがこれだと考えると、流石にげんなりしてしまう。
それから数日後、株式会社バンダイナムコエンターテインメントへ封書を送り、1週間以上が経過した。
しかし、バンナム側からの返答は、何もなかった。
ポプマスのお知らせ欄や旧Twitterの投稿でも、律子の呼称の件に関する謝罪は、一言も出なかった。
封書で何らか届く———とまでは大きな期待していなかった。
それでも、せめて何らかの謝罪だけは、どこかの場で出て来てほしいと願っていた。
けど、それすらも出なかった。
あれだけ必死になって伝えようと頑張った思いは、本当に、何も届いていなかったのだろうか?
ここまでやって何も変わらないのならば、いっそのこと、バンナムの会社だけじゃなくて、アイドルのことを大切に思いながら演じてくださっている声優さん達に「こんなことがあったんです!」「何とかしてください!助けてください!!」なんて言った方が、巡り巡ってちゃんと運営さんにも伝わるんじゃないかとさえ思えてきた。
———いや待て、待つんだ。一度冷静になろう。
そんなことしたら、声優さんが迷惑じゃないか。
落ち着け、落ち着くんだ、私。
自分で自分を諫めながら、突拍子もない考えを必死になってかき消した。
もっと大きな〝好き〟じゃなきゃ
取り違え騒動の渦中、迷う気持ちもあったが、私は完成した初の短編小説をPixivに投稿し、『ポプマスマイユニットシート』とテンプレートもTwitterで公開した。
ポプマスに対する不満が広がる中でも、少しでもポプマスへの前向きな思いや〝こがりつ〟のワクワクする気持ちを、誰かのもとへ届けたかったのだ。
投稿した小説には、色んな人からあたたかな反応を頂けた。
『ポプマスマイユニットシート』も、十数人のプロデューサ―さんが書いてくださった。
ほんの少しだけ、心が洗われたような気がした。
しかしながら、心の奥底にある曇った部分は、依然として晴れないままだった。
一生懸命に伝えた思いが、クレーマーの文句としてしか見てもらえなかったのかもしれない。
一人のプロデューサーだと、思ってもらえなかったのかもしれない。
あの取り違え事件から、私は自分を強く責めるようになった。
『ポプマスマイユニットシート』は、私の中の〝好き〟の気持ちをいっぱいに詰めて、運営さんに送ったはずだった。
その気持ちが届かなかったのだとしたら、それよりももっと大きな〝好き〟が伝わるような形のもの届けなければ、何も変わらないということになる。
何も変わらなければ、律子達のことをぞんざいに扱った運営さんの対応が、正しいものだったということになってしまう。
一人のプロデューサーとしての私が抱いている、律子やアイマスを〝好き〟な気持ちが、全部無駄なものだと否定されたままになってしまう。
ポプマスを心から楽しむことが、二度と出来なくなってしまう。
私にとって唯一無二の〝アイマス〟という居場所に、居続けることが出来なくなってしまう。
それだけは、絶対に防がなければならない。
では、どうすれば『ポプマスマイユニットシート』よりももっと強く、私の〝好き〟な気持ちを伝えることが出来るのか。
そう考えた時に、今まで何度も頭の隅をよぎりつつも、ずっと目を背け続けていた存在と向き合うことになった。
それは「絵を描くこと」だった。
まず最初に思い浮かべようとしたのは〝余所行き〟の理由である。
やはり、旧Twitter上で見られやすいのは、画像媒体———特にイラストである。
書き始めた小説自体はこれからも作品を出すとしても、現実的な話、やはり小説とイラストでは、広範囲にリーチ出来る力が桁違いである。
イラストの創作活動を通じて〝こがりつ〟のファンを効果的に増大させ、さらに私が神絵師と呼ばれるまでに自分の腕を磨いていけば、界隈も自然と大きくなる。
それは、この呼称の件に関しての味方を増やすことに直結するし、今回の対応に反対する大勢の声や二人の関係性の大きな需要を運営さんに提示することが出来れば、謝罪の掲出や二人の展開を検討してもらえる可能性が高まるかもしれない———なんて理由も、全くないと言ったら嘘にはなる。
けれども、それだけではただの建前の理由にしかならない。
この考えの最も核の部分にある理由は、私自身の過去に大きな要因があった。
第五章 理由あって、絵師
唯一のお願い
小学生の頃の私の将来の夢は、マンガ家だった。
特段絵が上手かったというわけではないのだが、ただ純粋に絵を描くのが楽しかった。
しかし、私が小学4年生の時。
私のクラスには、可愛くてオシャレな、ある女の子がいた。
そのルックスを映したかのように、とても可愛らしい絵を描くのが印象的だった。
その子は、私が休み時間に自由帳に絵を描いてると「下手クソ」と言ってきた。
何度も何度もそう言われ続けるうちに、次第に絵を描くことに、恐怖心と恥ずかしさを抱くようになった。
思い通りに描けないことが悔しかった私は、母に「絵の習い事がしたい」とたびたびお願いしていた。
子供の頃の私は、一般的な同世代の子と比べたら、色んな習い事をさせてもらえていたと思う。
塾や音楽系、体操系など、私からお願いしなくても、これはどうか、あれはどうかと、母が持って来た色んな習い事の中から、自分の肌に合いそうなものに何となく通い、何となく続けたり辞めたりしていたような習い事がいくつもあった。
そんな中、私がやってみたいと自分からお願いしたのは、唯一イラストの習い事だけだった。
しかし、私が子供だった当時の絵の仕事は、稼いで食べていける人がほとんどいないものという認識が、まだ強い頃だった。
加えて、母は私には絵の才能がないと、鼻から決めつけていた。
「絵はある程度の才能がなければ、どれだけ練習してもプロのように描けるようにはならないもの」というのが母の認識だった。
確かに、周りの人から上手だと思ってもらえるような画力やセンスを私が持ち合わせているとは、自分でも思えなかった。
私は、母に何も言い返すことが出来なかった。
その後も「イラストが描けるようになりたい」「どこかの絵画教室に通わせてほしい」と、何度も母にお願いした。
だが、私からどれだけお願いしても、絵だけは学ばせてもらうことが出来なかった。
現代であれば、スマホを使って検索サイトや動画サイトで絵の描き方を調べれば、簡単にそれなりの知識がわんさかと出て来るかもしれない。
だが、まだインターネット自体が発展途上だった時代、まだ子供だった私の手に届く有益かつ実践可能な情報は、何もないに等しかった。
現状を打破する為に
それでも、私は絵の勉強をすることを諦めきれなかった。
中学受験を強要された際に「この学校は文武両道で、部活動にも力を入れてるところよ」と言われた学校を受験し、入学することにした。
中学校の部活動は、小学校のクラブ活動とは違い、しっかりと本格的な活動があるはずだ。
運動部の人達が先輩や先生から技術向上の為のアドバイスを受けているのを、ドキュメンタリー番組やテレビドラマなどで、何度か目にしたことがある。
それなら、中学校の美術部に入れば、絵の描き方を詳しく教えてもらうことが出来るはずだ。
その上、部活動を精力的に行っている学校、しかもより多くの資金をかけている私立校となれば、もっと専門的かつ丁寧に教えてもらえるに違いない。そう私は考えたのだ。
しかし、いざ美術部に入部してみると、その期待はいとも簡単に崩れ去ってしまった。
最初こそ、美術の先生が教室に来て色んな話をしてくださっていたが、体験入部の期間が終わると、先生はほとんど教室に来なくなってしまった。
なんと、私が入学した中学校の美術部は、みなそれぞれが好きなように描きたいものを自由に描くスタイルで、絵の描き方を教えてもらえる機会が全くない部だったのだ。
てっきり中学校の部活動は、何らかの目的に沿ったそれなりの指導が受けられるのが一般的だと思い込んでいた。
予想外の運用形態に、私は呆気に取られてしまった。
さらに、私にとって想定外なことは、もう一つあった。
中学受験により、色んな場所にいた同い年の子達が一つの学校に集まった影響だったのか、私の学年には、マンガやイラストの上手な子が、小学生の時よりもかなり多かった。
しかも、その誰もが、私の通っていた小学校にいた絵が上手い子達よりも、圧倒的に画力が高かった。
それは、美術部に入った子だけに限らず、どうやら私の入学した学年だけ特にオタク系の子が多かったのか、本当に絵の上手い子が、どのクラスにもゴロゴロいるような状況だった。
今までに見たことないくらいに絵が上手い同級生達に囲まれた環境に入ってしまった結果、私は、絵を描くことが余計に怖くなってしまった。
私が美術部に入りたての頃。
同学年の子達と遊びのような雰囲気で「適当に一つのお題を決めて簡単な絵を描こう」となった時があった。
何の躊躇もなくサラサラと描いていく同級生達と、各々の紙に出来あがっていく整ったイラスト達。
それを横目で見ているうちに、私は頭が真っ白になり、手が動かなくなってしまった。
結局、私だけ何も描くことが出来ないまま、みんなの輪の少し外側で小さく縮こまっていたことを、今でも鮮明に覚えている。
私がアイマスに出会ったのも、ちょうどこの頃だった。
初めて好きになったのは、当時の私と同じ、まだ中学1年生のやよいちゃんだった。
一人だけ遠くの私立の学校に通うことになって寂しかった私にとって、元気で明るい同い年のやよいちゃんは「友達になりたい」と思っていた女の子だった。
放課後におしゃべりをしながらやよいちゃんと一緒に家へ帰るのが、この時の私の密かな夢だった。
アイマスに興味を持つようになってから、やよいちゃんを始めとした765プロのアイドル達を、頑張って描こうとしたこともしばしばあった。
でも、やっぱり思ったようには描けなかった。
可愛く描いてあげられないことがやよいちゃん達に申し訳なくて、自分から絵を描くことはどんどん少なくなっていった。
憧れの魔法使い
あまり絵が描けなかった私だが、同じ美術部の中で、一人だけ特に仲良くなった女の子がいた。
その子は、私と違ってすごく絵が上手かった。
時間さえあれば、自作のマンガをノートに描いていたのを今でも覚えている。
その子がシャーペンを握ると、ノートの上をシャーペンが走り、楽しそうに踊った。
みるみるうちにキャラクター達が現れ、紙の中でいきいきと動き出した。まるで魔法のようだった。
その子がマンガを描く様子を横から眺めるのが、中学時代の私の一番の楽しみだった。
ノート一冊分がマンガで丸々埋まったタイミングで、私は決まって「ノート貸して!」とお願いをする。
その子の許しを得た上で、家のプリンターで全ページをコピーし、ポケットファイルにファイリングして、何度もその子のマンガを見返していた。
私にとってその子は、憧れの魔法使いだった。
けれども、その子の描く絵や物語は、どれも楽しくて、面白くて———素敵過ぎた。
全然描くことが出来ない私には、その子の姿があまりにも眩し過ぎた。
「やっぱり私には、絵を描くのは向いてないのかもしれない」と、その子の隣にいて思ってしまった。
毎日毎日、魔法使いの魔法をとなりで見ているうちに、私は自分のマンガ家の夢を諦めてしまった。
それと同時期に、私の担当アイドルが律子さんになった。
花火大会で花火を見ながら「マグネシウムやアルミニウムの光輝剤が輝いてますよ」と言う律子さんを見た瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
お腹を抱えて笑い転げながら「たぶん私は、これからの人生をずっと律子さんとともに歩いていくことになるんだろうなぁ」と本能的に確信した。
無理やり中学受験をさせられて、勉強ばかりしなければならなかった当時の私にとって、可愛い・頭が良い・面白いの三拍子が揃った律子さんは、全ての魅力を兼ね備えた、スーパーハイパーアイドルだった。
「私もいつか、律子さんみたいな素敵なお姉さんになりたい」と、私の憧れの存在になった。
そんな律子さんだったから、私が夢を諦めた中でも「大好きな律子さんを頑張って描けるようになりたい」と、何度か勇気を出して挑戦したことがあった。
もしも律子さんが可愛く描けたら、もう一度マンガ家の夢に向かって頑張れるかもしれない。
ステージで『魔法をかけて!』を歌い踊る律子さんは、本当に魔法がかかっているようにキラキラと輝いていた。
その魔法で、私の背中を押してほしかった。
本当は私も、魔法使いになりたかった。
でも、やっぱりいつも、私が描いた律子さんは、紙に貼りついたような引きつった表情をしていた。
ステージの上の律子さんは、もっと幸せそうな笑顔だったのに。
普段の律子さんは、表情が豊かで、もっといきいきしているのに。
本当は、もっと可愛らしい律子さんなのに。
私じゃ、描けない。私じゃ、律子さんに魔法をかけてあげられない。
自分の描いた律子さんを見ていると、自分のことを「寸胴」とか「可愛くない」とか「私なんかよりも~」なんて言ってる時の律子さんが、私の心の中に入ってくるような気がしてしまった。
貼りついた顔の律子さんを何度も見ていたら、もう完全に、私は絵を描くことが出来なくなってしまった。
あらゆるものから逃げるように
絵を描かなくなった影響で、美術部では次第にいじめられるようになった。
マンガの上手な魔法使いのあの子も、学年が上がって他の子達とも仲良くなったのをキッカケに、一緒に私をいじめるようになった。
私は、いじめはどんな理由があっても許されない行為だと思っているし、100%悪だと思っている。
だが「美術部なのに何も描いていなかった」という理由から、この時の私は、「いじめられても当然で、文句が言える立場ではない」と思い込んでいた。
美術部でのいじめや、他にも色んな人間関係の悩みを抱えていた時も、私の心を支えてくれたのは、律子さんやアイマスの存在だった。
「クリスマスプレゼントを遅らせて買ってよ!」とねだった『THE iDOLM@STER SP ミッシングムーン』は、中1の2月に買ってもらって以来、何度も何度も律子さんをプロデュースした。
You Tubeやニコニコ動画などの動画サイトで、たくさんのプロデューサーさん達が生み出す色んな律子さん達を見て、胸がワクワクした。
お小遣いを貯めて律子さんのCDを買い、他の子のCDはレンタルCD屋さんへ母と一緒に行って、毎週何枚かずつ借りてたくさん聞いた。
一番好きなCDは、やっぱり『魔法をかけて!』の律子ソロが入っている『MASTER ARTIST』(通称:MA)だが、最も印象に残っているのは『MASTER SPECIAL』(通称:MS)である。
このCDのジャケットが公開された時、私は熱を出して学校を休んでいた。
熱が少し落ち着いて、母のお許しを得られて、やっと日本コロムビアの公式サイトを見られたのだが———あの背中のパックリ開いたドレスは、中一だった当時の私には刺激が強すぎて、直後にまた熱がぶり返し、もう数日学校を休むハメになってしまった。
中学生時代に楽しかった思い出のほとんどは、アイマスの思い出だった。
いじめや人間関係でしんどかった時、アイマスが私を励ましてくれた。
中学時代の私が唯一ほっと出来る居場所が、アイマスだった。
舞台に立って歌い踊る律子さんが、私の心を支えてくれた。
「これからもアイドルの律子さんがいてくれれば、私はどんなことがあっても頑張れる!」
そう私は思っていた。そんな毎日が、ずっと続くものだと私は思いこんでいた。
そんな最中、私が中学3年生の時。2010年9月18日がやって来た。
この日の私は、文化祭1日目だったこともあり、家に帰るとそのまま寝てしまった。
私が事を知ったのは、その翌日の文化祭2日目が終わった後のことだ。
「律子さんがアイドルを辞めて、プロデューサーになる」
そのことを知った時、私は目の前が真っ暗になった。
色んな人で楽しく賑わっていたニコニコ動画では、投稿された動画の数々に、悲嘆や怒りのコメントが溢れ返っていた。
15年間生きてきた人生の中で、私が初めて目にした〝炎上〟だった。
私の心の支えになっていたアイドルの律子さんも、毎日の辛さを癒してくれた唯一の居場所も、そのどちらもが一瞬でなくなってしまった。
この日を境に、私はどんどん荒れていった。
中三の冬休みには、一切学校の宿題に手をつけず、3学期の始業式前日に、親にバレないようにこっそり荷物をまとめて家出してしまった。
中2の時に転校してしまった、親しかった数少ない同級生の年賀状を引っ張り出し、そこに書いてあった住所をパソコンで検索し、出てきた地図と行き方をプリントアウトした紙をポケットに入れて、初めて行く同級生の家へ向かった。
定期券では行けない場所へ一人で電車に乗って行ったのは、この時が初めてだった。
翌日、両親が同級生の家まで迎えに来て、進路について話し合うことになった。
その結果、私は附属の高校へは進学せず、外部の高校に入学することとなった。
高校生になってからは、美術部ではない、絵とは全く関係ない部活に入った。
芸術の選択授業も、私は美術を選択しなかった。
とにかくすぐにでも〝絵を描くこと〟から逃げたかった。
しかし、それからもたまにふと思い立って、絵を描こうとしたことはあった。
けれども、シャーペンを握ってみては、やはり上手く描けず、ほとんどの場合で最後まで描ききることは出来ないまま諦めてしまった。
ごく稀に完成まで描けることもあったが、納得のいく出来には程遠く、続けていって上手くなるとは到底思えなかった。
その後も、描こうと思ってはみるものの、途中で諦めて、また描きたいと思っても描けずに諦めて———というサイクルを度々繰り返す高校時代を送っていた。
もしも絵が描けたなら
絵に対する気持ちに変化が訪れたのは、私が23歳の時にミリシタで開催されたキャスティング投票イベント『THE@TER CHALLENGE』(通称:TC)である。
TCを機に、律子の魅力を発信する為に、私は旧Twitterでの発信活動を積極的にするようになっていった。
活動自体はとても充実していたし、たくさんのプロデューサーさん達と交流を深められるのは嬉しかった。
そんな中、ある思いが再び私の胸に宿るようになっていった。
それは、かつての絵に対する憧れである。
旧Twitterを頻繁に見るようになって以降、TLには色んなプロデューサーさん達の描いた絵が、たくさん流れて来た。
先述のTCでも、絵を描けるプロデューサ―さん達が描いた、担当アイドル達の役柄に関するイラストがそこかしこで見られて、とても盛り上がっていた。
熱心にPRを頑張っていた私も、律子の為にと簡単なイラストを描いたりした。
けれども、それは私の描きたい全力の絵ではなくて「自分でも描けそうな、あんまり失敗してると思われないような絵柄に逃げて描いた」という側面が強かったように思う。
だからこそ、プロのマンガ家さんやイラストレーターさんのような美麗なイラストが描ける他のプロデューサーさん達を、内心羨ましく思っていた。
TCが終わった後も、TLで色んな絵を目にするたびに「私も上手く描けたら、律子のことをもっと色んな人に見つけてもらえるかもしれないのに」と思うようになっていった。
日を追うごとに、プロデュース活動に打ち込んでいくほどに、その気持ちは次第に強くなっていった。
しかしながら、どれだけその思いが強くなっても、私の画力や才能が変わるわけではない。
私の中にある過去の色んな記憶を思い返してみても、どれだけ練習をしても私の絵が上手くなるなんて、どう考えても想像が出来なかった。
やはり、自分には無理なのだ。
憧れは憧れのまま、変わることは出来ないのだ。
そうやって今までと同じように、私は自分の気持ちから、ずっと目を逸らし続けてきた。
私にとっての絵
私にとっての絵は、本当はやりたかったけど出来なかったものであり、自分に出来るわけがないと思い込んで、目を逸らし続けていたものでもある。
私にとって描くことは、全く適性のない、ただただしんどさだけしかなく、けれどもずっと憧れ続けて来たものである。
私は、絵のセンスも才能も知識も、最後まで描ききる気力や根性すらもない。
絵を描く為に必要な能力や気持ちを、一つたりとも持ち合わせていない人間である。
そんな人間が、一から絵に挑戦する。
ずっと諦め続け、目を背け続けていたことを、しんどく、苦しく、キツい思いをしながら、膨大な時間をかけて、絵に向き合う。
そして少しずつ、一見すればわからないほどのわずかに、けれども確かに一歩ずつ、上達する。
その姿を見せることで、律子達やアイマスが〝好き〟な思いと「これだけ本気になるほどに私は怒っているんだ」ということの、その両方を運営さんに伝えることが出来るのではないかと考えた。
以前どこかの場で、ある人がこんな話をしていたのを覚えている。
「どんな高価なプレゼントよりも、手紙をもらえるのが一番嬉しい」
「上手な字じゃなかったとしても、私のことを考えながら一生懸命に手紙を書いてくれたその時間も、一緒にプレゼントしてもらえたように思えるから」
ファンレターについて話したこの人の言葉は、絵を描くことにも当てはまるのではないかと私は思う。
たった1枚の絵を完成させるだけでも、膨大な時間がかかる。
一人のアイドルを描く為に、資料を集め、過去のコミュを見返し、完成までの全ての時間をそのアイドルと向き合い続けることに注がなければいけない。
相手のことを考えながらファンレターを書く時と同じように、その絵を描くのにかかった時間と、完成までの間にそのアイドルと向き合い続けた事実は、そのアイドルやコンテンツに対する〝好き〟な思いとして、相手に伝わるのではないか?
しかもそれを、絵を描くことが全く出来ない人間が、一度は諦めたそれに再び立ち向かおうと挑戦するのである。
私が絵に苦手意識を持ち始めた小学4年生の年は、ちょうどアケマスが稼働を開始した年だ。
それから多くの新しいブランドやゲーム、そしてアイドル達が生み出されていき、アイマスが15周年の年を迎えるまでの間、私はずっと一歩を踏み出せなかったのである。
その私が、15年経った今、もう一度絵に向き合おうと決心するのである。
律子が〝恋鐘ちゃん〟と呼んだ嬉しさが、その呼称に関してぞんざいな対応をされた悔しさが、それを〝大好き〟な律子達やポプマスでされてしまった怒りが、それだけ大きく私の心を動かすことなのだと———運営さんに強く訴えることが出来るのではないか。
だからこそ、私は絵を描かなければと思った。
だからこそ、小説ではいけなかったのだ。
〝恋鐘ちゃん〟呼びがまだ修正される前、私が〝こがりつ〟を布教する為に何か出来ることはないかと思った時「文章だったら、まだ私にも出来るかもしれない」と考えて始めた小説では、ダメだったのだ。
まだあの時でさえ「どうせ私に出来るわけない」と、無意識に自分の選択肢から外してしまっていた、イラストでなければならないのだ。
私がこの声を伝える為の唯一にして最強な手段は、絵を描くこと以外あり得なかったのだ。
確実に思いを伝える為に
この挑戦を始めても、努力が実を結ぶまでには、気が遠くなるほどの時間がかかるかもしれない。
それが1年でも、3年でも、5年10年かかっても、おばあちゃんになるまでかかったとしても、己の命が尽きるまで、この気持ちを伝える為に私は絵を描き続けたい。
地を這いつくばってでも、血が滲むような日々を送ることになっても、自分のこれからの人生の全てを投げ打つことになってでも———絶対に上手くなって、私の〝好き〟の強さを運営さんに伝えたい。
それほどの人生を懸けた思いを伝えるのである。今度こそ、運営さんに無視されてはならない。
けれども、私がどれだけ頑張ったとしても、それを見てもらえすらしなかったら、何の意味もない。
前回のお問い合わせは、起こった対応について直接言及するのがメインだった。
しかし今回は、それに付随する形で、間接的なものである。
そうなれば、前回以上に見てもらえる可能性は、多かれ少なかれ下がると考えて間違いない。
だとすると、絶対に運営さんが無視出来ない状況にするには、どうすれば良いか?
そう考えた時に、少し前に不意に考えていたことを思い出した。
私の描いたイラストを、運営さんだけでなく、声優さんにも同時に送るのはどうだろうか。
前回のお問い合わせで、私が窓口ではなくコンテンツのプロデューサーや会社の責任者へ封書を送ったのは、内々の中で都合が悪いと揉み消されてしまっては困るというのが最たる理由だった。
しかしながら、会社のトップの人物にまで送ってもなお、あの取り違え事件は起きてしまった。
絶対にやってはいけないレベルの、けれどもしっかりとチェックするだけで簡単に防げたレベルのミスである。
最早あの会社にのみ問い合わせを送ったって、それを真面目に検討しようと考えるような会社ではないと、そう思えてならなかった。
ポプマスの運営だけでなく、株式会社バンダイナムコエンターテインメントに対する信用まで、私の中では地に落ちてしまったのだ。
けれども、運営さんとは別の立場から、アイマスを生み出すのに関わっている人達もいる。
その最たる存在が、声優さん達なのではないかと私は考えている。
アイマスというコンテンツは、アイドルを演じる声優さんとの繋がりがとても密接なコンテンツである。
その影響もあり、声優さん達のアイドルへの強い思い入れを実感する機会が、他のコンテンツと比べて圧倒的に多くある。
きっと私達が思っているもっと何倍も、声優さん達はアイドル達を愛しているし、ゲームやアイドルを生み出し発信する運営さんと同じくらいに、アイドル達とことを深く考え続けているのが、声優さんのはずだ。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びに関わる一連の対応や、一周年イラストの取り違え事件、それらに対するプロデューサー達の悲しみや憤りを知った時。
アイドルのことを誰よりも大切に思っている声優さん達は、一体どういう反応をするか———少なくとも、プラスの感情にはまず間違いなくならないだろう。
だからこそ、もしも運営さんが私の送った声に対して「そんなの知らない」「何も受け取ってない」としらを切った時。
同じものを受け取っていた声優さん達が「そんなことはない」「この子はこういうものを送って頑張り続けていた」と証言してくれるのではないか。
そう私は考えたのだ。
と言っても、ここまでに語った全てを、声優さんに説明するわけではない。
そんなことしたら、最初に思いついた時に考えたように、戸惑って迷惑になってしまうことくらいはわかる。
運営さんとは違い、声優さん達に関しては、詳しい経緯を全部話すつもりは一切しない。
仮に説明するとしても、どこまで情報を開示するか、あるいはしないのかを、しっかり検討して決めるつもりだ。
仮に声優さん達へ何の説明もしなかったとしても、ただ絵の練習記録を見続けてもらうだけで、十分な効果が得られるのではないかと私は考えていた。
何故ならば、この絵を描く抗議活動には、大きな利点が二つある。
一つは、こちらから何の説明もしない限り、声優さん達からはただのファンレターにしか見えない点である。
もしも今、私の胸に渦巻いている怒りや悲しみを、そのまま不満や文句としてSNSにぶちまければ、他のプロデューサーさん達にとっても運営さんにとっても、そして声優さんが見たとしても、不快なものにしかならないだろう。
けれども、その気持ちを私の〝好き〟の思いと一緒にイラストという形にして投稿すれば、誰も嫌な気持ちにはならないはずだ。
同じように、仮に何も伝えずに私の描いた絵を送ったとしたら、それを受け取った声優さんは「アイマスのプロデューサーさんが頑張ってアイドル達を描いてくれたんだな」としかきっと思わない。
ただ自分の描いた絵を送っているだけでは、声優さんに何か大きな影響が及ぶものにはなり得ないだろう。
もう一つは、この状況によって運営さんへ適度なプレッシャーをかけられる点である。
声優さんからはただのファンレターだが、こちらから全ての事情を説明している運営さん側からはそうは見えない。
声優さんへただ絵を送って見てもらっているだけの時には、何も問題ないかもしれない。
けれども、誰よりもアイドルを大事に思っている声優さん達へ、今回のポプマスの件を私から知らされたら、どうなるだろうか。
しかもそれが、呼称や他のアイドルとの関係性というような、声優さんがお仕事をする上でも重要な領域に関わる問題だとしたら———おそらく、声優さんから何らかの提言が挙がる可能性も出てくるだろう。
もちろん、そうなることは運営さんにとって不都合だ。
だからこそ、声優さんという潜在的な〝証人〟の存在は、運営さんにとって適度な脅威となり、しっかりと対応する必要が出てくるはずだ。
声優さんから見れば普通のファンレターだが、運営さんから見れば必要に迫られるお問い合わせであり抗議活動。
けれども、そこにあるのは文句や不満などのマイナスな感情だけではなく、律子達やポプマスへの〝好き〟の思いが存分にこもっている。
私の描く絵を通し、表裏一体の絶妙な塩梅で「抗議に見えない抗議活動」が成立するのである。
これだったら、誰も嫌な気持ちになることなく〝好き〟の思いとあの時の辛さや悲しさ、そのどちらの思いを込めた私の声を運営さんへ届けることが、実現出来るはずだ。
ここまで思いついたところで、もう一つ重要なことを考える必要性が出てきた。
運営さんと並行して絵の練習記録を送る声優さん———〝証人〟を誰にするか、という部分である。
どうするべきかを私の中でかなり悩んだ結果、本件の中核にいる私がポプマスで組んだマイユニット『センセイ以上、トモダチ未満。』のメンバーであるアイドルを演じる声優さん———秋月律子役の若林直美さん、月岡恋鐘役の礒部花凜さん、安部菜々役の三宅麻理恵さんの3人にするのが良いのではないかと考えた。
若林さん———殿と礒部さんは、渦中の二人である律子と恋鐘ちゃんの中の人だから、この二人はまず外せないだろう。
三宅さんに関しては、送るか送らないかでかなり迷った。
菜々ちゃんが律子と恋鐘ちゃんと同じユニットなのは私の妄想の中だけの話だけで、実質的には無関係である。
だからこそ、とても悩んだ。
けれども、三宅さんはポプマス宣伝大使も務めていた上に、アイマスへの愛や造詣が深いことでも有名だと存じ上げている。
だからこそ、三宅さんにも送りたいと思ったのだ。
3人であれば、少なからず多すぎず、ちょうど良い規模感の人数だ。
そして何より〝大好き〟な律子と恋鐘ちゃんと菜々ちゃんを演じている御三方だったら、いつか本当の理由を知った時でも、きっと私の持つこの気持ちを蔑ろにしないでもらえるかもしれない。
何の根拠もないけど、この時の私にはそう思えて、言いしれない気合がお腹の底から湧き上がってくるような感覚があった。
私は今から、もう一度絵を描く。
毎日少しずつ描いて練習を重ねて、少しずつ上達してみせる。
その過程を運営さんや声優さんに提示することで、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びへの思いや律子達やポプマスが大好きな気持ち、そして一連の対応への辛さを表し続ける。
私が絵を描き続ければ描き続けるほど、上手くなれば上手くなるほど、その気持ちがどれだけ大きなものかを、誰かが嫌な思いをすることなく伝えられるはずだ。
これが私の、一人のプロデューサーとしての、出来る限りの抗議である。
やってやる。絶対に、上手くなってやる。
私のささやかで、けれども大きな反逆の炎が、狼煙をあげた瞬間だった。
第六章 目標とはじめの一歩
目に見える目標
絵の練習と上達を通じて、私の気持ちを運営さんに示す抗議活動をすることは決まった。
しかしながら、このままでは目標がぼんやりし過ぎている。
どれだけ私自身に大きな志しがあったとしても、ただ漫然と絵を描いて出されるだけでは、見る側の印象に残らない。
絵に対する評価や好みは人それぞれである。
そんな中で、明確に自分の絵のレベルが上がっていく様を、効果的に提示しなければいけない。
その為には、わかりやすい目標が必要である。
どうするべきかと考えながらぼーっと旧Twitterを見ていると、TLにある広告が流れて来た。
それは、京都のとある通信制大学のものだった。
そこにはイラストレーションコースがあり、一切通学をせず、完全オンラインでイラストを学ぶことが可能とのことだった。
目から鱗だった。
芸術分野を学べる学校といったら、絶対に対面で学ぶのが当たり前だと思い込んでいた。
正式な大卒認定が取れる美大や芸大の中で、完全オンラインで勉強出来る大学というのは、私の知る限りではこの学校が唯一だった。
この時の私は、少しずつ外へ出られるようにはなってきたものの、遠くへ一人で長時間外出するには、まだ難しい状態だった。
だからこそ、全ての課程をオンラインで学べる授業形態は、私にとってかなりの好都合だ。
しかも、一般的な美大や芸大では、年間で数百万円の学費がかかるところ、この通信制の芸大は、年間で30万円強しかかからないとのことだった。
この額なら、現役卒業後にもう一度入り直す大学として考えるなら、ギリギリ出せそうな額である。
もっと言えば、体調を崩してしまったとは言え、会社を辞めて以来の数年間で何の社会活動も出来ていない私を、母は心底心配していた。
昔の母であれば、当然絵の勉強は許してくれなかった。
しかし、体調を崩してほとんどの外出を制限された上に、何年も社会的活動への意欲を一切持てなかった私から「イラストを学べる大学に入らせてください」という言葉が出てきたら、母はどう思うだろうか。
———自慢すべきことじゃないのは重々承知だが、こんな状況下であれば、相当な毒親でもない限りは、親は誰しもが首を縦に振ってしまうだろう。
心象操作のようになってしまうかもしれない。
だが、これまでの私は、家でゴロゴロしながらゲームとSNSとYou Tubeを見ることくらいしか、出来ることがなかった状況だったのである。
そんな中で、意欲的な目標や活動が増えるということは、抗議や母を言いくるめる側面を抜きにしても、私にとってプラスな影響が多いのではないかという考えもあった。
授業環境、金銭面、私個人として意義のある社会活動という面でも、この通信制芸大で勉強するという手は、現実味のある手段に思える。
そして何より、大学への入学と卒業は、それなりのステータスとして示すことが出来る。
画力を上げる為のステップの一つとして、この通信制芸大に入学し、全ての課程を修了すれば、運営さんの目に見える形で「絵が上達した」という一定の成果を提示することが出来るのではないか。
そう私は考えたのだ。
しかしながら、今一度落ち着いて、慎重に考えるべき点もある。
この時はすでに1月下旬。4月から始まる次年度———2022年度の願書の〆切は、もう近々に迫っていた。
その上、まずは今の私が抱いている「絵に対する恐怖心」を払拭する必要がある。
そこをクリアしなければ、いくら大学に入学したとしても、これまでの私と同じように、怖くて絵が全く描けないままだ。
授業についていけるかいけないか以前の問題になってしまうのは、目に見えている。
であれば、もう1年先の2023年度の入学を目標にしたらどうか。
それまでの1年強の期間は、描くことへのトラウマ払拭を目指す為に、独学で絵の練習に励む。
そして、ある程度自分で絵を描くことが出来るようになってから、満を持して通信制芸大に入学する。
これならより実現可能なプランだろう。
1年後、私は芸大に入る。
その為に、1年間絵の練習をして、絵を描くことへの恐怖心を取り除こう。
私はこれを一番最初の目標として掲げ、絵の練習を始める決意をした。
やっと踏み出せた一歩
まず最初は、ノートと格闘する日々から始まった。
ノートを開き、真っ白なページに向かってシャーペンを下ろそうとすると、手が震えてしまう。
堪らずノートを閉じ、再びノートを開く。
けどやっぱり手が震え出して何も描けない。
絵の練習をすると決めた日から、そんな日々が2週間近く続いた。
このままではどうしようもない。またやろうと思って何も出来ないまま、いつものまま終わってしまう。
この状況を打破する為には、どうすれば良いのか。
考えながらふと手元に視線を下すと、そこには機能性重視のシャーペンと、少ししっかりとした作りの手帳があった。
それを見て、私は思い出した。
絵を完全に描けなくなってからの私は「絵を描くには、それに適したきちんとした道具を用いるべきだ」と考える傾向にあった。
しかし、まだ楽しく絵を描けていた小学生の頃の私は、果たして今目の前にあるような道具を使っていただろうか?
あの時の私が使っていたのは、可愛らしいキャラクターが描かれた表紙の自由帳と、何十分もかけて厳選に厳選を重ねたお気に入りの柄の鉛筆である。
ワンコインで買えるほどの価格帯だったそれは、色とりどりの可愛さを纏っていて、女子小学生だった当時の私にとって、何物にも勝る最強のアイテムだった。
それを思い出した私は、真っ先に近所の文具店へ向かった。
まず、小学生の時に使っていたような、可愛らしい表紙の自由帳を手に取った。
どうやら最近の自由帳は、一枚ずつ簡単に切り離せるようになっているらしい。
時代とともに発展したかつての相棒の姿を見て、心底驚いたのを覚えている。
次に鉛筆の売り場へ行き、可愛い模様の鉛筆を買うことにした。
途中で小学生らしき女の子達から不思議そうな目で見られる中、小一時間かけて真剣に悩み悩んで、私の心にときめく鉛筆を数本ピックアップした。
最後に、鉛筆削りの売り場に向かうと、そのほとんどが電動式の物になっていて驚愕した。
安全性の向上や、圧倒時な使いやすさが影響しての昨今のトレンドらしい。
しかし、私が小学生の頃に使っていたのは、手動でハンドルを回転させる、可愛いピンク色の物だった。
確かにあの時は、通っていた塾に置いてあった自動の鉛筆削り機に憧れ、欲しい欲しいと母にねだっては断られて、涙を飲んだ代物である。
でも、今は違うのだ。
ハンドルを自分で握ってグルグルと削る、あの鉛筆削りでなければ、小学生の私には戻れないのだ。
それから数日間、近所のありとあらゆるお店を探してかけずり回った。
その結果、家から一駅ほど離れたところにあるスーパーの文房具売り場に、たった一つだけ、あの時使っていたものによく似た、手でハンドルを回す可愛いピンク色の鉛筆削りを見つけた。
かつてのあの鉛筆削りが家にやって来ると、すぐに先日買ったばかりの可愛い鉛筆をグルグルと削り、あの頃持っていたような表紙の自由帳を開く。
鉛筆をしっかりと握り、ふぅと息を吐く。
今から私は、女子小学生になる。
26歳の私から15年以上タイムスリップして、描くことをただ純粋に楽しめた、あの頃の女子小学生の私に戻るのだ。
真っ白なページに、ゆっくりと鉛筆を落としていく。
今まで引くことすら出来なかった一本の線が、いかにも安価そうな手触りの真っ白な紙に落とされた。
少しの戸惑いを感じつつも、もう一度ゆっくりと紙に鉛筆を置く。
その後も、一本線を引くたびに躊躇ってしまう自分の手を「私は女児だ。絵を描くのが楽しくて仕方がない、あの頃の小学生女児だ」と奮い立たせながら、一本、また一本と私は描き進めていった。
そうして時間をかけて鉛筆を動かしていくと、真っ白だった自由帳の一ページ目に、紛れもない律子が現れた。
ずっと描きたかったのに、申し訳なさと辛さでずっと描くことが出来なかった律子を、最後まで描ききることが出来た。
今の私の最大限出せる力で、秋月律子を描きあげることができた。
2022年2月26日。
絵にもう一度向き合うと決意してから、実に3週間後の出来事だった。
一息ついて、紙の上の律子を改めて眺めてみる。
絵のレベル自体は、マンガ家の夢を諦めてしまった中学生の時のままだ。
客観的に見て、画力が低いと評価されるものであることには違いない。
小学生の時に「下手クソ」と言ってきたあの女の子や、中学の美術部で一緒だったあの魔法使いに見せたら、鼻で笑われてしまうかもしれない。
それでも、絵を描くようになって数年が経過した、今この文章を書いている現在の私が振り返って見ても、この時の私がこの律子を描いたことを、私は誇らしく思っている。
この律子が私のもとにやって来てくれたことに、心の底からありがとうと思っている。
この時に描いた律子は、私にとってそういう存在なのであったのだ。
方針の迷い
数年ぶりに全力を注いだ律子を描けたこの日を皮切りに、私は毎日絵を描くようになっていった。
しかしながら、活動を本格的に始められて少しほっとしたことで、私の中にはある迷いが生じていた。
それは、イラストの練習記録を送る人の範囲である。
確かに、現状ではポプマスの運営さんを信用することは、到底出来そうにない。それは事実だ。
けれども、だからといって本当に声優さんへも送るべきなのだろうか?
色んなことをたくさん考えた上で「大丈夫だ」と私の中で判断するに至った。
だけれど、まだ自分では想像出来ていないどこか別の領域で、声優さん達に迷惑がかかってしまう可能性も、もしかしたらあるのかもしれない。
お問い合わせ直後に起こったアイドル取り違え事件で、あまりのショックの大きさに「もう普通に運営さんへ声を送ったって、どうにもならないんじゃないか?」という思いは、日に日に強くなりつつある。
それでも、長い目で見守っていれば、呼称をはじめとしたポプマスのあらゆることを、運営さんが少しずつ改善していってくれるのではないだろうか?
潜在的な〝証人〟を作る目的で、声優さん達に絵を送るか否か。もう少し、時間をかけて考えてみても良いのかもしれない。
ちょうど良いことに、これから描いていく絵は、1ヶ月単位でまとめて各所へ送ろうと計画していた。
イラストの練習記録を実際に送るまでには、まだ十分に考える時間がある。
毎日イラストを描いていきながら、もっとじっくりとその点を検討してみよう。
この時の私は、まだそんな風に考えていた。
だがこのわずか二日後、イラストの練習記録を声優さん達にも送ろうと決心するに至った、第三の事件がポプマスで起こってしまった。
第七章 ちづロコ事件
時間はかかるかもしれないけれど
事の発端は、ポプマスが一周年を迎えた直後まで遡る。
ポプマスでは、1周年の記念と称して「1月下旬に新規アイドルが10名立て続けに追加される」という大盤振る舞いの施策が実施されていた。
その施策の最後のガシャのメンバーとして、1月25日にポプマスにミリオンから登場したのが、二階堂千鶴だった。
この翌日、私はあるツイートを旧Twitterで目にした。
それは、千鶴さんがロコちゃんのことを呼称で呼ぶ際のスクショだった。
千鶴さんと同じくミリオンから登場したロコちゃんは、千鶴さんからいつも〝コロちゃん〟と呼ばれていた。
だが、そのスクショでは〝ロコ〟と千鶴さんが呼んでいた。
千鶴さんがロコちゃんを〝コロちゃん〟と呼ぶのは、とても特徴的な呼称で、二人のやり取りには面白さや興味惹かれる部分も多かった。
その為、この二人は〝ちづロコ〟として、多くのプロデューサーさん達から愛されていた。
その為、ポプマスで千鶴さんが〝コロちゃん〟呼びをしないことにいち早く気づいたちづロコPさん数名が、そのことを悲しんでいたのだった。
この光景を見て、私は胸が詰まるような苦しさを覚えた。
本来見られるはずだった〝コロちゃん〟の呼称を見られずに悲しむちづロコPさん達が、1ヶ月前の自分と重なって見えたのだ。
この件を引用リツイートして問題提起したい気持ちもあったのだが、私はグッと堪えた。
確かに、ついこの間『ポプマスマイユニットシート』と手紙を送ったが、それがバンナムに到着してから、まだ2週間も経っていない。
それに、私が直接封書を送った問い合わせだけではなく、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びをめぐった対応について、窓口の方へメッセージを送ったプロデューサーさんの存在も、TL上で私は確認していた。
あらゆるルートから複数件のお問い合わせが入っている状態なのだ。
現状の呼称システムや周辺の対応について、運営さんの中で議題に上がっているのは確実だと考えても過言ではないだろう。
1周年イラストの取り違え事件にかなり苛立ったのは事実だが、それはすぐにでも出来るチェック作業を怠った上で起きてしまった点に理由がある。
一番の問題として改善してほしい、呼称まわりの体制に関しては、数週間や数日ですぐにどうにか出来る問題ではないはずだ。
だとしたら、SNS上などの他のプロデューサーの目がある場所で変に事を荒立てるのは、最善最速の解決からは遠のいてしまうと私は判断した。
それと同時に「一人のプロデューサーとして出来る範囲で、ポプマスの運営さんの助けになる行動をすること」の方が、悲しみ嘆くだけで何もしないよりも、よっぽど有意義なことではないかとも私は考えた。
私は先ほど発見した〝ちづロコ〟に関する投稿を引用しながら、ポプマスのお問い合わせ窓口から「千鶴さんのロコちゃんに対する呼称が、誤ったものになっている」という旨のメッセージを送った。
運営さんがいち早く呼称の誤植に気づければ、運営さん側の負担が少しは軽くなる。
呼称の誤植が迅速に修正されれば、自分と同じことでショックを受けるプロデューサーさんが減ることにも繋がるだろう。
そう考えたのを機に、ポプマスの呼称誤植やエラーなどの情報を、自分の気づいたタイミングでお問い合わせ窓口へ報告することにした。
呼称モーションでの誤植はもちろん、中には「円城寺さんの一人称は〝自分〟のはずなのに、ライブ開始前のボイスでは〝俺〟と言っている」などというものもあって、驚いた。
ボイス付きのセリフにまで影響があるとなると、私が想像していた以上に喫緊の問題だと思えた。
この時に私が気づけたのはほんの2,3件だけだった。
だがそれでも、早期に気づけて報告出来たものがあって良かったと、私は胸を撫で下ろした。
見つけた問題箇所を一つずつ運営さんへ伝えていくのは、気の遠くなる道のりかもしれない。
けれども、こうした一つ一つのお問い合わせが、ポプマスを取り巻く状況を改善する近道になるかもしれない。
その為にも、自分の目に入る範囲で気づいた呼称誤植は、積極的にお問い合わせ窓口から運営さんへ知らせよう。
〝大好き〟なポプマスの為に出来ることは惜しみなくやっていこうと、私は改めて気持ちを引き締めた。
翌1月27日、定期メンテナンスの後。
先述のツイートをしたちづロコPさんの投稿を確認して見たが、千鶴さんのロコに対する呼称は〝ロコ〟のままだった。
「流石に一日で直るわけはないか」と少し残念に思いつつも、私の中には、今までにない心の余裕があった。
この件について、私はすでに窓口からお問い合わせを送っている。
そして、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びはポプマスが初出だったが、千鶴さんの〝コロちゃん〟に関しては、すでにグリマスやミリシタで何度も登場している呼称である。
実体のわからないものをどうなのかと問い正すわけではない。
もう正しい答えがわかっているものに対して「間違ったものが出ている」とこちらから情報を送っているのである。
それで修正対応を行わないというのは、流石にあり得ない。
来月の定期メンテナンス後には、ちゃんと千鶴さんのロコちゃんへの呼称が〝コロちゃん〟に直っているはずだ。
そうしたら、きっと寂しい思いをしていたちづロコPさん達も、安心出来るに違いない。
そう思いながら、私はこの日も真っ白なページに向き合って格闘を始めた。
涙のバースデー
長い苦闘の末、本格的に毎日イラストを描けるようになってから3日目。とうとう事件は起きてしまった。
2022年2月28日。この日は定期メンテナンスの日だった。
メンテナンス終了後、私はいつものようにポプマスをひとしきりプレイしてから、旧Twitterを開いた。
「あのちづロコPさんの喜びの投稿が楽しみだな」なんて思いながら検索をかけた直後、自分の目を疑いたくなるような光景が飛び込んできた。
それは、いつものちづロコPさんの、メンテナンス直後のちづロコを写したスクショだった。
画像の中にいる千鶴さんは、〝コロちゃん〟ではなく〝ロコ〟と呼んでいた。
そう、私がお問い合わせを送って1ヶ月以上の時間が経ってもなお、千鶴さんのロコちゃんへの呼称は〝ロコ〟のまま一切修正されていなかったのだ。
私は、頭が真っ白になった。
何で?どうして?今自分の目の前で起こっていることが、全く理解出来なかった。
しばらく経ってからハッとして、慌ててスマホの受信メールを確認する。
しかし、お問い合わせの受付完了メールも、それに対する「調査の上で対応を行う」という旨の運営さんからの返答も、ちゃんとメールボックスの中に残っていた。
ちづロコの呼称誤植に対するお問い合わせは、間違いなく運営さんの元に届いていた。
一体、私はどうすれば良いのか?
もう一度同じ内容のお問い合わせを送るべきなのか?
けれども、問い合わせ内容が過度に増えるのも、運営さんの負担を増やすことに繋がってしまうかもしれない。
どんな手段を選択すれば、必要最低限の正解の対応を、運営さんがちゃんとやってくれるのか———考えが上手くまとまらず、頭の中がこんがらがってしまい、私は動くことを躊躇してしまった。
だが、本当の悲劇が起こったのは、この次の日だった。
このメンテナンスの翌日は、3月1日———ロコちゃんの誕生日だった。
何よりもおめでたい日にもかかわらず、この〝ちづロコ〟呼称の誤植が大々的に広まり、多くのちづロコPさん達がショックを受ける事態へと発展してしまったのである。
というのも、呼称機能にある特例措置が、この事態の背景に存在する。
第二章のところで「ポプマスの呼称は簡単に見られるものではない」と説明したが、見たいタイミングで確実に見られる方法が、一つだけ存在する。
それは、アイドルの誕生日モーションだった。
ポプマスでは、何らかのユニットを組ませているアイドルが誕生日を迎えると、そのアイドルと一緒にユニットを組んでいるメンバー達が、その子を囲んでお祝いするモーションが表示される。
そのモーションの際に表示されるセリフやテキストで、ユニットメンバーが誕生日のアイドルを何と呼ぶのか、確定で見ることが出来たのである。
呼称確認に多くの時間を割けないプロデューサーさん達にとっては、一年に一日しかないこの日を、まだかまだかと待ちわびている人も多かった。
呼称確認に力を入れている人でなくとも、アイドルが誕生日を迎えた時に「初めて呼称が見られて嬉しい!」と思うプロデューサーさんも、やはりたくさんいた。
こうしたバックグラウンドがあり、ロコちゃんの誕生日前までにちづロコの呼称誤植に気づいていたプロデューサーさんは、まだ数名しかいない状態だった。
しかし、ロコちゃんの誕生日のお祝いモーションがキッカケとなり、今までこの誤植に気づいていなかった大勢のちづロコPさん達が、一斉に気づく事態へと発展してしまったのである。
「ポプマスでも〝コロちゃん〟って呼ぶ千鶴さんが見たかったのに」
「せっかくの誕生日なのに、正しい呼称で祝ってもらっているロコが見られないなんて」
多くのちづロコPさん達の悲痛な声が、TL上を飛びかっていた。
この光景を目の当たりにした私は、堪らずもう一度、ポプマスのお問い合わせ窓口へメッセージを送った。
何故1ヶ月も前に送った内容を修正してくれなかったのか?
もしも前日の定期メンテナンスできちんと修正されていれば、ロコちゃんの誕生日に悲しい思いをするプロデューサーさんはいなかったはずだ。
間違っていることがわかっていたのに、そのことをきちんと送ったのに、どうしてそれを正しく直さなかったのか———?
溢れる思いの丈を、懸命にスマホに打ち込んだ。
それから数日後、前回のお問い合わせとほとんど同じ文面の返答が届いた。
さらにしばらくしてやって来た3月15日の定期メンテナンス後も、千鶴さんはロコちゃんへの呼称は〝ロコ〟のままだった。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びが変更されるまでの2ヶ月とほぼ同程度の期間を経ても、千鶴さんが〝コロちゃん〟と呼ぶことはなかった。
〝ちづロコ〟の呼称だけではなく、私がお問い合わせ窓口を通して送った数件の誤植の全てが、この2か月の期間を経ても、一つたりとも修正されていなかった。
私には、もう何が何だかわからなかった。
正しいのは何か?
ネットやSNSで、特定のコンテンツや推しに対して「裏切られた」と言う人を何度か見たことがあった。
「自分だけの物じゃないんだから、全部が自分好みの方向性の物が出てくるわけないじゃないか」と、その時の私は遠くから傍観していた。
だが、そんな私でも、この時ばかりは「裏切られた」と思ってしまった。
馬鹿にされているとしか思えなかった。
〝こがりつ〟の件では、ショックや悲しみの感情の割合の方が大きかったけれど、今回の件で私が抱いたのは、明確な怒りの感情だった。
私が訴えていることは、わがままなことなのだろうか?
「アイドルに関わる情報を大切に扱ってほしい」
「何の心配や疑念も抱かず安心して遊べる最低ラインの運用をしてほしい」
「自分と同じ思いをするプロデューサーさんを二度と出さないでほしい」
そう願う私は、クレーマーなのだろうか?
私がしてほしいのは、特別扱いではない。
孤独な心を抱えていた中学時代。
ネットの向こう側にいる大勢の人達と同じように、一人のプロデューサーとして、アイマスの世界の中では尊重してもらえる。
後ろ指さされて笑われる対象としてではなく、周囲と同じように一人の人間として扱ってもらえる。
そんな感覚が、当時の私にとっての何よりもの救いだった。
「プロデューサー達の思いを尊重してほしい」
「一人一人が当たり前のように普通に楽しく遊べる環境を構築してほしい」
「身勝手な対応で振り回されるのはもう嫌だ」
そんな私の考えは、間違っているのだろうか?
一体私の何が足りないのだろうか?
一体何が、正しいものなのだろうか———?
辛さをそのままぶつけたい気持ちをぐっと堪えて、どうにかポジティブな形で運営さんに届けることが出来ないかと、試行錯誤をしながらずっと頑張ってきた。
その声は、おそらく運営さんのもとに〝物理的には〟届いているだろう。
けれども、どれだけこちら側の声を届けても、運営さんはそこに含まれる〝思い〟を大事にしてくれる人達ではなかった。
こちら側の大切にしているものを、何の感情も抱かずにビリビリに破って捨ててしまうような、そういう人達だった。
この時の対応は、その事実を私の目の前に突きつけたものだった。
さらにもう一つ、私の頭の中には、ある疑問が生まれた。
これまでにポプマス内で変更がなされた呼称というのは、もちろんそれが誤っている呼称だから正しく修正したのだと思い込んでいた。
しかし、誤った呼称情報を運営さんが得てもなお、修正がなされない呼称があるという例が〝ちづロコ〟の一件によって提示されたのである。
だとすると、逆説的に「ちゃんとした調査をした上での正当な〝修正〟ではなく、何となくの適当な理由で〝変更〟された呼称がある可能性」を考えることも出来るのではないだろうか?
ポプマスが〝普通〟の対応をこれまでとっていたのであれば、そんなこと考えすらしなかった。
だが「正しい情報が判明しているものを、わかった上で直さない」という対応とられてしまったのである。
「正式な呼称が出てない〝恋鐘ちゃん〟呼びは変えるけど、正しい呼称がわかってるちづロコは、間違ってるけど変えないよ」なんて言われて、二つ返事で納得出来るわけがない。
どれだけ私がポプマスを〝好き〟で贔屓目に見ようとしても、これが〝普通〟の状況だとは到底思えない。
じゃあ、律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びは、一体どっちなのだろうか?
今までは〝恋鐘ちゃん〟が誤っていたから〝修正〟対応をなされたのだと、悔しいけれどもそう思って疑わなかった。
けれども、先述のポプマス叩きの材料として〝こがりつ〟を話題にあげていたアンチがいたことも事実だ。
その少数の人がお問い合わせから〝こがりつ〟の件を送って、その対応が面倒くさいからと適当に〝変更〟して、アンチからのメッセージを防いだ———という可能性だって考えられてしまう。
もし私の考えた可能性が本当なのだとしたら、これまで見ていたもの全てが、根底から覆ってしまう。
律子の〝恋鐘ちゃん〟呼びに限った話ではない。
〝こがりつ〟以外でも、ポプマスで判明してTwitterで話題になったイレギュラーな呼称は、いくつかあった。
そのどれもが、今回の〝ちづロコ〟の対応によって、疑わしいものになってしまう。
明らかに正常ではないこの状況下では、どういった経緯でその呼称が変わったのか、今ポプマスで見られる呼称が本当に正しいのかすら、全く信用することが出来なくなってしまう。
律子は恋鐘ちゃんを呼ぶ時、本当は〝変更〟前と後のどちらの呼び方で呼ぶんだろうか?
それ以前にも、ポプマスで初出となり話題となっていた呼称の数々は、本当に正しいものなのだろうか?
何が正しくて、何を信じれば良いのか———?
最早私には、アイマスの全てがわからなくなっていた。
私の〝大好き〟をずっと作り続けていた人達が、こうしたことを立て続けに起こしている今この瞬間が、辛くて悲しくて堪らなかった。
このままじゃいけない
今目に見えて異常事態が起きているのは、ポプマスの呼称だけかもしれない。
だけども、それがもっと別の情報にも波及したら。
ポプマスだけじゃなくて、アイマスの他のゲームのコンテンツでも同じようなことが起こってしまったら———今まで〝好き〟だったアイマスを〝好き〟でい続けられなくなってしまう。
私にとってとても大切で、心が安らぐ唯一の居場所を、絶対に失いたくなかった。
それは、絶対にあってはならないことだ。
一人のプロデューサーとして、出来る範囲のことを考えられる限りやったとしても、それがポプマスの運営さんにきちんと届かないのであれば、その周りにいる別の立場の人に訴えかけるしかない。
アイマスのアイドル達を誰よりも大切に思ってくださっている声優さん達にも、私の声の形を見てもらうしかない。
今は詳しいことを明かさないとしても、もしもいつか、何らかの形で、この一連の出来事や私の心の叫びを声優さん達が知った時に、一緒に「悲しい」と思ってもらえるかもしれない。
「悔しい」と思ってもらえるかもしれない。
独りよがりな考えであることも、重々承知である。
それでも、これまで私の〝大好き〟を生み出し続けてきた人達の中に、そういう気持ちを抱いてくれる人がまだいるのだと、私はどうしても信じ続けたかったのだ。
こうして、イラストの練習記録を送る相手に、当初から予定していた声優さん———若林直美さん、礒部花凜さん、三宅麻理恵さんの3人を含めることを私は決心した。
第八章 私を弟子にしてください
停滞の日々
2月下旬。
絵を描き始めてから2日目以降は、その日に描いた絵の振り返りや本などで勉強した内容を一緒に明記するようにし、とにかく描くことに時間を注いだ。
ちづロコ事件にショックを受けながらも、それが「やっぱり描けるようになりたい」と強く思う燃料にもなった。
とにかく私は、やる気に燃えていた。
私の中にあるモチベーションをそのまま、絵の練習に注ぎ込んだ。
反復練習は基本中の基本である。
学校の勉強も数々の習い事も、それである程度ものにすることが出来た。
だからこそ、何度も練習を重ねれば、着実に絵は上達するはず。そのはず、なのだが———。
絵を描き始めてから約半月、いっこうに自分の絵には変化がない。
確かに、何もない状態から始めるのであれば、数日や1週間でいきなり絵が成長するということは考えづらい。
でも、それにしたって、いくら何でも変化がなさすぎる。
加えて、毎日描いているといったって、ただ闇雲に描いているだけというわけではない。
上手く出来たと思ったところや反省点を最後に振り返り、それを次の日の絵で気をつけながら描くようにはしていた。
それなのに、自分の絵が上手くなっていっている実感が全くなかった。
何故だ?一体何故なのだ?
思い返してみれば、これまでの私だってそうだった。
絵を上手に描けるようになりたいと思い立っては、あらゆる方法を試しながら描いてはみるものの、これといって目ぼしい変化が見られない。
そして「やっぱり私には向いていないんだ」と諦めてしまう。その繰り返しだった。
何をどうやって練習すれば良いのか、どのような考え方で自分の絵の課題点を見つけ、それをどう改善していくのか———絵を習った経験が全くない私にとって、その方法自体、全く検討もつかなかった。
日々の練習は続けながらも、これまでのやり方に早くも限界を感じ始めていた。
今の私にある問題点は、絵に関する有益な経験が何もない点である。
参考本や講座動画で知識を得たとしても、上手く扱うことすら出来ない。
このままでは今までと同じ轍の上を通ることとなってしまう。
けれども、今回ばかりはそうなってはならない。
絶対に上手くならなければ、私のこの気持ちは伝わらない。
律子やポプマスが〝大好き〟なのだという思いを届ける為に、私は絶対に〝描くこと〟を諦めてはならないのだ。
八方塞がりの私は、少し考える視点を変えて考えてみることにした。
これまでの私は「今の自分に出来ることは何か?」をずっと考え続けていた。
それで答えが見つからないならば「今までの自分がやろうとしなかったことは何か?」を考えれば、何か糸口が見つかるかもしれない。
そう思って少し考えてみたら、案外すぐにその答えが見つかった。
私がこれまで、絵を教わる機会に一切恵まれなかったのは何故なのか。
「理解のある親や環境に恵まれなかった」という理由も少なからずあるかもしれないが、そうではない大きな理由が、たった一つだけある。
それは、私は絵を描ける人間に対して「絵の描き方を教えてください」と、生まれてこの方頼んだことがなかったからだった。
言えなかった「教えてください」
幼い頃、私の周りには色んな絵を描く子がいた。
先に述べたような画力が高い子や、可愛らしいイラストが描ける子もいたし、もちろん年相応の絵を描く子もいた。
だが、自分と同じように「もっと絵が上手くなりたい」「絵が思うように描けなくて悩んでいる」といったような子を、当時の私は見たことがなかった。
もしかすると、私の知らないところでもがいていた子も、きっといたのかもしれない。
けれどもその時は、周囲の人に対して絵の教えを乞うほど真剣に絵を志す子は周りにいなかった。
中学生の時に関しては、一定のクオリティの絵を描く為の手段をすでに知っている子ばかりに囲まれていた。
そんな周りの子達を見て「絵が描けないことでここまで思い悩んでいる人間は、自分以外にいないのだろう」と思い込んでいた。
そうした環境にいただろうか。
私はずっと「誰かから絵を教わりたい」「絵の勉強がしたい」と思うのと同時に「自力で描けるようにならなくちゃ」「周りの子に頼っちゃダメなんだ」という相反する思いを抱えていた。
もしもあの時、私の周りにいた絵が上手い子達に「絵の描き方を教えてほしい」と一言お願いしていたら、私は楽しく絵を描き続けることが出来たのかもしれない。
絵を描くことに対して怖さやしんどさを抱くことは、なかったのかもしれない。
ただ単に描く為の技術を身に着けるだけじゃない。
私はそういった面でも、一歩を踏み出す勇気を持たなくてはいけないのかもしれない。
幸い、こうして絵で悩んでいるのが私一人だけではないのだと、今の私は知っている。
SNSでイラストを公開している人の投稿や、動画サイトにある描き方講座動画などを見て、私と同じように悩みを抱える人達の存在を、十数年越しに知ることが出来た。
そして、あの京都の通信制の芸大のように、絵を学ぶ為のハードルが昔よりもグッと下がっているということもわかった。
それならば、今の私なら、勇気を出して誰かに絵の教えを乞うことも、出来るのではないか。
今やSNSで多く人が意見を発信し、自分の身の回りにはいないような、様々な人と簡単に繋がることが出来る時代。
私が日々見ているTwitterでも、たくさんのマンガ家さんやイラストレーターさんの投稿が流れてきて、それらにファンの人が気軽に感想のリプライを送る繋がりを目にしている。
以前なら、プロの人に「絵を教えてほしい」なんて気軽に言えるような環境はなかったし、雑誌で載っていたマンガ家の先生とお話するなんて、夢のまた夢だった。
一生叶うことのない、抱くことすら無駄だと思えてしまうような憧れにしか思えなかった。
でも、現代なら、画面越しにその繋がりを持てる可能性がある。
そうだ。プロのマンガ家の先生に、弟子入りを志願しよう。
そんなに簡単に快諾してくれる人なんて、そうそういないかもしれない。
けれども、ダメで元々だったとしても「教えてください」を言うことさえ出来なかった私にとっては、それを言えるようになるだけでも大きな一歩なのかもしれない。
今までの自分では出来なかったことに一つでもチャレンジして、新しい自分を切り拓きたい。
それだけではない。
プロのマンガ家の先生に直談判して弟子入りをしたとなれば、ポプマスの運営さんに、私の本気度がより伝わるはずである。
いち早く、自分の絵の成長の成果を運営さんに示したい。
そして、またポプマスを安心して遊べるようになりたい。
やろう。過去の私が出来なかったことを、今の私がやってやる。
かつての私が持てなかったほんの少しの勇気が、心に灯った瞬間だった。
あのマンガ家の先生
弟子入りにあたってまず決めなければならないことは「一体誰に弟子入りをするか?」ということであった。
まず、律子を中心に描くのであれば、律子Pでもある人にお願いしたい。
そして、教えを乞うのであれば、趣味のみで描いているアマチュアの人ではなく、商業での絵の経験もある人の方が当然良い。
律子Pで、なおかつ商業でも描いている方は、私の知っている範囲では4人いた。
その中でも、私が話したことがあり、さらにこの当時も継続的にTwitterで活動をしている人は、二人に絞られる。
この二人のそれぞれの活動歴と人柄、そして自分の描きたい絵柄により近い絵柄はどちらなのかということを比較検討した結果———マンガ家の馬場民生先生に声をかけることにした。
馬場先生がどんな方なのかというと、複数の大手マンガ雑誌での連載経験を持つ、かなり活動歴の長いマンガ家の先生である。
現在は、ベトナムでサッカーを題材にした漫画が刊行され、ベトナムでサイン会を開催したり、ベトナムのニュース番組に先生が描いたマンガが取り上げられたりもしていた。
プロデューサーへ向けてさらにわかりやすく説明するならば———馬場先生の中で特に長く連載されていた2作が掲載されていた雑誌では、現在、藤田ことねを主人公とした『学園アイドルマスター GOLD RUSH』が連載されている。
その他にも、283プロダクションの事務員である七草はづきさんにスポットを当てた『アイドルマスターシャイニーカラーズ 事務的光空記録』が現在連載中の雑誌の系列誌にも、過去に馬場先生の連載や読み切りが掲載されていた。
そして何より『M@STER OF iDOL WORLD!!!!! 2023』(通称:MOIW2023)で律子単独の応援のぼりイラストを描いた張本人が、馬場先生である。
この時のイラストは、今回のアイマスEXPOの応援幕デザインの一例として、公式サイトにも掲載されている。
加えて、このEXPOの応援幕企画でも、馬場先生は律子のイラストを描かれている。
どうか一人でも多くのプロデューサーさんに、馬場先生の律子応援幕を一目見てもらいたいと思いながら、今私はこの文章を書いている。
話を戻すと、馬場先生はそれほどまでに〝律子Pのプロのマンガ家さん〟として、律子Pの中では特に有名な方である。
律子P以外のプロデューサーさんにとっても「この人の絵、見たことがある!」となる人が多くいるのは間違いない。
度量が深く、一人の人間としても素晴らしい方で、今回の独白エッセイ本の中で先生のお名前をお出しすることも、快く了承してくださったほどの方だ。
そんな馬場先生に「絵を教えてください」と直談判することを決めたのだ。
私の人生の中で、唯一無二の一大決心であった。
とはいえ、いきなり「絵を教えてほしい」とお願いしても、断られてしまう可能性が高い。
それ以前に、話したことが何度かあるとはいえ、普段から親しくしているわけでもない私から突飛なお願いをされたら、馬場先生は困ってしまうかもしれない。
そこで私は、まず会話のキッカケを作ることにした。
馬場先生は「○○の少女」という形のお題に即した作品を募り、検定を模した形式で寄稿作品をまとめた同人誌を毎年発行している。
その同人誌に、私は〝こがりつ〟の短編小説を寄稿することにした。
先生は、検定の受検者———いわゆるこの同人誌への寄稿者が「どうにかもっと増えてくれないか」と、たびたびTwitterで口にされていた。
それならば、初参加の受検者は、馬場先生にとって喉から手が出るほど求められている人材のはずである。
こういう時には、外堀から埋めていくことが重要だ。
何もせずにいきなり本題を切り出すのではなく、原稿を提出したタイミングで話を持ち掛ければ、先生が快諾してくれる可能性がグッと高まるのではないか?
そう私は踏んだのだ。
それだけではない。
この同人誌は、受検者全員に無料で送付され、即売会でも頒布される。
ここに〝こがりつ〟作品を寄稿すれば、自ずとと〝こがりつ〟の露出を増やすことが出来る。
しかも、受検者の人数分へのリーチは確実に担保されている———願ったり叶ったりの好条件である。
これまでの私なら「こういうのに出せるだけの芸術センスがあれば……」とスルーするだけだった。
しかし、今の私なら、短編小説であれば短期間である程度の形にまとめることが出来る。
これはチャレンジするしかない。
こうして、私は絵と並行しながらコツコツと〝こがりつ〟短編小説を書き進め、約2週間で完成させることが出来た。
完成直前のイラスト練習の経過はというと、完全に絵を描く自信が消え失せ、顔の構造を学ぶという口実で、ミリシタのスクショやシャニマスのS-SSRに箱を描き込んでいた。
絵を描くことから若干逃げようとしつつも、どうにか出来ることを探して、何でも良いからもがきたくて、でもそれすらどうすれば良いのかもわからなくて———極限まで追い詰められてる状況だった。
そんな状態の中で完成させた短編小説とともに、私は馬場先生へメッセージを送った。
ある目的を達成する為に絵を描けるようになりたいが、上手くいかずずっと悩んでいること。
ゆくゆくは通信制の大学に入ろうと考えていて、入学までに描くことへのトラウマを克服したいこと。
その為に、毎月の月謝をきちんとお支払いするので、私の師となって絵を教えてほしいということ———。
この時のメッセージでは、ポプマスに対する抗議の件は伏せておくことにした。
私が再び筆を取った理由は、一般的な絵を志す人達のそれとはだいぶかけ離れている。
それを知った上で引き受ける意思を持つ人は、かなり稀有な存在だと私は思っていた。
そして何よりも、本当の理由を知った上で馬場先生が私の依頼を引き受けたとしたら、いつかこの活動が明るみになった際に「アイマスに文句を言うヤツに手を貸してるのか」と、馬場先生にも批判の矛先が向く恐れがある。
それは絶対に避けたかったのだ。
メッセージを送ってからというもの、私は気が気ではなかった。
「やっぱり断られてしまうんじゃないか」
「失礼だと思われてしまったらどうしよう」
私は心臓をバクバクさせながら、先生からのお返事を待っていた。
しかし、相談からわずか1時間半後。
なんと丁寧な返答の最後に、快諾のお返事が馬場先生から返ってきた。
自分でお願いしておいたのにもかかわらず、私は驚いてしまった。
これまで何年もの間、絵を指導してもらえる経験に恵まれてこなかった。
そんな私の「誰かに絵を教わりたい」という夢が、15年の長い時を経て、ようやく叶ったのだ。
小一時間の心配や憂鬱が、まるで嘘のように晴れていった。
私は飛び上がるほどに嬉しかった。
こんなに幸せな日があって良いのだろうかと、自分で思ってしまうほどだった。
2022年3月27日、私の今まで動かなかった人生の歯車が、たった今、この瞬間に動き出したのだった。
「練習」をテーマにした「作品」
その後、指導内容や練習法を決めるべく、これまで私が1ヶ月間で描いた絵を、改めて馬場先生に送ることにした。
馬場先生との話し合いの結果、どうやら私は、一つの絵に対するクオリティのハードルを高く設定し過ぎていたようだ。
「もしも自分の描いたイラストを「作品」としてSNS上に公開するとしたら、その時の自分に出来る100%の精神力や時間を注がなければいけないのではないか」
「それが出来ないものを「作品」として発表するのは、失礼にあたるのではないか」
「自分の100%ではないイラストを「作品」ということは、人を不快にさせる、人としてやってはいけない行いになってしまうのではないか」
この時の私は、ずっとそう思い込んでいた。
こうした考えが、私にとっての重荷となってしまい、楽しく描くことが出来なくなってしまっているのではないかということが、馬場先生との対話でわかったのだ。
そんな私に、馬場先生はこんな言葉をかけてくださった。
「未完成でも発表してしまえば、それは「作品」になります」
「もちろん、未完成の物を発表することは、作家とすれば恥ずかしいことでもあるし、楽しみにしてくれている人がいる場合は、失礼にあたることも間違いありません」
「他人に見せれば、批判や批評に晒されて落ち込むこともあるけれど、他人に見てもらうことを意識するのは、上達する為の方法として悪いことではありません」
そうした内容の最後を、先生はこう締め括った。
「矛盾しているかもしれませんが「練習」をテーマにした「作品」を描くのはどうでしょうか?」
目から鱗だった。
不完全な「練習」は、進んで公開するようなものではないと思い込んでいた。
だが「練習」をテーマにした「作品」なら、現時点の自分で到達出来る限りの真剣なイラストを描けば、それが「作品」となる。
「少しずつ上達する自分を見せたい」と考えている私にとって、こんなにも打ってつけなテーマは他にないだろう。
この話し合いの末、以下のことが決まった。
まずは今までと同じように描いていき、一日の成果を必ずTwitterに投稿すること。
そして、それを見た上で馬場先生が気になるところをアドバイスするということ。
このスタイルで、来月の4月末までの1ヶ月間をお試し期間としてやってみること。
その間、適宜調整も入れつつ、大きな問題がなければ、そのタイミングでひと月あたりの月謝の額を決めて、来年の3月まで正式に1年間続けていこうということ———。
つまるところ、ひとまず教えてもらえることになったが、まだ今の私は〝弟子見習い〟の状態ということである。
4月までの1ヶ月間が、律子Pとしても、人間としても、私の人生を大きく左右する1ヶ月間となることは間違いない。
「このチャンスを、必ずものにしてみせる」と、私は改めて気を引き締めた。
指導開始
2022年3月29日、馬場先生の弟子見習いとして絵を描く最初の日がやってきた。
この日、私が絵を描き始める前に、先生はあるものを見せてくださった。
それは、絵が出来上がっていく様子を写した、数枚の写真である。
先生が律子を描き上げるまでの、下絵からペン入れ、色づけといった簡単な順序を、途中経過の絵やその際に使っていた道具を写真に収めて、私に送ってくださったのだ。
イラストを描く人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にはこれだけでも驚くことだった。
中学生の頃、私の隣でサラサラとマンガを描いていた魔法使いは、アタリも下書きも描かずに、一発で高いクオリティの絵を次々に描きあげていた。
それをずっと見ていたからか、絵がすごく上手い人は「アタリも下書きもなしの一発描きで、あの綺麗な絵が描けてしまうのだ」と、中学生の頃の私は思っていた。
だからこそ「それが出来ない自分はダメなんだ」と思い込み、余計に自信を失ってしまっていた。
しかし、何十年も数多のマンガを描き続けてきた馬場先生が、たった一人の律子を描く為に、こんなにも多くの手順を踏んでいる。
動画サイトで様々な講座動画を見始めた今になり、ようやく「下書きが大切なもの」ということがわかったが、この馬場先生の律子を見て、それを改めて痛感した。
私がダメだったわけではなく、本来なら下書きは必要なものだったんだ。
この世に星の数ほどいる〝魔法使い〟だと思っていたマンガ家さんやイラストレーターさん達は〝魔法使い〟である前に、私と同じ〝人間〟だったんだ。
それがわかっただけでも、過去に囚われていた呪縛から、少しずつ解き放たれているような心地がした。
大きく深呼吸をして、今日公開する自分の律子を描き始める。
今までと変わらない、自分のありのままの実力で描く律子だ。
上手く描ける自信はなかったが、それでも少しでも可愛く律子を描いてあげたい。
その一心で、今の自分が描ける精いっぱいの律子を描き、Twitterに投稿した。
その後、今日描いた絵と投稿を、反省点や疑問点と併せて馬場先生に送る。
一体、先生からどんなアドバイスが返ってくるんだろうか?
ソワソワしながら待っていると、次の日に返信が返ってきた。
その内容も、驚きの連続だった。
まず、顔のアタリの詳細な工程とともにバランスの取り方についての話があったのだが「上手い人なら一発で決められるけれども、バランスが崩れていると思ったら、納得がいくまで何度も描き直してバランスをとってください」とのことだった。
驚いた。絵を描く順番は、本や動画で見た描き方の説明の通りに、最初から最後まで行うものだと思っていた。
だが、あれは前の工程に戻ってやり直しても良かったのか。
てっきり、工場のレーンを右から左へ製品が流れていくように、全てを決まった流れ作業のように描いていかなければならないものだとばかり思い込んでいた。
何度でも前の工程に戻ってやり直すことが出来るのであれば、私でももっと出来るようになるかもしれない。
それから「毎日描くのであれば、色んなアングルや表情で描けば楽しいのではないか」とのアドバイスも頂いた。
そうか、今まで「一つの角度や表情を完璧に描けるようにならない限りは、他の物を練習しても意味がない」と思い込んでいたが、色んな物を描いて良かったんだな。
道理で今まで一生懸命に練習しようと頑張ってみても、すぐにしんどくなってしまうはずだ。
先生がアドバイスしてくださった一つ一つの内容から、私はたくさんの驚きと学びを得ていた。そんな中で、一際目をひくアドバイスがあった。
「もっと大きく描いてみてはどうですか?」
不思議だった。他のアドバイスに関しても言えることだが、私はてっきり「絵のここが変だ」「ここはこういう風に描いた方良い」といった内容が返ってくるものだとばかり思っていた。
そういう内容が一切なく「今描いている絵をそのまま大きく描いてみてはどうか」と言われたのである。
一体何がどうなるものなのかと、私は不思議で仕方がなかった。
しかし、よくよく思い返してみると、私の絵の大きさは、その日の絵に対する自信の大きさに比例する傾向にあった。
特に絵の練習が迷走し始めてからは、絵のサイズが日を追うごとに小さくなっていた。
そういえば、まだ絵を楽しく描けていた小学生の頃は、自由帳のページいっぱいに、色んな絵を大きく描いていた。
だが、絵が上手な色んな子達に出会ってからは、萎縮して、次第に絵を大きく描けなくなっていったように思う。
そんな昔のことを思い出しつつ、次の日は先生に言われた通り、いつもより大きく律子を描いてみることにした。
馬場先生のアドバイスを受けてから、初めて描く律子だ。
「少しずつ上手く描けるようになれたら良いな」
「もしもこれから何日もアドバイスを受けていって、全然何も変われなかったらどうしよう」
祈る気持ちと一抹の不安を抱えながら、私はいつもと同じように、けど馬場先生から言われたことを思い出しながら、描き始めた。
しかし、描き始めて少ししたところで、私はすぐに変化を実感した。
今までは全然思うように描けなくて悔しかったのに、今日は一つずつ試行錯誤を繰り返していくうちに、どんどん自分の描いてみたかった律子が、紙の上に現れていった。
次第にワクワクした気持ちになってきて、自然と紙の上を鉛筆が進む。
そうして気づいた時には、今までに見たことがないくらいにいきいきとした律子が、ひょっこりと顔を表した。
私は、驚きながらも感心してしまった。
なるほど、大きく描いた方が良いというのは、ただ単に絵を大きくすることが目的ではない。
絵を大きく描いた分だけ、細かな書き込みが可能になる。
その影響で、相対的に絵の中の情報量を増やせるようになり、クオリティを上げることが出来るというわけだったのか。
この日に描く律子は、当初の予定では、優しい微笑みを浮かべた律子のつもりだった。
しかし、少しずつ表れゆく律子は、この上なく得意げな表情をしていた。
描き進めていくうちに、きっと私の心情も、この律子の顔のようになっていたのかもしれない。
私は敢えて、紙の上に表れたままの律子をそのまま仕上げ、完成させることにした。
特段、描き方を何か変えようと思って描いたわけではない。
ただ大きさを大きく描き、自分の気になったところは前に戻って直しながら、今までと同じように描いていっただけである。
たったそれだけなのに「本当にこれを自分が描いたのか」と思ってしまうくらい、驚くほど楽しそうな律子が、私のもとにやって来てくれた。
律子の顔に釣られて、私も楽しくて笑顔になってしまった。
ただただ嬉しくて堪らなかった。
飛躍はさらに
たった一日の指導で、明らかに私の絵が大きく変化した。
楽しそうな律子の表情を見ながら、私は確かな成長を噛み締めていた。
これなら、昔の自分では想像出来なかったレベルまで、本当に上達出来るかもしれない。
もっともっと頑張れば、私の律子やポプマスを〝大好き〟な気持ちが、ちゃんと運営さんに伝わるくらいに、絵が上手くなれるかもしれない。
こうして、弟子見習い二日目に完成させた律子も、Twitterに投稿した。
昨日と同じように、自分が感じた反省点や疑問点と一緒に今日の成果を送ると、今回は感情表現をメインにアドバイスが返ってきた。
人物の感情を表現する手段は、表情だけではないらしい。
髪の動きや漫符———感情を表す記号のようなものなど、色んな技があるらしい。
そういえば、今日描いた自慢げな律子の横にも、思いつきで豆電球を描いていた。
意識して学んだわけではないが、どうやら幼い頃に読んできたマンガから、そういった描写のカケラが私の中にも刷り込まれているらしい。
そして新たな発見だったのが、ほっぺのクシュクシュである。
かつての私が触れてきたのは、2000年代の少女マンガの絵だった。
当時の私の一番の愛読書は「〝伊集院北斗がよく言う挨拶〟と同じ名前の少女マンガ雑誌」だった。
「〝諸星さん〟と下の名前が同じ女の子」がアイドルになるマンガだとか「〝高垣さん〟と下の名前が同じ女の子」が主人公の、マグカップから妖精が出てくるマンガだとか、色んなマンガが好きだった。
「〝双海姉妹の妹の方〟と同じ名前の女の子」が主人公の、床下収納の扉から動物がやって来るマンガがアニメ化されてからは「天海春香が頭につけているアレと同じ名前の少女マンガ雑誌」も毎月買っていた。
この時に私が読んでいた年代の少女マンガの絵というのは、とにかく目が大きく、縦に長かった。
中には、顔の縦の長さと大差ないほどの縦幅を有する目を描くマンガ家の先生もいらした。
目が大きければ大きいほど可愛かったし、あの大きくてキラキラな目が、少女だったあの頃の私達にとって、最上級の憧れの的だった。
だが、かつて心奪われていたあの大きな目は、私の描く絵に大きな弊害をもたらしていた。
先生曰く「目が縦に大きいから、少女マンガの頬のタッチは口の横あたりに描かれるのであって、普通の絵柄で頬のタッチを入れるなら、目のすぐ下、鼻の横あたりの位置になります」とのことだった。
そう、少女マンガに初めて触れ、女児がアラサーに片足を踏み入れるまでの20年以上もの期間、私は「ほっぺは口の真横にあるもの」だとずっと思い込んでいたのだ。
中学生になってアイマスと出会い、アイマスの絵に触れたことがキッカケで、私の描く目の大きさは、次第に一般的なイラストの平均と同等なサイズになっていった。
しかし、ほっぺのクシュクシュの位置は、かつての少女マンガと同じまま、口の横の位置に残ってしまった。
これが、私の絵の顔のバランスを崩していた大きな要因の一つだったのだ。
あまりの衝撃に、私は頭を抱えた。
そうか。そういえばそうだ。
普通は人間の目は、縦に長くない。
あの大きくて縦に長い目の下に、ほっぺの大部分が眠っていたということなのか。
この短期間に、世界に満ち溢れる驚きの三割くらいは、すでに体験してしまったのではないかと思えてしまう。
私はさながら、アメリカ大陸を発見したコロンブスのように、先生の一言一句に目を輝かせた。
世界の常識をひっくり返す新事実が判明した弟子見習い3日目。
私はワクワクした気持ちのまま、昨日よりもさらに大きなサイズで律子を描くことにした。
律子を描き進めながら、私はふとあることに気がついた。
そういえば、大学に入るタイミングでメイクを教わった際、チークを頬骨の位置に入れることを知った。
なるほど、あのほっぺのクシュクシュは、メイクでいうところのチークのような表現だったのか。
だとしたら、律子にメイクをするみたいに、こうしたら可愛くなるんじゃないか———。
今まで思いつきもしなかった色んなことを考えながら絵を描き進め、弟子見習いとして描いた三人目の律子が、私のもとにやって来た。
前日に描けなかった優しく微笑む律子を、この日はリベンジで描くことが出来た。
驚くことに、昨日「こんなに上手く描けるなんて!」と思っていたにもかかわらず、今日はその数倍も上手く描けたと思えるくらい、自由帳の中の律子は、幸せそうに笑っていた。
馬場先生からお話を聞くようになり、たった数日の間で、私は気がついたことがあった。
まず、今までの私の中にあった「物事が上達する経験」というのは、数学の計算問題に何度も取り組んで解くスピードが上がっていくように、漢字の問題集を赤シートで隠しながら何周も目を通して覚えていくように———繰り返しの反復練習をすることで、何か特別なことを考えずとも、少しずつぼんやりと上手くなっていくような経験しかなかった。
しかし、イラストを上達させる上では、それが通用しない。
もっと細かな原因を探り、そこにコミットした対策を、的確に自分の絵にぶつける必要がある。
ただ漠然と同じことを繰り返していても、決して絵が上手くなることはない。
何度も絵の挫折を繰り返してきた私にとって、この気づきは、何者にも変え難い大きな財産となった。
嬉しかった。こんな短期間で、私もここまで描けるようになれるんだ。
この数日間で、私はどれほどのかけがえのない学びを得られたのだろうか?
これからたくさん描き続けていったら、一体私は、どれだけ上手くなれるのだろうか———?
あふれる期待を胸に、私の〝弟子見習い〟としての修行の日々は、こうして幕を開けたのだった。
アイマスEXPO Day2【P-6a】放送室4019にて、
『律子が"恋鐘ちゃん"と呼ぶ日まで』
頒布します。
ミリオンライブの『最果てのラストトリガー』をベースとした、相方の御島カザモリ著の小説本『ライアーズ・グッド・バイ』も一緒によろしくお願いします。
その他、サークルカットのイラストを使用した無償配布のポストカードや、
第三章に登場した『ポプマスマイユニットシート』などをはじめとした諸々の展示もあります。
12/15(日)
アイマスEXPO Day2は、
【P-6a】『放送室4019』まで、
是非ともお越しくださいませ。
菖蒲P92、御島カザモリともども、スペースでお待ちしております。