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入院経験 その5(最終回)
こんにちは。
今日は入院経験振り返り最終回の5回目となります。
5回目の入院経験は第二子出産時でした。
今回も出産に関わる細かなことはふんわりと共有するに抑え、
今振り返ってみて感じるパートナーの動じない力に
視点を向けて振り返りたいと思います。
長期の出産前入院
少し振り返るだけでも色々な感情が湧き上がります。
第二子出産前、私は色々な理由で長期入院となりました。
私とお腹の中の第二子が入院した時、第一子はもう少しで2歳に届く年齢でした。
初めての子育てに私達親も第一子自身もあたふたしながらも何とか過ごしていた
日常生活が私とお腹の中の第二子の入院で急な変化を求められました。
生まれてからずっと私と過ごしていた第一子は日中はデイケア
(日本でいうところの保育園)にお世話になることに。
パートナーは急遽、仕事をしながら家事、育児を一人で担うこととなりました。
入院した時はその先が、つまり、いつ出産を迎えるのかは
誰にも分かりませんでした。
できるだけ第二子が長くお腹の中で過ごせるように願う一方で
いつ出産となっても大丈夫なように安全な環境に身を置くための入院でした。
入院当初は明日にでも出産になるのかと不安に思っていたけれど
入院日数が重なるごとに出産はまだもう少し先なのでは?
できることなら家に帰って家族皆んなで過ごせればと願いながらも
それは難しい状況。出産が明日なのか、1週間後なのか、1ヶ月後なのか
先の予定がわからない不確定要素が多い状態の中で
片方は日常生活を送り、もう片方は入院生活を送るというのは
各個人としても家族としてもなかなかチャレンジングでした。
とある夜
とある夜中のバイタルチェックの時間。
夜勤のナースの方曰くどうも私の数値がいつもとちょっと違うとのこと。
少し時間を空けて再度の確認。
「まだ自覚症状はないかもしれないけれど、おそらく
陣痛が始まっている様子なので、念の為に出産部屋に移りましょう。」
ということになりました。
その時点で夜中の3時前。
パートナーにご連絡をと言われましたが、
明らかにまだ寝ている時間。第一子もいます。
とりあえずは出産入院部屋に移り陣痛の様子をみながら
パートナーに連絡するタイミングを見計らいました。
変わらず自覚症状もなく、陣痛もそこまで進まず朝になりました。
パートナーも第一子も起きるであろう時間を見計らって電話しました。
ありがたいことに、当時住んでいたコミュニティー内に
第一子と同い年のお子さんをお持ちのご家族(奥様が日本人の方)が
住んでいました。時々家を行き来したりと近すぎす遠すぎずの
お付き合いで仲良くさせていただいていました。
パートナーはその近所の方に第一子を託し会社を休み、
私とこれから生まれてくる第二子の元に駆けつけてくれました。
ウトウト、すやすや??
到着したのは朝の9時前ごろ。
さて、これからどうしたらいいか。二人で相談し始めました。
第二子の出産とその間の第一子の食事、お風呂&寝る場所をどうするか。
第二子の出産時期は第二子のみぞ知る。本人に任せる他ありません。
その時点でも出産がどのくらいかかるかはわからず、
とりあえずは第一子の今後の予定をどうするか相談を始めました。
第一子も病院に連れてきて一緒に過ごすことも考えましたが
不確定要素の多いあまりに落ち着かない状況の中
まだ2歳にもならない子供を側で過ごさせることには色々な懸念もありました。
色々考えご近所さんに電話で諸事情を相談すると
食事もお風呂も寝る場所も全部面倒見るから安心してと言ってくれました。
本当に本当にありがたかったです。
第一子のことはひとまず安心。
私達は第二子出産に向けて集中できる状況となりました。
とは言え、変わらず実際の出産がいつになるかはわかりません。
前回の第一子の出産のこともあります。
今回も短時間での出産かしら?と思っていましたが、
どうも様子が違うようでした。
頻繁に出入りするナースの方々の様子からも
どうもさほど進んでいはいないことが伺えました。
一方で、出産部屋に入って出産態勢になっているため
私の体はすでに色々と繋がれた状態。
(お分かりの方は想像できると思いますが
知らない方は知らないで良いことだと思うでここでは敢えて言語化しません。)
出産するまではベッドの上から動くことはできない状態でした。
この状況はいつまで続くのかしらん、、、、
この出産自体もだけれど、出産後のことも今から先に考えておかないとねと、
ベッドからふと横を見ると
なんと!パートナーは長ソファーの上で
すやすやと寝息を立てて寝ているではありませんか!?
えー!?寝てる??目を疑いました。
安心感?
そうでしょう、そうでしょう。ほっとしたのでしょう。
一番の心配源であったお腹の第二子と私がすぐ横にいるのですから。
離れている中で心配・不安が募っていたから尚、
直ぐ側に、(寝ているけど)目の前にいるから安心してほっとしたのでしょう。
仕事の傍で慣れない家事、育児を急に一手で担うことになり
疲れが溜まりに溜まっていたのでしょう。
食品・日用品の買い出し、食事作り、食器の片付け、部屋の掃除片付け、洗濯、第一子の食事、歯磨き、トイレ、お風呂のサポート、読み聞かせや
寝かしつけの傍、自分の身支度を整えること、私の洗濯物や必要な物を
色々と運んでくれたり等々、挙げたらキリがありません。
それはそれはとても大変だったことでしょう。
とは言え、驚きました!
え?この状況下で寝てるの?
今、この状況下ですやすやと眠れるの?
もうびっくりでした。
2年前の第一子出産前のChildbirth classで学んだあれやこれやを
第一子出産時には役立てることはできなかったけれど、
よし!ようやく活用できる時がやって来たわよ〜!と私は思いました。
さあ!あれが必要、これも必要、あれしてくれる? これしてくれる??と
ここぞとばかりに心置きなく、遠慮なくお願いするわよ〜!と思いましたが、
大してありませんでした。
そりゃそうです。繋がれて動けませんから。
必要なのは水分くらい。とはいえ、点滴にも繋がれているので
大して喉も乾きません、、、特に欲しい物も必要な物もありませんでした。
無事安全に第二子が産まれてくること以外は。
日中も、夜も、パートナーは随分とすやすやとよく寝ていました。
(少なくとも私にはそう見えました。)
私とお腹の中の第二子の横ですやすやと寝ているパートナー。
一方で、夜中3時から大して眠れていない私(とお腹の中の第二子)。
ね眠い、、、眠いけれど陣痛の波は緩やかだけれどやってきます。
ウトウト寝ている暇はありません。眠気の波の時こそ陣痛の波が来たり。
第一子の時とは打って変わって、何とも随分と緩やかな出産までの経過でした。
(かと言って、陣痛です。陣痛自体が緩やかなわけはありません。)
翌日の朝8時過ぎ、出産部屋に入ってから何と約30時間後、
無事に第二子の出産となりました。
振り返っても果てしなく長く続くと感じられたお産でした。
入院期間6週間。今振り返っても長い時間でした。
(色々なことを考慮して第二子も無痛分娩ではなく自然分娩での出産となりました。
そして、6週間のベッドレスト入院であっても、
もちろん容赦なく産後48時間後の退院でした。)
動じない力
パートナーはよく寝ます。おそらく心配事があるのであろう、
何か本人的に困っているのであろうと思われる時には
決まってウトウトと寝始めます。意識して寝始めると言うよりは、
無意識下で寝始めるような様子です。
一時は睡眠不足からのウトウト寝なのかと思っていましたが、
どうもそれだけでは無い様子です。
本人は意識していないかもしれないけれど、
本能的に体を守る防御システムが作動し始めたかのような様子です。
私から見ると、生命維持の為の防御反応のようにも見受けられます。
今はそんな風に観察できますが新婚旅行の時はびっくりしたし、
第二子の出産時の時は若干、呆れもしました。
こうした緊急事態の時にウトウト、すやすや眠れるだなんて。
一方で結婚年数を重ねて、夫婦として家族として
大波、小波と様々なことをチームとして進む中で、
夫のそのウトウト、すやすや寝が、ここぞという時の
夫の動じない力につながっているのではと言う視点で
捉えられるようにもなってきました。
異国の地で二人で共倒れになっていたらそれはそれは大変だったでしょう。
大人2人、小さな幼子2人、家族4人で総倒れになっていたら
それこそ目も当てられなかったでしょう。
第二子出産時、パートナーとして気持ち的にもサポート的にも
もう少し寄り添って欲しいと思った瞬間もありましたが、
チームとしてはパートナーのあのウトウト、すやすや寝のおかげで
出産直後の別の緊急事態にも対応できました。
予期せぬことが続く時は続くもので、私は第二子出産直後、
急な悪寒からの高熱でNICUに運ばれた第二子の側に
直ぐには向かうことができませんでした。
代わりに睡眠で十分エネルギーチャージをした元気なパートナーが
第二子の側に向かってくれました。
凹凸とお互い様
パートナーと私の凹凸は色々な点で異なります。
文字にすると凹凸となんだかレゴブロックみたいで可愛らしく見えますが
日常生活上の凹凸、特に感情を伴う凹凸は
そんなに可愛らしいことばかりではないと思います(よね?)。
夫婦間での目の前に見える短期的な落ち込みが
中長期的には家族全体で考えると先に進む力になっている。
我が家の場合の夫のウトウト、すやすや寝には
そんな力が秘められているのかもしれない、
そうであって欲しい、いやそうであると思いたい、
(いや、そうであると思わないとやりきれない(笑))
とも思います。
え?今、この状況下でウトウト、すやすや寝始めるの?
と思う瞬間は今でもありますが、
このウトウト、すやすや寝が家族として先に進む力になり、
未来への何かにつながっているか、、、も?そうであろう、、、
と期待して、そのウトウト、すやすや寝を
目を(眉を)細めてまじまじと観察したいと思います。
一方で、そんなパートナーにも時に眠れぬ夜もあるようです。
そんなこととはつゆ知らず、私はすやすや夢の中。
夫の凸は私の凹、夫の凹は私の凸。
それぞれに凹凸も得意、不得意もあります。
色々お互い様です。
時に相手のピンチを救い、自分のピンチも救われることにもなる(かも?)
しれない凹凸の関係は相互のお互い様の意識あってのことだと思います。
目の前の「え??」の感情を自分で素直に感じつつも、
その感情に流され過ぎないような中長期的視点と
互いにお互い様の意識を持ち続ける。
心身共に健やかにを心がけて生活することを意識して
しばらくは私も家族も入院する必要のない生活を送れることを切に願って
私の入院経験の振り返りを終わりたいと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました。