過去
私には6人の姉と兄と妹がいます。
父親は3人
母親は1人
母とは呼ばないけどママハハが2人います。
普通とは?
という普通も常識もない中で育ってきました。
幼少期の頃、父と母が離婚をするたびに
お金がないと大好きな家族と離れて
暮らさないといけなくなるんだ
という経験をしたことから
"お金持ちになりたい。"
ママとパパとずっと一緒にいれるように
私がお金を稼いでレンガのお家を建てるんだ!
三匹のこぶたの本を読んで
抱いた初めての夢でした。
記憶では幼稚園〜小学校低学年の頃。
その次に抱いた夢は
姉が芸能の仕事を小学校低学年で
しているのを見てきて、
私も事務所に入りたい!!
と言ったものの
2人分の月謝は払えない現実問題もあり、
えりちゃんはゆうこと聞かないから
できないでしょ!
と暴れん坊だった幼少期の私をみて
母から言われた言葉を今でも覚えてます。
でもどれだけ時間が経っても
この夢も冷めることはなく
人の心を魅了させてくれる芸能の世界に
私は諦めきれなかった。
小6の頃から親に隠れて
事務所のオーディション受けたり
モー娘。のオーディション受けたり
自分でオーディションを見つけてきては
受けて落ちる。
たまに受かってもお金を出してあげれないと
諦めなければいけない時間を過ごしました。
中学生になり、この挑戦も変わらず続けて
何故ここまで人にみられたいのか?
と考えた時に、離れ離れになったパパやおじいちゃん、おばあちゃんの目に
TV越しでも、どうにか
自分の成長をみせたなかったんだなと
今では思います。
親からは本当にそれが夢ならば
自立して働き出してから叶えなさい。
と言われたことをきっかけに
高校卒業するまで芸能の道を諦めました。
諦めたものの、
結婚式場で配膳サービスのアルバイトを始めて
そこで初めて、上司から
ブライダルショーに出てみるか?
と声をかけてもらい、
ランウェイデビューを果たしたこときっかけに
また私の夢は再び目覚めました。
だけどまずは自立した大人になることを
最優先だと思い、高校卒業して
一年後ようやく自分で生活できるように
なった頃からモデル事務所に所属をしました。
ですが現実問題事務所に所属しても
自分がやりたかったクールなモデルではなく
若いからフレッシュな笑顔が求められるとわかり
笑いたくないけどニコニコ笑う
芸能生活の入り口でした。
ガールズユニットに所属して
TV、TVCM、ライブ活動など
私のキャラクターとは真逆な自分を演出して
仕事をしなきゃいけないことにストレスを感じ、
そして夢を追うってアルバイト三昧な生活で
何個も仕事掛け持ちしてモデル業を
やる意義が段々とわからなくなり、
また周りは親や彼氏の援助があって
夢を追ってる姿を見た時に
アホらしくなってきて
私は親や男性に頼って自分の夢を
叶えることは恥ずかしいし、嬉しくない
だったら私はお金を稼げる自分になって
家族を支えられる自分になりたい。
と感じたことをきっかけに
23歳でイベントコンパニオンモデル事務所
Irisを立ち上げました。
自分が現場に出ていた時に
感じていた個人事業主のつらさを
全面取っ払った事務所をつくりたかったこの想いが今でも私の信念にあるから
誰よりも動くと決めています。
私は18歳の時母がくも膜下出血で倒れ
数日意識がなく、本当に生きれるのか?
死ぬのか?わからない状態のICUに入っている期間がありました。
倒れた時はイベントのお仕事をしている最中
休憩に入ると携帯にみたことない量の着信が。。
家族、親戚全員からの着信で携帯は埋め尽くされていて、なんとなく察した。
電話をして事態を把握するものの
イベントのお仕事を帰ることも
翌日からも休むことは許されなかった事務所で育ちました。
今でこそ母が生きてるから私はこの業界にまだいれてるけど
あの時母が死んでしまってたら、母の死に目に会えてなかったこと想像したら
もう夢を追うことを諦めてた人生だったかもしれない。
私が事務所をつくるときには
体調不良やプライベートでの大事なこと
個人事業主でも支え合える会社を
作りたいと思って起業しました。
立ち上げ当初は、名刺交換の仕方も
メールの送り方も請求書の作り方も
何一つわからなくて、
自分で目標設定して
ひたすら行動した結果
一年後には50人が所属する事務所に
なりました。
どんな小さな仕事でも
自分にできることは受けて、
他社が欠員を出した時にも
うちの会社には関係ないことでも
自分が現場に出て、クライアントの力になれることを一生懸命に頑張ってきました。
イベントコンパニオン、モデルは
一つの事務所で生計を立てれてる人は
ほんの一握りしかいなくて
私はその業界の壁もぶち壊したかった。
自分の会社だけで生計を立てられる
女性を増やして安心して
やりたいお仕事ができる環境を整えることを
一番に考えて会社経営をしてきました。
だけど現実問題、安定しない
イベントのお仕事。
毎年発注がもらえるかわからない
コロナのときに大打撃を受けて
気づきました。
オフラインのPR/プロモーションだけで
戦うことは難しい。
オンラインでPR/プロモーションができるようにならないと売上を安定させることができない。
そして子供を産み、自分の人生を見つめ直したときにも
自分がモデルとして広告塔にたって、
行きたい夢を本当に諦めていいのか?
そう考えた時に私は子供のせいで
夢を諦めたと子供に言いなくない。
どんな困難あっても夢は諦めなければ
叶えられることを自分の背中を通して
子供に伝えようと産んだ時に決めました。
そこから7年越しに裏方だけじゃなく
表の世界でも自分が活躍することが
自分の会社にとっても
オンラインオフラインの融合性で
唯一無二のイベント会社になれると
おもったこときっかけに
2023年関西コレクションのオーディションを受け、3万人規模のランウェイで
ようやく31歳にして歩く夢を果たしました。
だけどやっぱり表に立つだけじゃなく裏方
経営もやっていかないと
生活することはできない。
経営者としてコロナ禍から
売上を上げることができなくなり、
妊娠出産子育てを経て更に
社会との断絶された時間があったからこそ
どう立ち回っていいかもわからなくなり
私はそんな自分を変えたくて
nontitleのオーディションを受けました。
田舎と言われる福岡しか知らなかった私は
日本の一番都市である街をみて
自分の未熟さに気づくことができ、
だけどどこまで行っても
私はオンラインとオフラインの融合させた
広告塔になることが私の夢であると気づきました。
自社のイベントサービスを提供することも
もちろんだけど私自身培ってきた経験と
認知力を活かしていかせるサービスが
今の私にはできるとおもってます。
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