旧東海道歩き112 赤坂宿と旅籠の浴衣
杉並木を過ぎるあっという間に赤坂宿。
36番目の宿場町。
そして、せっかく見つけた、浮世絵検索
赤坂宿。
なるほど、これ見ると、お客さん、同じ浴衣、着てるな(縁側にいるのは、ふろ上がりの人で、その右隣で横になってくつろいでる人の浴衣の模様が一緒)
ちなみに、お食事を持ってきている女中さんの奥にいるのが、按摩さん
そして、こちらでお化粧を整えているのが飯盛女
貧しい農村から売られてきた、可哀想な女性たちなのだけど。。
この記事から引用します。
安政期の東海道の大きな宿場の揚代は500文~700文(9,500~13,300円)、中規模の宿場では300文(5.700円)くらいで、他に酒1本と肴1品程度の酒肴代が400文(7,600円)、番頭や仲居へのご祝儀が200文(3,800円)くらいだったと記されている。 ちなみに東海道中膝栗毛では、飯盛女は200文(3,800円)とあるそうだ。
飯盛女、安すぎないか???
そして、弔われ方も、牛馬同然(投げ込み寺とかね)。
むしろ、馬の方が丁重に弔われているのでは?ってぐらい。
そして今でも、旅人の休憩所があったりするのです。
・・・大分、記事の毛色が変わりましたが、、、
そして、旅籠で浴衣を借りていたか、どうやら、良い旅籠では浴衣のサービスもあったようだ、っていうのが一つ、分かりました笑