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無 / 鈴木祐

図書館で本を借りてきて、結局、Kidle Unlimitedで本を読んでいるのですが、こちらの本。
まだ、途中までなのですが、すごく納得したこと。
自分探し、なんて言っても、結局、相手との関係の中での自分だから、単体として「自分」なんてものは無い、と。
これ、すごい納得なんだよなー。
たとえば、上の子と下の子、両方、同じスポーツをやっているのですが(上の子はもうやってないですが、、)、その中で、私は、上の子の時、下の子がまだ小さくて、練習の見守り、遠征の帯同などは、全部、旦那さんにお任せだったのです。
私が見に行くのは、ほぼ、大会の時だけ。
その時は、ほーんと、他の保護者さんと、全然話せなかった。
話しかけてもらえた時のみ、ちょこっと話すぐらいで。
それが今、下の子の練習、ほぼ行っていて、そうすると、他の保護者さんに自分から話しかけるもんな。
特に、新しく入ってきた人に対しては、すごい話しかける。
だから、結局、持たされる役割というか、どこでも同じ自分なわけは無いし、状況によって振る舞いは変わる。

それと、少し違う話で、多分、自己紹介のnoteの記事を一つ作っておくと良いんだろうな、と思うのだけど、なかなか、書くことができず。
ほー---んと、自己紹介、苦手。
そこで言うと、最近、ノブロックドキュメントを見ていて

まだ、10代半ば~20代なりたての女の子が「私はこういう人間です」というセルフプロデュースをしないといけないのって、しんどいよなぁ、と。
40代の私でさえ、あなたはどんな人ですか?って聞かれたら、会社に勤めていて、子どもが二人いる、っていう、事実は述べられるけども。。
・・・そうねー、会社の面接のときは、自分がどういう人間か、言うか。
まーでも、そういう風に、必要に迫られない限り、自分で自分を定義することはあんまり無いなぁ。

ま、でも、生きづらさっていうのは、感じてるんだよなぁ。
だから、こういう本を定期的に読むのだけど、根治することがない。
まぁ、それが生きるってことなのかもしれないけど。。
で、読み進めていくの楽しみ!

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