旧東海道歩き151 鈴鹿峠自然の家と馬子唄
そんなに高い山でもないのに、雲が頂上にかかってる
ガードレールに貼られる東海道
そして、千社札をはる不届き者が。
また鈴鹿川と出会う
関町の仕切り弁
旧関町のマンホールで、市章は亀山市(真ん中の山のマーク)
旧関町の花・シャクナゲ、町の鳥・キジ、町の獣・シカ。
周囲に、町の木・スギを描いている。
町の獣とは。いるのかな、鹿。
古そうな常夜灯だけど、さらっとしか撮ってない、、
土石流危険渓流
多分、旅人のための軒先のベンチ。
皆様、お優しい。。
筆捨山
本来、この山の呼称は岩根山であったが、室町時代の絵師である狩野元信が沓掛(関町沓掛)でこの山を描こうとしたところ、2日目に雲や霞が発生して漂ってしまい山の全景が前日とは大きく異なってしまったため、描くのを断念して筆を捨てたことから筆捨山と呼ばれるようになったと伝えられる
私は、どれが筆捨山なのか分からなかった。。
天文台が見えるので近づいてみる
旧坂下尋常高等小学校で、現鈴鹿峠自然の家
そして、ここに、馬子唄の説明をしたパネルが
坂は照る照る 鈴鹿は曇る
あいの土山雨が降る
鈴鹿峠を境に天気が変わるってことなんだろね。
そして、馬子唄。
へーーーー
元々は、旧南部領(岩手県)の博労(牛馬の仲買人)が、夜間に馬を曳いて移動するときに、ここに馬がいるよ、だとか、キツネだ狸だかが出てこないように、また、馬の眠気覚ましに歌い始めたのが始まりなのだと。
鈴鹿馬子唄、思ったよりゆったりしてるな。
こんな唄を歌いながら馬を曳いていくってのも、情緒があって素敵。