旧東海道歩き152 坂之下と江戸時代の結婚
広重の坂下宿の絵
そう、私自身が、筆捨山、どれかよく分からなかったんだよなー。。
こういう滝もあっただろうか、、
茶屋で眺めに感じ入る人と、歌を詠む、お坊さんだろうか。
後ろの方では談笑する客と、これは、この茶屋のご夫婦だろか。
そして、せっかく馬子歌の話をしたので、牛で荷物を運ぶ、これは親子だろか。
てことは、この馬子は結婚してるんだろか。
そう、最近、江戸時代、未婚で生涯を終える人が多かった、っていうコラムを読んで
いやー、、、今までも色々見てきたけど、江戸の男性だけじゃなくて、下女中だったり、飯盛女だったり、女性も結婚して家庭を持って、っていう未来が全く見えない。
となると、この馬子は親子なのか、疑わしいけども、、どうなんだろ。
そして、現在の坂下宿の看板
本陣3軒、脇本陣1軒となっているけども
改めて、坂下宿の収容人数見たら、665人ってなってて、まぁまぁ、かな。。
そして、関西鉄道の開通により、宿場町としての役目を終えた、と。
悲しいことを。。
あと、きちんと写真撮れてないけど、後ろ、茶畑になってる。
そして、路面がぬれていて滑るのが怖い。。