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旧東海道歩き86 金谷宿と江戸時代の旧東海道の交通量の考察。

越すに越されぬ大井川を橋で渡り切る。
そして、なかなか越せないのは、西からも同様なはずなのだけど、あっさりした展示だった。

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こちらが、連台。
そして、日本橋から24番目の金谷宿へ。

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大井川鐡道大井線を横切る

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折角なので、金谷駅をちょこっと見に行く

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へえ、トーマスが走るんだ、と。

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そして、SLポスト!
喜び勇んで、はがきと切手を買って、子どもたちに送ったのだけど、全然喜んでもらえず、私だけが楽しいのだった。

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ほら、風景印も素敵!
と思ったら、これ、廃止されてた。。

https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/fuke/result_pre.php?pref_id=22

・・・切手の風景印。。これもマニアいるだろうな、と思ったら、いた!

http://yushu.or.jp/tanoshimi/other/other01.html

切手なんてもう、好事家がいーーーーっぱいいるもんね笑

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そして、16時ごろ行ったのですが、トーマス人気!
やっぱり、予約していかないと。
・・・SLの空席も気になりますが。

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金谷宿佐塚屋本陣

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そこに、佐塚書店。
御子息がずっと住まれている。

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金谷宿、島田宿まで1里と近いけれども、それも当然、大井川が渡れないときに宿泊施設が無いと困っちゃうから。
そして、宿場町の規模を確認すると

島田宿 本陣 3軒、脇本陣 0軒、旅籠 48軒
金谷宿 本陣 3軒、脇本陣 1軒、旅籠 51軒

となると、大体同じぐらいかね。
で、江戸時代、上りと下り、どっちが交通量多いのかな、みたいなことを考えたのですが、いや、必ず、行って戻る前提(それこそ、参勤交代だ、伊勢参りだなんだと)だから、特に、どちらかに偏ることは無いのかな、と思ったのだった。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2003/23-0277.pdf

土木学会の講演集に、近世後期東海道における交通量推定、っていうのがあった。
で、難しいことは分からんですが・・・各宿場宿容量、というのがあり。
1日当たり、何人泊まることができるか、ってのを出してるんだけど。
・・・こういうのって、データを加工して発表するのとか、多分、著作権的にダメですよね。。
誰か、お詳しい方、いますかね(宿場ごとの線グラフ作りたい)。。。

ま、いーや。
ざっくり、千人以上収容できる宿場が
・品川(1440)
・川崎(1015)
・戸塚(1240)
・小田原(1515)
・箱根(1260)
・三島(1075)
・浜松(1420)
・赤坂(1025)
・岡崎(1670)
・熱田(3095)
・桑名(1630)
・四日市(1450)
・大津(1125)

品川がこんなに多いのは、岡場所だったからだけど、逆に、大津がこんなに多いのは、同じように京からの岡場所?って思ったけど、これ、中山道、北国街道と交わるからかな。
どうなんだろ。

で、三島から浜松がごっそり少ない。
やっぱり、ゆーーーても。
江戸時代の人たち、江戸からはせいぜい、大山参り+江の島ぐらいで旅行してたのかね。

こちらで紹介されてるモデルケースが

大山、江の島、鎌倉5泊6日コース例
1日目 江戸から大山街道(矢倉沢往還)を進み江田か長津田で宿泊
2日目 鶴間から厚木と歩き、伊勢原で宿泊
3日目 大山に登り大山阿夫利神社を参詣、夕方藤沢で宿泊
4日目 江の島を観光して、鎌倉に移動し、寺と鶴岡八幡宮を参詣、そして金沢も六浦と称名寺を観光して金沢で宿泊
5日目 川崎大師を参詣して品川遊郭で精進落としで宿泊
6日目 帰宅

とのこと。
4日目、本当にそんなスケジュール、消化できるだろか。
そして、こうだとしたら、もうちょっと藤沢宿、大きくてもいい気がするけど。
となると、やっぱり、こういう街道を歩いているのは、ほとんどが参勤交代の人たちだったんだろか。

・・・と、タイトルに「考察」とは入れたけれど、思考が発散したところで終了。
私がもし、高校生に戻れるなら、「本当に興味のあることを勉強するために大学に行った方が良いよ!」って、自分に強く勧める!

そして、色々と寄り道していて、掛川までたどり着けず、金谷の駅から電車で掛川に出て、予約していたうなぎの甚八で夕飯を食べたのでした。

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美味しかった!!

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