旧中山道歩き8 板橋宿
仲仙道踏切
漢字、イカス!
そう、中山道、って銘打って書き始めたけれども、歌川広重の浮世絵では「木曽街道六十九次」だし、溪斎英泉は「岐祖街道」っていう表記も。,
厳密には、木曽街道は、名古屋城から伏見宿の脇往還のことらしい。
ちょうど通りかかった埼京線
板橋宿
品川(東海道)、千住(奥州街道)、新宿(甲州街道)と共に江戸四宿になっている。
ここでもちらっと話しているけれども
江戸時代もさることながら、明治に入って本格的(?)な遊郭ができていたよう。
そういや、昔、赤線の名残をまとめてるサイトあったなぁ。。
まぁ、正直、なんだかなぁ、という気持ちにはなるんですが、江戸の人口の男女の偏りもひどかったから、何とも…
ま、気を取り直して。
栄泉の板橋の浮世絵
ちょうど、宿場町に入っていく入口。
お供を連れた旅人の夫婦
そこに、駕籠はいかがですか、と営業をかける
こちらは、縮尺が変ですが、巣鴨の立場らしく、馬のわらじを交換しているところ
ほう、馬にも草鞋を履かせていたのか。
吉原の馬も、明確に草鞋を履いている。
CCBoxのマンホール
電線共同溝
電線の地中化をしている場所
現在の板橋
石神井川
荒川水系の支流で一級河川
鎌倉時代から残る古い地名らしく、板橋区の由来にもなったところ
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