旧東海道歩き164-24日目 草津宿の立場とうばが餅と東海道名所図会
最終日。
寝坊して8時前に新横浜。
・・・言うても、早いですけども。。
11時前に草津で忍電車(SHINOBI-TRAIN)に乗る
まぁ、ラッキーだったのかな。
もっと写真撮りたかったんだけど、皆様普通に乗車しているから、あんまり写真撮れなかった。。
カッケー!
しかし、期間限定だったみたいで、もう走ってないみたい。
栗東市の汚水マンホール
そして、11時過ぎに手原の東海道に復帰。
当時は気が付かなかったが、このカバン、何だ?
曲がる横断歩道
旧街道の佇まい
にぎやかな軒先。
目川立場 田楽茶屋
田楽発祥の地となっているけれどもほんとだろか。
そして草津の浮世絵、名物立場
うばが餅屋らしいのだが
うばのちゃ?
これ、ば、って読むのか?
あと、関の戸餅ので見た、庵看板だ!
そしてこれも、もち、に読めないんだよなー。。
これは、右でお米を炊いて、左で餅を作っているところかな。
・・・手でこねるのか??
繋がれた馬。
荷物、降ろしてあげればいいのに。
毛槍があるってことは、参勤交代の行列がいるのかな、と思って、茶屋の中を見回してみたけど、それらしい人はおらず。
相変わらず、駕籠かきが半裸
そして、早駕籠(駕籠かき+前から引っ張ってる、人が乗ってる方)が、慌ただしさを引き立てる
うばがもち物語。
戦国時代にできたのだと。
ただ、だからこそ、なのかな>江戸以前から営業
うばがもちや、旧東海道沿いに無いんだよね。
となると、どこの立場の絵だろう、とは少しなりますが、、
そして、東海道名所図会見てたら、あれ?と思う絵が
東海道名所図会は寛政9年(1797年)に6巻6冊が刊行された。
そして、広重の東海道五十三次は1834年頃に刊行されている。
なるほど、取材の有無
で、東海道名所図会の看板
これはかろうじて「うばもちや」「うばもち」って、読める感じするんだよなー。
で、なるほど、wikipediaに戻るけど、江戸から離れれば離れるほど、東海道名所図会からの引用が目立つ、と。
すごい実感。