2024/02 仙台の旅⑨ 旧荒浜小学校
仙台から地下鉄+バスを乗り継いで旧荒浜小学校へ
土地がまっ平
防潮堤
すずめの戸締りのドライブのシーンでも出て来たけど、本当に、日常の暮らしの景色を変えるもの
本当に、ごっそり無くなっちゃってる。
津波で流された残りの住宅基礎が、展示、という言い方で合ってるだろうか、残されてる。
元々は海水浴場だったのだと
沖の消波ブロックも物悲しい
一軒一軒に家族がいて、暮らしていたんだもんなぁ、、、
そして、旧荒浜小学校へ
ちょうど、20代と思しき男の子がスタッフの説明を受けていたので、一緒に伺って良いですか?と。
お話を伺う。
津波の底の瓦礫で削られた階段
2階まで津波が来たとのことで、波の力でバルコニーの壁も壊れてしまっている
昇降口の頑丈なドアも壊れている
窓のサッシもめくれてる
1階の教室の様子
この時、小学生がいたのだけど、仙台市内の小学校、120校、って言ってたかな、5年生が見学に来るのだと。
天井がめくれてしまっている
2階の津波到達ライン
この時、2階に町内会長だったかな、集まって対策委員会みたいなことをやっていたらしいのだけど、津波が入ってきて、調理室かな?の机の上に登ってしのいだのだと。
震災前の荒浜
本当に、小学校以外、逃げられる場所がない。
それと、この横に長い住宅地、南の方、避難訓練、公園になっていたらしく、そこに避難していた人たちは流されてしまったと。
また、地震の当時、14:46、小1、2は帰宅していて、小3が下校を始めた時間で、地震の後、慌てて学校に呼び戻したのだと。
で、一人、下に小1がいるご家族が、小3の子を迎えに来て、家に帰ったら、小1の子がいなかった。
結果、隣のお宅の方が1年生を連れて避難してくれていたらしいのだが、電話もつながらないし、それが伝わっていなくて、その小1を探している間に、ご家族全員流されてお亡くなりになった、と。
それと、32歳の消防団の人が、地区のみんなの避難を助けて、もう、自分も避難しろ、って言われてこの小学校の屋上まで来て。
そこで、口うるさいタイプのおばあさんが、屋上から指をさして「あの家の爺さんがまだ避難できていない、助けに行ってくれ」と、消防団の人に言って。
迎えに行って助けたところ、グラウンドまではたどり着いたのだけど、そこで津波に流されてしまった、と。
でも、助けに行ってくれ、と言われたら、断れませんよね、みたいなことを、この説明してくださってるおじさんが普通に言ってて、何々、断る断る、と思ったのだった。
瓦礫の撤去も大変だっただろうな。。
そして、この土地、住宅地にするには盛り土しないといけないし、そもそも、ここにどうしても住みたい、と執着する人もあまりいなくて、みんな引っ越したのだと。
・・・本当かなぁ、、、