![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/23833811/rectangle_large_type_2_3f52bdea06ea86661f3f400c9515b458.jpeg?width=1200)
創造する存在を軽視する田舎
私が住む町は、デザインとか、アイデアとか、コーディネート力とか、経験と努力からなる知恵、創造の過程のようなものに、正当な価値を見出せない町なのかなと。単に、オシャレでセンス良いもの少ないから増やそうぜ!って言いたいのではなくて、あまりにも低い対価でブレインがフル回転する仕事を依頼したり、制作物や作品を勝手に流用したり、地域のためなんだしという合言葉でなんでもボランティアで頼んだりしてるのは、という意味で。
それが当たり前になっていて、気づかないようにしてきたんだけども、改めて気づいてしまった。
「あなたの今やってること、よその町ならお金がもらえてることだよ」って言われたのです。そうなんです。私が今この町で無償でやっている役回りに対して、別の町では、メンターという仕事として対価が支払われている。
対価がもらえるって、お金がもらえてウハウハ!っていうことだけでなくて、自分の働きに価値を見出してもらって、その仕事で生きていっていいよっていう、認められたような喜びがあるのかなと思うのです。人の尊厳につながるようなものというか。
私がいる組織を、団体Aとしましょう。そこに対して、多くの利害関係者がこういうのです。
団体Aはみんなのための組織なんだからタダでやってくれるよね。
団体Aは組織なんだからお金出してくれるよね。
団体Aがモノ売ると高すぎるんだよね。
団体Aが金くれとかあれやろうとか最近うるさいんだよね。
団体Aっていろいろチャレンジしてるんだからこれもやってくれるよね
団体Aがもっとやってくれれば俺らのものが売れるのに
団体Aはそんないらんことせんでいいのに
…以下略。
しかも、仰られるのは、多くが地域内の方。
…ええーー?
手前味噌かもしれませんが、団体A、他地域には見られないようなチャレンジを多々やっている、頼まれたわけでもないのにどうしたらこの地域がおもしろくなるかなって日々チャレンジしている、頼まれたこともやれる限りはやってる事業者なわけです。他地域からの評価はそれなりにある。高名な賞も頂いている。売り上げも伸びてるし雇用も増えてる。この団体Aが、ソーシャルビジネスマガジンとかに常連の、あの元気な地域にあったら、それはそれは地域として花咲くことがもっとあっただろうなあと思うほどに。
つまりですよ、私たちの仕事って、お前のチャレンジとかいらないから都合がいい時に金だけ出せって言われてるようなものなのかもしれないのです。頑張っても、足元の地域から喜ばれていない、必要とされてないに等しいと。あなたと組みたい!でも単価は1000円で抑えてね♡って何度言われたことか。それって心身削って生み出したことに対価払いたくないってことで、シネと同義語なんですよね。
若い頃、誰かに商品のサンプル試作とか相談する時、最初はサンプルだからタダでしてもらえばいいって、自然な流れで先輩方から教わったんです。無理をお願いする、世はそういうものかと。でもおかしいなと数年後に気付いて。きちんと対価を払えないような案件は持っていってはならないなと、好きだけどお声掛けするのをやめた方がちらほらいます。これ以上命を削ってくださいとはお願いできない。本当にこのお見積もりでできますかって何度も確認して、それでようやく発注するように、気をつけるようにはなったかと。親愛なる仕入れ先、連携先のみなさまに、シネなんて言えない。
ここ何年かは、できるだけ、人さまの仕事を値踏みしないように、そういうことをしないといけない仕事は切り流すようにしているんだけども。
かつて、安くしてくださいってお願いした方から、安くていいやつないですかって別件がブーメランで返ってくるという。一度自分がやったことは、自分に帰ってくるのです。業が深い。
大学で非常勤講師をさせて頂いていた際に、学生さんたちに最後に伝えたのが 「生産者や流通に関わるすべての人を軽視しないように。相手を買い叩くような仕事をしていたら、最後には消耗された自分が買い叩かれるようになるよ」って話したのです。働かないと伝わりにくいところがあるんだけども、本当にこれはある。良くも悪くも、自分の腹の黒さに見合った黒さのお客さんしかいなくなる。
ところで団体Aの給料、ご存知ですかね。アラフォー差しかかった人がもらってるのも、世の初任給レベルですよ。奨学金返せないよっていうギリギリラインで働いているのに、なのに、高すぎる、タダでやれ、金くれ、って。私たちは正当な対価をもらうことは許されないようです。私たちが、対価を頂けないということは、今やっているチャレンジが、軽視されているのか、はたまた本当に地域に即していないものなのか、見定めないといけない時がきているのだとも、感じます。
仕事内容に価値がないのなら、まあなんやかんや言われてもと思うのですが、団体Aの職務内容は素晴らしい、地方の環境を守る仕事をしていると思うのです。(個々の能力差はともかく)世のため人のためになる仕事だと思うのです。団体Aがいなくなったら、地域は悪い方へじわりと沈みこんでいくと思う。この機能をもって、他の地域で実践できれば、その地域にいくらかの良い効果はあると思う。
最近、この町は好きだけど距離置いて働きたいっていう若手をよくみるんですが。若者の働きに価値を見出してもらえないから、何だか疲れて、戦うのをやめて、出て行っているのかもしれないな。と気づきました。
自分の働きを、存在を、軽視されていると感じれば、それをきちんと見てくれるところに自然と他の地域に心は行くよね。
仮にその町で結婚したとか家を建てたとか、それぐらいしゃ人の心は縛れないよね。身だけそこに置いて、心は外に飛ばして生きることはいくらでもできる時代だからね。ぽっかり穴があいた地域になってから、気付くこともあるんだろうね。