「夢をもつ」ことは、未来へのバトン。なのかもしれない
昨日とある方とお話をしていて、
『夢』について語っていただきました。
とっても壮大なんだけど、具体的な願い・夢・目標。
それに向かって、これから、ひとつずつ小目標をクリアしながら、一歩ずつ近づいていきたいっていう大変な道のりだと思いますが、
そんな『夢』を描かれている姿を目の当たりにしました。
率直に、カッコイイなと思いました。
すごい。
それに比べ、
ぼくなんかは、特に夢はないですね・・・って返答すると、
めちゃめちゃあるじゃないですか!って言い返されました(笑)
(いつも、ぼくの記事をご覧いただいているからですかね。)
なんだか、
ちっちゃい、目の前の課題や目標は確かにいっぱいあります。
それにいつも追われているような感じがしています。
でも、何だか、大きくって、具体的な何かと問われると、
胸を張って言えるようなものは無いような感じですね。
漠然としているのかもしれません。
その方に憧れ、もっと言語化、具体化していけたら良いなと思いました。
その方と、ぼくとの視線の共通項としては、
ともに『未来』を向いていることでした。
特に、子ども達や、これからの世の中を生きていく人たちの、未来へ。
そんな視線です。
そんな大きな『夢』に対して、
その内容そのものが、未来へ向いています。
自分が、この時間の中での、繋ぎや流れの一部分であることで、これからの未来へ何かしらの影響やアクションができないかということです。
自分が何かを達成してゴールではなく、
きっと、未来へ向かってバトンを託していくものなんだろうと思います。
素晴らしいなって思いました。
ここからが本題です。
そう考えてみると、
どんな夢や目標だって、
見方によっては、
この『未来へのバトン』なんじゃないかって思いました。
自分だけの達成目標だったとしても、
誰かのためになったりとか、
次に続く誰かのためになったりとか、
類は友を呼ぶこともあるかもしれません、
社会的な流れが変わる一員かもしれません。
時間・時代は流れていき、
社会は必ずカタチを変えていきます。
どんな夢や目標だって、
必ず、何かしらの未来へのバトンになっていくんだろうと感じました。
そんな時間軸、未来思考のベクトルを背景に置いて、
自分のバトンを握って考えてみようと思います。
きっと、小さなことでも、大きなことでも
何かしらにはなるんだろうと思います。
よく、子ども達に
「将来の夢は?」っていう問いかけで
単なる職業名を答えるようなそんなんじゃなくって。
いろんなフィールドがあると思います。
小さくても、大きくても良いと思います。
誰かのためにしたいこと。
自分のためにしたいこと。
楽しいと思えること。
心が揺さぶられること。
何でも良いんだろうと思います。
そんな『夢』をもつことは、
きっと、
未来へと託すために握ったバトンなんだろうと思います。
抽象的な話でしたね。
しっかり考えていきたいです。
↓脳内BGM↓
今日もご覧いただきありがとうございます。
冒頭の美しい作品は、まりっか|noteさんの作品を使用させていただいております。ありがとうございます。
<1年前の”今日”の記事★>
あったあった!
ぼくも、チラッと出演しています(笑)