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空あるいは雲

写真は散歩中に何気なく撮ったものです。レンズは MIR-1B 37mm F2.8 ですので、少しクセのある写りかもしれません。

Camera: Sigma fp
Lense: MIR-1B 37mm F2.8

撮るきっかけは、①〜③の本です。

①「荒木経惟 ついのはてに」フィリップ・フォレスト著、
      澤田直・小黒昌文 訳(白水社)

これはフィリップ・フォレストの荒木経惟論です。その中に、荒木経惟の言葉が紹介されています。

妻が逝って、私は、空ばかり写していた。

妻の死によって、一時的に自我が溶解したのだろうか? 空ばかり写していたのは、空に自分の気持ちを求めたのだろうか? ともかく、レンズを通して「空景/近景」という作品が生まれ、フィリップ・フォレストはそれを喪の表現として高く評価しています。

②「不安の書」フェルナンド・ペソア著、高橋都彦 訳(新思索社)
フェルナンド・ペソアは「不安の書」で、雲を見て次のように書いています。

わたしは客観的にも主観的にも自分自身に飽きた。すべてに、すべてに関するすべてに飽きた。

ペソアについては、自我の溶解というより、別の自我を模索しているようです。そこから、「異名」すなわち「自分自身による他人」が現れることになります。

③「フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路」澤田直 著(集英社)

アントニオ・タブッキの作品を読むにつれ、フェルナンド・ペソアの存在が大きくなってきます。2023年に出版されたこの本は、私にとってペソアを知るための最適な入門書です。奇しくも、著者である澤田直さんは、最初に紹介したフィリップ・フォレストによる荒木経惟論の翻訳者でもあります。②の「不安の書」と合わせて読むとペソアの理解が深まってきます。

ふと空/雲を見ると、穏やかな気持ちになることがあります。時には、ふだん意識しないもの、例えば「自然の秩序」のような気配を感じることもあります。さらに、人によっては、ある種の啓示的な閃きを得て、写真や文学表現が生まれるかもしれません。


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