この世界は諦めの悪い”面白い”で出来ている ー岸正真宙ー#IRIDO
「これって、面白いですよね」
僕は頻繁にいろんなことに対してこう思っているのですが、人に伝えたりするのが下手なのか、誰かに話しかけてみても
「え、あ、はい……そうですね」
「うーん、ちょっと分からない」
「そうですかね(笑)」
「ああ、うーん。ま、ちょっと後で」
と言われることが多い人生でした
……し、今もなお継続中です。
世間では『人は話し方が9割』と言われていますが、そんなことをいきなり断定されてしまうと、僕のようなしゃべり下手の人間は残りの1割で人生を生きていくことになるわけで、それはもう、帆の無い船で大西洋を渡らなければならないみたいなもんで、マゼランだって渡ること出来ないと思うんですよね。いやぁ生きずらいなぁと感じずにいられません。
そんな風に、周りの船より随分効率の悪いこの僕がわざわざ小説という形で表現していることって、結局「こうなったら面白いと思いませんか?」ってことなんだと思います。僕が人に伝えたかった、こうなると面白い、こんな生き方をしていると面白い、こんな生き物がいたら面白い、あと、こんな風に寂しくても面白いよね、って人に伝えたい、話したかったことを書いているんだと思います。友人や、根気のある人々たちが、手に取ってくれて、それが少しでも伝わったら、たった1割の人生ですが、やっぱりそう思う? そうだよね。って嬉しくなれます。
話は今回の作品アイリダに飛びますが、僕がアイリダ(IRI-DO)で描き出したかった世界は半歩ぐらい先の「未来の話」です。ARが持つ特性「空間を電子的に拡張していく」ことは、現実の自分の身体を使えるところが、ユニークで非常に面白いと僕は思っています(あ、また伝わらなさそう……)。
人間というシステムへの入力はほとんど目に限られます。しかし、出力は色んなものを使うところが、神が作った創造物としての生命の素晴らしいところで、いまだその創造物を越えるものを人間が作れていないことは周知の事実でしょう。色んなものとは、発話、目線、声、運動、手や足を使った移動や表現等、身体表現そのものを言います。だからこそ僕はARは面白いと思っているわけで、神の創造物である生命の特徴を活かして人間の技術で拡張している面白さがあると思うのです。
もちろんIT技術がもたらした、地理的な制限と時間的な制限をとっぱらう特徴があるからこそ第三次産業革命と言われているわけで、それが確実に人類を新しいステージへと引き上げたことは間違いがありません。その革新的な新しい地平から見れば、ARはIT革命が解き放った制限を再度かけているじゃないか?ってことになるのですが、それでも人間のもつ身体性は、500万年の人類の歴史の中央に君臨し続けているわけで、人類史が身体の檻から脱出するには、もう少し時間がかかるのではないかと僕は思っています。
そう考えると、アイリダのように都市ごとARで(今はXRと言いますね)装飾してしまい、さらに自分も上から別のアバターを被ることができるのは、半歩ぐらい先の未来に思えませんか?
その半歩先の未来に、みんなが面白いって思ってくれたらいいなぁ、って思って書いたのがアイリダでした。
僕としては物語を書き終わり「良くできたな」と思っていたけれど、さほど人に伝わらないなぁって思っていました。まあ、やっぱり自分なんてそんなもんかと諦観せざるを得なかったです。そうしたら、面白いなぁって思ってくれた神谷さんが書籍化の打診をくださいました。それは、大変光栄なことだと思います。なにせ、アマチュアの物語というのは数万作品がそこら中に漂っているわけで、どれを選ぶかは運や機会に寄ると思いますが、それでも選んでいただけたことは有難いことでした。
これで前よりも、ほんの少しでも多くの人に「これって面白いですよね」って話しかけられるなと、嬉しくなりました。1割は2割ぐらいになったのかもしれません。
意気揚々とした僕は、ちょっとしたアイディアをもらうぐらいのつもりで、書籍刊行の話を会社のYouさんに話しました。そしたら、まさかこんなビックプロジェクトの原作として使用してもらえるようになるとは……
こればっかりはビックリしています。
自分で言うのもあれですが、どこの誰とも分からない、無名の作家の作品を原作に据えることが会社のメリットになるとはとても思わなかったのです。
ただ、ちょっと別の意味で「面白いな」と思ったのは本当です。
だって、めちゃくちゃじゃないですか? 企画が成立する流れも、NFTと小説って組み合わせも、それから、アイリダが現実世界に実装されるかもしれないってことも。めちゃくちゃっていうのは、筋道がないというか、変というか、それはつまりセオリーを逸脱していて、これが変なのか、面白いかどっちかだと思っていて、だとしたら「面白い」に賭けてみたいですよね。
こう言う感覚は、自分が小説を書いているときに覚える興奮と変わらない。それは多分、めちゃくちゃ面白いことだと思います。
これは、面白いことが起こる気がしてきた。
NFT企画と言われてから、僕もWEB 3.0のことを少しばかり調べてみたり、教えてもらったりしました。僕にはWEB 3.0は組織論でいうティール組織を進化させたものかなぁって思っています。
また、話が飛びますが、昔から僕は複雑系の話が好きで、ネットワークの理論をちょこちょこと勉強をしていて、それと似ている気がしています。ざっくり複雑系というのを説明すると、個々にベクトルを持つ複数のエージェントが一時的に留まっている場所で起こりうる現象について、社会科学、自然科学と問わずすべての複雑な系について起こる事象を研究対象にしている学問だと思っています。
で、NFTによるWEB 3.0というのは似たような現象、つまり複雑な系が起こす振舞いによる現象、熱気や流行が起こる場なのかなと思っていて、そう言う意味でもとてもワクワクしています。また、多様性は必ず「1人だけのギフテッドを上回る」という理論もあります。WEB 3.0のコミュニティに集まっている人は、その背景や、年齢、社会的な立ち位置に関わらない(個々のベクトルを持つ複数のエージェントとしての)人々なわけで、複雑な系であり、多様性に満ちた場所でもあります。そう考えれば、人文学的にも組織論的にもWEB 3.0が持っている可能性は面白くて、ここでなら皆さんと一緒にめちゃくちゃ面白いこと——たとえ、それが自身のアイリダでなくても——が起こりそうですよね。
IRI-DO NFTでは二つの面白さがあって、ひとつはもちろん自分の原作が広がっていく面白さ、もう一つは、WEB 3.0という多様な価値観のコミュニティのなかで起こっていく出来事を見れるという面白さだと感じています。その面白さを伝えたい……
ああ、また無理かもしれませんが、それでも良いんです。
きっといま、プロジェクトに参加くださってる方々は、それぞれの自分たちの面白さを見つけて、自分たちで面白いことをしようと企んでくれていると思っています。
普通の人の1割、2割の人生でしかない僕でさえ、このプロジェクトに居られる興奮と熱狂。
そうだとしたら、やっぱり面白い世界だなって思います。
こうやって書いてみると、どうやら僕は諦めの悪い人らしい。
話し方が下手糞で、小説だって目立たなくて、せっかく本にしてもらってもまだ伝わってないと思っていて、まあ、つまり、諦めが悪いし、業も深い。
でも、NFTに関わる皆さんもこの新しい熱気に期待を持っていて、この世界は面白いって思っている、諦めの悪い人が多いに違いない。
この世界は諦めが悪い人の「面白い」で出来ている。
そう思う。
そして、IRI-DO NFT プロジェクにも同様にそんな熱気のある「面白い」があるに違いない。
皆さんと一緒に、このプロジェクトが盛り上がることを期待しています。
2023.03 岸正真宙
#小説
#コミュニティ
#NFT
#コンテンツ
#Web3
#ストーリー
#NFTアート
#グローバル
#NFTクリエイター
#NFTアーティスト
#IRIDO
#アイリダ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?