ミミクロイドル あっしゅんの話 8
その日のレッスンもきつく、三曲分いっきに覚え込まされた。三人とも今どの曲の振り付けの話なのかと混乱したぐらいだ。振付師の先生も先生で、思いついたらどんどん話をしてしまうタイプの人なので、現曲の話をしているのに、一個前の振付みたいにとか指示をだすので、余計にややこしい。ほぼほぼぶっ通しで振付を覚え、三人で合うようになったと思ったら、demoを聞きながらそれぞれのパートの歌の練習をして、休憩中に衣装のチェックと頭も体も休まることは無い。
衣装はARなので、フィッティングと言うのは無いのだけど、実際に身体に纏うまでの工程は普通の衣装と同じで、ラフ画、デザイン画、三次元デジタル、ARと次元をあげて、実際のものに近づけていきながら確認していくらしい。
衣装決めと一緒に、私たちのメンバーカラーも決めた。ルナはリーダー的な意味も含めてレッド、私はグリーン、そしてイブはパープルだ。メンバーカラーは今後のいろんなグッズ展開、グラフィック、衣装のデザインやARエフェクトなどの差し色として統一されていく。そして、そのカラーが何よりも大事になるのがライブでのファンたちが振るサイリウムだ。推しを応援する為に、メンバーカラーのサイリウムを使って私たちに伝えるのだ。「大丈夫、僕らがついているからね」と。
私がグリーンにしたのは、新しい芽吹きの意味を持つからだ。そして、Miku×Mikuがこれから大きな木に育っていく為にも、私が葉として大きくなり、二人の鮮やかな才能を花開かせていくんだという意気込みを込めたからだ。お互いに自分たちのカラーについての想いを話したり、簡単なエフェクトを作ったりして、自分たちの色を愛でた。いつか私のファンがついてくれたら、グリーンであしらったタオルやサイリムをライブ会場に持ち込んで応援してくれるかなと想像をした。
翌日はついに歌入れだ。近くのスタジオに移動して、一日中缶詰めになる。斎藤さんはもちろん、音楽ディレクターも一緒に楽曲づくりをする。歌はパートごとにメンバーばらばらに収録することになる。その為、三人同時にスタジオに入ることはない。まずはルナのパートを収録し、そのあと私、イブという風に時間を分けて収録することになる。が、この日はスタジオを二つ借り、二人が歌入れ、空いている一人は喉を休ませながら、体幹などのトレーニングという一瞬も休む暇のない……いや、効率的なスケジューリングになっていた。
録音ルームは独りだけ入れるようなサイズで、モールなどについている多機能トイレよりも小さい。防音室に入ると、無駄な音はなくなり、普段どれほどの生活音の中にいるのかということが浮き彫りになる。小さな窓があり、その向こうにディレクターさんや斎藤さんが座っている。私は歌詞表をARで開いて目の前の空中に表示させた。エクスプレッション(動作)ペンを目の前の譜面台の下に置いておく。
録音ルームの外から応答の声がヘッドフォン越しに聞こえる。歌入れ前にカウント音が入り、指示されたパートを歌っていく。歌い終えると、ディレクションが入り、歌い方の方向性だったり、感情の幅だったり、抑揚や表現を指示されて、また同じパートを入れていく。
自分が最初の時はメンバーの声が聴けないが、あとからのときはメンバーの歌声も流してくれる。二人の歌があると、あっしゅんはもっと可愛くとか、がなりを入れて欲しいとか、二人の雰囲気に合わせて全体のバランスを調整することがある。楽曲を作り上げるということは、こういう細かなディレクションの積み重ねである。歌を歌い終わると、そのたびに防音室でほんの少し無音の状態で待たされる。扉の向こう側で斎藤さんとディレクターとエンジニアが相談をしている姿が見える。何か相談したら、オーケーですとか、もう一回とか私の次の行動が決まっていく。
楽曲を作るうえで、自分が全部を知っておくことが出来ない感じが分かった。それでも通しで曲を聴かせてもらうと、自分の声や二人の声に色合いが出ていた。単純に三人で合わせるだけでは出てこなかった歌になっている。感覚として、これが面白かった。自分たちだけで作っているのではなく、多くの人の手を借りてMiku×Mikuが作られている気がしてくる。今まで知っているアイドル達もこうやって作られてきたのだと思うと、自分たちは本当に一面のみで彼女たちのことを知っていた気でいたのだなとか思えてくるのだ。
無事に楽曲作成を走り終えた頃には夜の二二時を少し回っていた。三人も、ディレクターたちスタッフもヘロヘロだった。それでも手ごたえを感じる楽曲が出来た気がする。斎藤さんも、粒ぞろいの楽曲だと喜んでいた。こんな風に作り手の一端を担いながらも、大人の調整をしていく斎藤さんは、その日もまだ仕事があるとスタジオをあとにして次に向かった。本当にどれくらい仕事をしているのだろうと心配になる。
「おわったーーー」
流石にルナもイブも疲れ果てている。蒸したタオルを顔に掛けて、ソファーに倒れこんだ。その姿は流石にアイドルとは言えず、どちらかと言えばおっさんだった。あの人たちも自分たちの限界まで何かをした後だから、いつもおっさんになるのかもしれない。
疲れると人は色々と外側につけているものを脱ぎ始める。靴下とか、下着とか、でもそれは何も身に纏うものだけでは無い。たとえばルナは疲れると、愚痴っぽくなる。普段はしっかりしている分、口に戸をつけているのに、疲れると緩んでしまうみたいだった。イブはだいたい食欲に変換されるみたいで、普段の食事制限がこういうところで限界を迎えるみたいだった。私はハイになって、無駄口が増えてどうでもいいことを良く口にする。それこそおっさんと変わらないほどだった。
「そう言えば、たまみちゃんはどうしてるの?」
ソファーであおむけになっているルナに彼女が飼っている猫について尋ねた。最初見た時はとても高飛車なイメージがあったが、何度もレッスンルームで出会ううちにかなり懐いてもらい、今では自分もたまみが好きであった。
「うん、家でお母さんたちに見てもらっているよ。ちょっと気難しいところがある娘だから、心配だよね。って、さ、あたしお家に帰りたいかも。あーん、たまみに逢いたい」
裏声を遺憾なく発揮し、誰も居ない空間いあざとさを見せつける。
「何その似合わない、泣き声」
最近気づいたが、思った以上にイブは突っ込みキャラみたいだ。僕っ娘がこんなにするどく言葉を使うシーンは恐らくファンも悶絶するだろう。
「ああ、今のは傷ついた。えーん、あっしゅん、イブが苛めるよぉ」
ソファーから一歩も動くことなく、ルナが空中に向かって泣き言を言う。
「まあまあ、お腹が空いていると、噛み付くからさ、あのトラちゃんは」
「誰がトラやねん」
「うわ、出た。えせ関西弁」
三人ともソファーから天井に向かって言葉を発している。相手の表情を見ることなく空中で会話しているのにテンポが凄くあった。最初、出逢った時は凸凹で、全員かみ合うことなんかなかったのに、今や声の調子だけで相手の感情が分かる。
「僕はどちらかというと豹なんだよ」
「女豹じゃん。黒い方? ヒョウ柄?」
「うーん、黒かなぁ?」
「どっちでもいいでしょう? てか、大型の猫科なのね」
「じゃあ、イブはイブミにしよう」
「猫だしね。たまみと同等ということで」
「やめい!」
くだらない会話が永遠と続く。やらなくてはいけないTODOリストは頭の中から抜け落ちていった。どうでもいい時間こそが本当に大切なもののようにふわふわと空間を埋めていった。
「ルナ―、イブー、あっしゅーーん」
そんな風にダラダラと過ごしていると、部屋の外で振付の先生が呼ぶ声が聞こえ、どうやら私たちを探しているようだった。私が扉を開けようと立ちあがったら、腕を引っ張るルナがいた。
「だめ、あの先生が今私たちを探しているってことは、追加の振付を思いついたんだよ。これからトレーニングとか死んじゃう」
それを聞いて、私も血の気が引いた。
「先生、ガチの気違いじゃん」
私もつい汚い言葉が口をついて出た。だって、今日は何時間と踊ったり歌ったりしたと思ってるんだろう。流石に今日はもう動きたくない。私のガソリンタンクのエンプティランプが点灯しっぱなしなのだ。ルナと私は天を仰いで、どうか見つからないでと祈っていた。
「ねぇねぇ、いける、いける。ここから降りて、ホテルに帰ろう」
窓を開けたイブが覗き込んでいて、小声で私たちに合図した。ここは一階とはいえ、少し高くなっていたから窓から逃げ出すとか考えてなった。イブの言葉を聞いた、ルナの反応は早く、靴を履いたと思ったら身軽に窓の外に乗り出していた。私も慌ててそれに続く。
後ろ手で窓を閉めると、部屋に入り込んできた先生の気配を感じる。間一髪だ。私は顔だけで状況を二人に伝える。それを見たイブが楽しそうに笑顔を作り、ルナが泣き顔になり、三人して窓下の草木を分けながら前進して次の部屋の下まで逃げる。こんな姿どこがアイドルなのかとまた可笑しくなってきた。
目の前の角を曲がり切ったところで、背後で窓が開く音が聞こえる。
「ルナ―、イブ―、あっしゅーん」
迷子の猫を探しているみたいな口調で先生が窓の外に声掛けした。
——ほら、イブミ呼ばれてるよ——
——にゃーん、って応えるかぁい!——
——ちょっと、今つっこまないでよ。笑っちゃうじゃない——
流れが面白くて、私が口を開いて笑おうとしたら、アサシンみたいな速さで二人して私の口を手で閉めた。息が出来ないレベルで押さえつけられる。真剣な表情のルナと、笑ってるイブが目の前にいた。やめて、面白すぎる。
三人で壁の陰にマッチ棒みたいになりながら、先生が窓を閉めて気配が消えるまでやり過ごした。深い深いため息が出たら、タイミングよく三人とも目が合ってお腹を抱えて笑ってしまう。先生、必死過ぎるし、私たちも馬鹿馬鹿しい。でも、いいや。このまま事務所の人にバレないようにホテルに逃げることにした。
合宿所を抜け出してホテルに帰るまでの夜のメトロポリタンは色鮮やかだった。電光掲示が空中に浮いていて、ミミクロイドルのファリル・ルーが笑いかけている。三人でそれを見上げながら、自分たちの未来を想像した。大きなライブビジョンでいつか自分たちのARも表示される、そんな風にしてアイリダで活動している、自分たちの姿を。
岸正真宙
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