ミミクロイドル あっしゅんの話 1
漆黒の空間に大きなカウンターが映し出された。しばらく待つと、ピッと電子音と共にゼロが一つ動いてそれがカウントアップし始めた。そのままカウントアップは続き、電子音が鳴り続けていく。アーバンデザインされたミュージックがリズムと一緒に流れ始め、薄ピンク色の幾何学模様が、天地ともに会場全体に上下に降り注いだ。ARによる演出で、舞台だけでなく会場全体を幾何学模様が覆い観客を沸かした。ギターのソロが鳴り響き、会場は手拍子でそれに応えた。ギターのカッティングに合わせて、白と黒と薄ピンク色の舞台照明が切り替えられていく。カウンター数は次第にスピード上げて増えていき、その数が140,000を超えたところで、会場全体がもう一度黒く塗りつぶされその数値だけが光の残像として残った。すると天頂から一筋の光が降り注ぎ、そこから碧色の蝶が何万匹と舞い降りてくる。蝶の動きはカオスながらも、そのうちの数千匹は舞台の中央に収斂されていった。それと同時に、何百本とレーザーが舞台の外に花のように開いて、その後に中央へと閉じていった。会場の一番遠くからバズーカースポットライトが舞台上の一人の少女のシルエットを映し出す。会場の歓声が沸きたった。
「I‘ m in your heart」
彼女の口がそう唱えると、魔法がかかったように会場全体に光の雨が降り注いだ。時間が狂ったように雨は落ちると同時に天に戻る。その繰り返しと共に、暗闇の中から碧色の光の帯が何本も会場を包んだ。その動きは新体操のリボン競技のごとく、空中を素早く駆け巡りながら、空気抵抗によって予測できない動きをする。
——ふっと 途切れたあなたの目線
これからもよろしくね って言おうと思ったのに
どこを見ているの 何を見ているの——
彼女のリリックがARの文字で表現され、会場のあらゆるところに隠れては顔を出した。目の前の人のフードの後ろや、自分の靴の上を這って言ったり、隣の彼女の頬に描かれたり。唄うたびに、会場のそこかしこにリリックが現れた。舞台の上の彼女が動くと、その動いた残像が残って、光の粒になって消えていく。腕を上げると、その手に会場や舞台を忙しく動くあのリボンが絡みつく。彼女が笑顔を向けると、周囲に電子的な花火が咲く。彼女がウィンクをすると、碧色の蝶が羽化していく。今までにない、ARによる同時演出の新しいライブが始まっていた。
「あぁ。可愛い。どうしよう、可愛い」
今、私が推しに推しているミミクロイドルのファリル・ルーのライブ映像だった。彼女は自信に溢れている。彼女は不安でつぶれそうだった。彼女は可憐で、儚さで消えてしまいそうだった。彼女の笑顔は、この世界の「かわいい」を集めたような表情だった——
アイドルの歴史はまだ浅い。日本文化の中で特異に発展したアイドルは、世界的にも例を見ないメディアコンテンツとなった。1970年代の萌芽期からテレビという媒体と共に発展してきたアイドルコンテンツは、紆余曲折を経ながらも新たな時代へ突入しようとしていた。人類には「かわいい」を受け入れ、守る為の遺伝子が組み込まれているという。アイドルはその遺伝子を刺激するのではなく、共鳴させる存在だった。日本のアイドルは、強固なファン層と共に文化の舞台から降りずに、一緒に歩み続けてきた。推しの為に、何度も人生をやり直せるほどの大金を投じる人もいるという。彼らは自分たちの現実には存在しない「輝く彼女たち」を守り、舞台に押し上げたかったんだと思う。そして、舞台上の彼女たちは死の淵と生の輝きを体現していく存在になっていく。
ある時期から、いくつかの有名なアイドルグループの主要メンバーに相次ぐ休養が続いた。生身の少女が背負える重さをはるかに超えた。他人の夢の重さに潰されたのかもしれない。保身に敏感な大人たちはリスクのある商品に対して、アクセルを緩めていった。引いた波のあとに取り残された魚たちのようにアイドルたちは息も吸えずに淘汰されていった。そんな中、IRI-DOというサービスによって変革が起こる。IRI-DOは、渋谷の限定地域でARコスプレをすることができる体験型のSNSであった。アカウントを持ったまま、渋谷に出かければ、街はたちまちにARで描かれた夢の世界に変わり、自分も普段とはまるで違うアバターに変身することができた。このサービスを通じて出てきた新しいアイドルが通称「ミミクロイドル」だ。彼女、彼たちは、ARアバターを自分に着せて、アイドルになる。そのアイドルたちの中身がどんな容姿で、年齢で、性別であるかは観客にとって関係ない。今までにない「かわいい」を纏った彼女たちは、地下水脈で死に体だった、アイドルを推したい人々を引き付けた。彼らは、推して、推して、それでも倒れることのない、本当の嘘を纏った彼女たちに新たに狂うことにした。
ミミクロイドルである、ファリル・ルーの笑顔は「もう、終わった」と消える寸前にさえ見えた。彼女たちの生身(リアル)を感じられない観客からは、表情にうつるものが本当に彼女のモノかを判断することは難しい。それが儚さと完璧さを両立させていた。ミミクロイドルは全てを自身でプロデュースするので、完璧を演じ、魅せたいものを全て表現できた。作り物なのに、私たちは心酔する。どうして? 完璧だからだ。まやかしと見抜けないほど、私たちの脳の奥にある報酬系を共鳴させるほどの完璧な作り物。それがルーなのだ。
「いいなぁ。私もなりたいなぁ。こんな完璧な可愛いに」
私は高杉明日香。都内の高校に通う、所謂女子高生だ。高校生という時期の時間間隔は独特だ。時折、一瞬のように切なく感じることもあれば、この時間が永遠に続くような気になったりもする。私は、その独特な時間のゆるやかさが好きで、私も海月のように時間の海を浮遊していた。それが正しいというか、自分には合っていると思っていたからだった。
岸正真宙
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