ミミクロイドル あっしゅんの話 9
合宿、それからMVの撮影まで終わり、ついにデビュー情報公開の日を迎えた。今日の夕方十九時にプレスリリースが配信されて、各所メディアへ掲載されるという。ミミクロイドル専門のWEB媒体を中心にジャケット写真も大体的に出されると聞いた。Miku×Mikuの名前が、私たちが、アイリダ、そして現実世界にお披露目されることになる。
その日の二十時にまずはMVのプレミアム公開が行われ、そのあと事務所でインタビューを生配信することになっている。そこで、初ライブの告知をする予定だ。あの地獄のような合宿の全日程を終えた今、私たちはあらゆる事態に浮足立つことは無いだろうと思っていたが、それでも今日という日ははソワソワしてしまう。
それから、メディアに出ることを考えれば、学校のみんなに伝えなければならない。今後は活動をオープンにするわけだし、隠す理由も無いわけで、これ以上みんなにミミクロイドルのことを言わないのは騙しているような気がしてならない。
運動靴に足を通し、靴ひもをしっかりと結ぶ。みんなにどういう風に言えばいいか、昨日何回も練習をした。学校のみんなの反応が怖い。そもそも、変なキャラ付けをしたとはいえ、カッコよく見られたいという欲求があったんだと思う。反面、可愛いに憧れを持ち続けている。そのどちらも自分の素直な気持ちなんだと、それをみんなに打ち明けるんだと、いつもより重たい家の扉を開けた。半分ほど目を開けたような眠たい冬の空から、朝日が漏れ出ていた。
冬も本格的になり、首に巻いたマフラーで口元を隠しながら教室に入る。声が上ずらないように、周囲に挨拶をして自分の席に着いた。緊張している気持ちがバレそうで、私はマフラーをなかなか外せないでいた。バックの中から必要なものを取出し、机にしまう。色々と心の整理をしようと思っている間に、葵が登校してきた。教室に入った彼女の眼鏡が室外との寒暖差のせいで曇ってしまい、ハンカチで拭きながら席に近づいてきた。
私は小さく「おはよう」と声かける。葵も簡単に答えて別に気に留める様子も無く、彼女は椅子を引いて自分の席に座った。いつもみたいに、重そうな鞄から全教科を机にしまう。ルーティンになっている動作で朝一番の授業のノートを開きながら、ちらっと私を見たりした。
「何? なんか変? え? あ、マフラー? 確かに外した方が……。え? ああ、オシャレって? ありがとう」
ダメだ。変に意識してしまって、葵の一挙手一投足が自分の何かを見透かされているような気してまう。受け答えの全てが挙動不審だ。これじゃあ、まるで犯罪者みたいだ。
「おはよう~~」
茉優があくびをしながら登校する。席に着くなり、昨日見たK-POPアイドルの話をし始めた。最近のイケメングループで、写真投稿SNSなどでメンバー同士が撮った動画をチェックするのが茉優の中で日課になっていた。昨日○○くんが——とか、○○くんとのからみが可愛くて——とか、○○くん絶対あざといって~——など、自覚しているのに沼へ溺れており、毎夜偶像に恋する乙女が悶えていた。そのせいで、彼女の朝はいつも眠そうだった。毎回のように聞き流すその話を受けながらも、私は自分の話をするタイミングを探っていた。
茉優と葵とは中学からの付き合いだった。私たちは中高一貫校で、高校までの六年間を同じくする。ユーリは海外留学枠で高校編入してきたので、二人に比べると出会ってからの期間は浅い(が、気にしないタイプで、どんどん私に迫ってくるので四人とても仲良しである)。
二人と最初出逢ったとき、この二人と仲良くなれる気がしなかった。なんといっても、まず私が陰キャなのに顔が顔なのでクールな雰囲気が出てしまい、茉優は正反対の陽キャ可愛い子だったし、葵はガリ勉の眼鏡っ娘だったからだ。じゃんけんみたいな三人組で接点など無く、入学からしばらくは話す機会さえ無かった。
ただ、私は人を観察する癖があり、つい二人を勝手に気にかけていた。例えば、茉優は自然と周りの子たちに気をつかえる子で、周りを笑顔に変えられる。可愛いし、男子がいたら相当モテたと思う。逆に葵は他の生徒と関わりを持たないで、孤高な存在だった。だけど、授業で先生に当てられたら絶対に的確に回答出来ていた。あとで聞いたら、第一志望に受からずにこの学校に入ったらしいが、すぐに高校受験に切り替えようとしていたそうだ。
そんな二人と話すきっかけになったのは、クラブへの体験入部のときだった。私たちの学校はスポーツも推奨する学校だったので、勉学とスポーツを両立させることを新入生たちに求めた。健康な魂は健康な身体づくりから始まるらしい。私は身長が人より高かったこともありバスケ部を選んで、体験入部の場に向かったら、新入生として茉優と葵がそこにいた。
「新入生のみんな、バスケ部に体験入部してくれてありがとう——」
キャプテンだった先輩が簡単に部活動の紹介をしてくれた。一週間の練習の日取りと場所や、部活が目指す目標、中学生と高校生の合同練習の日や、年間のスケジュールなどを教えてくれた。今日は体験なので、いつもしている簡単なルーティンな運動をすることになり、メニューを説明しているときだった、葵が手をあげて発言を求めた。
「あの、一年の沢田葵と言います。私、マネージャ―志望なのですが、そのメニューを一緒にすべきですか?」
一瞬ざわつくのが感じられた。一年生は部活を強制で入部することになっていた。葵は見た目にも運動が得意そうには見えなかったので、少し気持ちは分かったが、だったら文化部に行けば良いじゃないかという気持ちが辺りを覆った。
「マネージャー希望ありがとう。そうですね、本来のマネージャーの業務じゃありませんが、今回は初回ということでやってもらっても良いですか?」
先輩が空気を察して、葵を歓迎する雰囲気に変えてくれた。これなら大丈夫だと私も一瞬安心したら、葵が不満げに回答する。
「あの、それだったらしたくないです。普段一緒に走ったりするんだったらやりますけど、マネージャーとしてしないならやりたくないです」
完全に周りがどよめいだ。返答された先輩も顔が少しひきつった。後ろにいた先輩たちの中でも血の気が多そうな人が葵を睨んでいる。
「あの、葵ちゃん、一緒に走って親睦を深めて欲しいってことだと思うよ。私たち一年生自身もだし、先輩たちとともね」
見かねた茉優が葵に話しかけた。
「親睦って走って深めるものなんですか?」
葵のその尖った正論が、空気を凍りつかせた。びっくりした茉優も開いた口が閉まらない。葵は葵で茉優をまっすぐ見た。その冷たい表情からは感情が読み取れない。他の一年生は完全にどうしたらいいかと迷子になっていた。私はこの場を治めるために先輩たちが葵を切り捨てかねないと思った。新入生相手にそんな扱いをするとは考えられないが、厳しい態度で「じゃあ休んでていいよ」と怒る人がいてもおかしくない。
「あの、ちょっと良いですか?」
私は手をあげて発言を求めた。
「葵さん、走るのが嫌なのになぜバスケ部の体験入部に来たのですか?」
なるべく、棘が無いように、口角をあげながらそう訊ねてみた。
「走らない人は来てはならないと?」
「いえ、どちらかというと、普通はしない選択をした理由を聞きたいんです。だってバスケットボール部に来て、走ることを想定されていないってあり得ないからね」
私は、緊張していたせいか男性口調で訊ねた。しかも名探偵感が少し出ていたようで、そのせいか、その場の空気が変わっていくのを感じた。
「えっと? 一年生の高杉さん? ありがとう。でも無理に走らせたいわけじゃないから、良いんだよ」
先輩は私が葵を攻撃してる思ったようで、葵のフォローに入る。これで私が下がれば収まるような気もしたけれど、なんだか気になったことを突き詰めたくなってしまう。
「いえ、先輩それには及びません。彼女の真意を計りたいのです」
私は横一列だった一年生の塊から抜け出すように、一歩前に足を進めた。そうすると色々と後戻りが出来なくなる。前に進むと、人は自然と後ろを振り向かなくなる。
「おそらく、彼女は昔バスケットボールに興じていた。受験勉強中もずっと好きだったんだと思います。でも……」
私は周囲を見回して、人々が息をのむ声を待つ。
「大きなけがをした。そうじゃない? 葵さん」
葵の瞳が大きくなるの私は捉えた。彼女が長ズボンを着用することが多いことを私は普段から知っていた。
「そうなの? 葵ちゃん?」
共感力の高い茉優が葵の辛さを思い浮かべ、哀しそうな表情のまま葵に問うた。葵は小さく首を縦に振る。
「それでも、彼女がここに来ている。マネージャーとして。それはきっと本気のマネージャーになりたいからなんだと思う。でしょ? 葵さん?」
「沢田さん、本気ってどういうこと?」
思わず先輩は発言をした私にではなく、葵の方を見ながら訊いた。葵はじっと私を見つめたまま何も答えそうにない。そんな葵を尻目に私は話の続きをする。
「サポートをするために来たんじゃない。勝たせるチームを作るために、戦略の知恵を持ってきたってことでしょ? だから——」
「私は走る必要がない」
私の言葉の接ぎ穂を得て、葵が言いたいことをはっきりと言った。そう、私もそう思う。あなたは走る必要はない。代わりに——
「マネージャ―として、チームを勝たせたい」
熱のこもった瞳がそこにあった。それを聞いて奮い立たない選手はいない。体感温度で2~3度、周囲の気温が上がった気さえする。実際に後ろにいた先輩たちが拍手を贈り、茉優はたまらず葵に抱き着いていた。その場を進めていたキャプテンも嬉しそうに
「よし、沢田さん。じゃあうちのマネージャーのところにいきな。まずは普通の業務を覚えてね。そして、絶対に入部してね!」
こうして、私たちは同じ部で時間を過ごすようになり、信頼を深めていくことになった。実は熱い葵、人に寄り添える茉優、そうして……無駄にカッコいいキャラの私と三人三様でありながら中学校の三年間をともに過ごした(私のカッコイイはやりたくてしたわけじゃなかったんだけど……)。そこに外入生としてユーリが混ざって私たちの今のグループが成り立っている。
学校生活が楽しくなったのは間違いなくこの子たちのおかげだと思う。友達って何にも代えがたいものだと思う。ま、私は最初の一歩目から変なキャラクターを外に覆ってしまったけども。
「どうしたの? 改めてみたいな顔しちゃって」
茉優が相変わらずの気立ての良さで、こちらの感情を察知する。そう言われると言い易い空気が出来る。
「何かあったの?」
と葵がストレートに訊いてくれた。これはこれで答えやすい。
実は・・・・・・
と私はミミクロイドルとしてデビューすることを簡潔に説明した。
「お、おう」
急なデビューに私らしからぬミミクロイドルと聞いて、困惑したのは茉優だけで
「待って、STO事務所じゃない! え、じゃあCaera(カエラ)と同じ事務所ってこと? うそ! すっご‼!」
とオタクと同じ温度感の反応を示したのは葵だった。
「ちょっと、葵、もしかしてこっち側の人間?」
そう振られても恥ずかしがらずに、自分の鞄の裏生地を見せる。そこには、Caera(カエラ)のロゴが縫い付けられていた。それから自分のスマフォを起ち上げて、Caera(カエラ)のNFTを見せてくれた。初期限定のNFTで、これは古参のガチ勢の証でもあった。私は自分の身体が軽くなるのを感じた。身近にオタ仲間がいたとは思っていなかったから。で、置いてけぼりの茉優に私たちはカエラについてフォローの説明をする。
「あ? そうか一般人にはまだ知られていないのか?」
「ファリル・ルーと双璧をなすと言われていて、K-POPで言うと……」
「Caera(カエラ)は星の名前からインスピレーションを受けていて……」
「で、ファッションのセンスが、昔の原宿系をリバイバルしていて……」
「とにかく、ミミクロイドルの中でも歌唱力が凄いわけよ!!!」
と私たちは二人で、まくし立てるように説明をしていく。
「——分かった、分かった。二人とも落ち着いて。なんか説明が速すぎるし、真顔で怖かったけど、だいたいカエラちゃんのことは分かったから」
オタク二人に攻められながら、茉優はなんとなく理解してくれた。
「もうね、神よ。全知全能の神が地上に降りたのと同じなのよ。いままでのアイドルたちは神が与えたギフテッドだけど、ミミクロイドルはね神。もう神」
「そう、地上に現れた神」
二人で茉優を忘れて天に祈りを届けていたら
「てかあんた、それになるんじゃないの?」
って茉優に冷静に突っ込まれて、自分で驚愕した。その横で、葵が祈りの方角を変えて、私を神格化し始めるという子芝居があり、私の大きな秘密は開封された。もう何も怖いものはない。
すると、私たちの前の方に出来上がっていたクラスの塊でも沸き立つ声が上がった。
「うそ! え、凄い。ミミクロイドルになるんだ」
それは、笹山さんを囲うグループだった。けども、ミミクロイドルの話って・・・・・・このタイミングで?
私の驚きに気付いたのか、笹山さんが振り返る。完璧なアイドルの形式美のような笑顔がこっちに向けられた。そう、まるで——
「ルナ……なの?」
「なんで気付かないのよ。あっしゅん」
私はどうして今まで分からなかったのかと自分に呆れかえった。確かに合宿中もずっとアイリダからログアウトしなかったので、お互いにアバターのままだったとはいえ、あんなに一緒にいたのに気付かないなんて。でも、まさかあの笹山さんがルナだなんて、メンバーだなんて思わなくない?
「いや、普通、気付くでしょう? 私なんか初日で気付いたよ。てか、合宿中の学校の休みが一緒なんだから、その時点で確定でしょう? 抜けてるねぇ、あっしゅんは」
「う、うるさい、ルナ。お姉さんぶるな!」
と、練習場での会話みたいなのをしたら、周りが一瞬引いたのが分かった。あ、やっちまった。完全に学校とキャラが違うじゃん。
「待って、明日香ってそんな感じなの? え? 可愛い」
「笹山さんって、そんなイケイケなんだっけ? めっちゃかっこいい」
と立場が逆転してしまった。それが面白くて、笹山さんと二人で大笑いをする。クラスメイトは今日のプレミアム公開から視聴してくれるらしく、ライブも来てくれると言ってる子がいた。ユーリは二限目が終わって情報が回ってきたのか、泣きながら入ってきた。「私の王子様がぁぁ」と叫んでいたが、Miku×Mikuの画を見せたら、これはこれで推せると宣わった。結局百合ならなんだっていいんだな、この子は。
「初めまして。私たちはMiku×Mikuです。十二月二十日、ついにcable Boxでのライブにてデビューをことするになりました。私たちのMVはどうでしたか? 沢山の愛の形について語ったポップなミュージックになっています。皆さんの耳に馴染むよう、これからいろんなシーンで歌っていきたいです」
リーダーのルナが最初の発声をする。カメラを前に緊張している私とは違い、はきはきと言わなければならないことを伝えられるし、表情も笑顔が絶えていない。さすが経験者だ。
「私たちのグループコンセプトは永遠です。音楽、パフォーマンスがアイリダによってAR上に全て載せることが出来るようになった今、これからの私たちは永遠にデジタルに記録されていく。それを想って活動をしていきたいと思っています」
イブも透き通った声で言った。いつもの飄々とした雰囲気が感じられる。眼差しが真っすぐで、かっこいい。
「私たちは、ミミクロイドルの活動を愛だと捉えています。この永遠の愛を皆さんに届けたい。まだまだ拙い部分があると思いますが、どうか私たちの精一杯の愛を受け取って欲しいと思います」
私は声が上ずらないように、あえてゆっくりと話した。カメラのレンズは光沢をもっった球体で、黒い烏の目玉のようにも見えて、じっと見つめると私をえぐるのではと恐怖を覚える。それでも頭の中に自分を応援してくれている人を思い浮かべる。彼等に届くように声をあげる。
それほど大きくはない事務所の会議室を限定公開用のスタジオに変えた。斎藤さんはありのままを見せて良いと言って、カメラの後ろに立っていた。だから緊張してもいいし、ちょっと舌足らずでも良い。でもカッコよくとか、可愛くとか、自分以上を出さないようにすれば、おのずと人はMiku×Mikuを好きなるから、自分を惜しまず出してほしいということだった。
「どうぞ! 宜しくお願いします。それでは、メンバーを紹介させてください」
その日、カメラの前で構成通りに話を進め、斎藤さんが用意した私たちそれぞれの紹介VTRが挟まれて無事に初の生配信を終えた。それが、まさかあんなことになるとは思わずに……
控えルームで着替え終えた私たちは、舞台裏の通路を歩いていく。忙しなく行き来するライブスタッフの先に舞台袖への入り口が見えた。入口の向こう側は照明を落としていて、通路側から見ればただの黒い長方形の穴で、そこに落ちればずっと這い上がることが出来ないモノに見える。
「もしもさ、もしもさ、これが夢だったらどうする?」
弱々しい声を出した。今日のことが夢だったらと、私はつい考えてしまう。
「僕は夢でもいいよ。みんなと出逢えたもん」
イブはその暗闇の四角を直視しながら言った。まるでそこが現実と繋がる唯一の出口のように。
「あたしは、嫌だな。だって夢なんかじゃなくて、自分で掴み取りたいもの。全てをね」
ルナが力強く言う。湧き上がる魂の言葉だった。彼女の言葉だから、私に染みていくのが分かる。
「二人に凄く感謝している。それで、夢みたいな今日を、私も絶対に、絶対に楽しむ。一番、一番楽しいのは、私だってことを証明して見せるよ」
お腹に力をこめた。大丈夫、不安なんかに負けない。自分で自分を鼓舞させて返答したら、ルナが私たちの真ん中に手を差し出した。私もイブも自然とその上に手を重ねた。Miku×Mikuの未来に向けて、お客さんに声が届いてしまわないよう、私たちは心の中で叫んだ。
——さあ、いくぞ!
岸正真宙
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