見出し画像

おいでやすこが 『言えよ』が伝わらない世代

2020年のM-1グランプリで準優勝したお笑い芸人おいでやす小田とこがけんのユニットおいでやすこがのこちらのコントを見ていただきたい。

このコントの設定をまとめると

①小田とこがけんは20年来の友人
②こがけんは時計を買い替えたことや宝くじに当たったことを自分から言わない
③小田は「友達なんだから言えよ」とツッコむ
④挙句、結婚の事実や出会った時には既に子供がいた事実も言っていなかったことが明らかになる
⑤小田とこがけんの考え方のズレがコントのキーになる


「言えよ」と思う世代・思わない世代

このコントでは20年来の友人同士であるにも関わらず、こがけんが小田に対して宝くじ1000万円が当たったことや結婚して子供がいるという大きな事実を打ち明けないというのが大きなテーマである。

こがけんがiPhoneや腕時計を買い替えたことを自分から話さず、「言えよ」と小田がツッコむという、まあ日常でもありそうな会話ではある。

スマホや腕時計の買い替えレベルだった話が、結婚していたことや子供がいることを言っていなかったなど、重大さがどんどん上がっていき、こがけんが段々狂気じみてくるというのがコントの展開だ。

以前、僕の職場で同じようなことがあった。ADからディレクターになり、かねてから付き合っていた人と結婚した男性の先輩がいた。一部の人には結婚したことを報告していたものの、別部署の友人にはそのことを伝えていなかった。話の中で当たり前のように妻の話が出てきて、初めて結婚の事実を知ったらしい。ほとんど付き合いがなければまだしも、その2人は休日に一緒に遊びに出かけるくらいの関係なので、普通は直接伝えるものだと思う。『言えよ』というコントと同じことが起こっている。


この「言えよ観」には世代間の差があるのではないか?というのが今回の要旨である。

おいでやす小田は1978年生まれの42歳、こがけんは1979年生まれの41歳だ。社会学的な区分では彼らはポスト団塊ジュニア世代と呼ばれる。この世代の特徴として、バブル経済期という日本経済が最も輝かしく「Japan as Number One」と持て囃されていた時代に小中学生だったことが挙げられる。今では考えられないことであるが、この時期の日本人はアメリカ人の2倍の読書量で学習意欲が高く、ビジネスマンはディスコで踊り狂い、毎日巨額のお金が回る先進国だった。この時代に義務教育を受け、アイデンティティを形成するが、成人の頃にバブルが崩壊して就職氷河期を経験するという微妙な時代を過ごした団塊ジュニア世代は、後の世代に比べて自己肯定感が高く、自分の意見を主張することに躊躇いがない。

一方、件の先輩が属するのはジェネレーションYとか、さとり世代などと呼ばれている世代だ。1980年代前半から1995年に生まれた人たちを指すが、文献によって1970年代からジェネレーションYと呼ばれることもあるし、1996年以降生まれの人もさとり世代と呼ばれることがあって、明確な基準があるわけではない。また1996年以降生まれの人はジェネレーションZと呼ばれる。

誤解を恐れずに大雑把な区分をするならば、
ジェネレーションY・・・インターネットネイティブ
ジェネレーションZ・・・SNSネイティブ

と言えるかもしれない。

そしてどちらの世代もバブル崩壊後の「失われた20年」に生まれた世代だ。

「Japan as Number One」なんて言葉が空虚になり、落ち込んだ経済に呼応するようにオウム真理教のテロや阪神淡路大震災、酒鬼薔薇事件などの悲惨な事件や災害が相次いだ。バブル崩壊がパンドラの箱を開けたように、この国が蓋をしてきた社会の問題が次々と露わになった。先行きの見えない経済的な不安が人々をカルト宗教やネット右翼と言った極端な方向に吸い寄せていった。

ジェネレーションY以降は、ポスト団塊ジュニア世代までが持っていたような、自肯定感や発信力、行動力は失っていく。

さらにインターネットやグローバリズムは今まで信じられていた価値観を不安定にし、若者たちは極端な方向に走るか(ネット右翼やネット上での誹謗中傷)、何にも興味が持てなくなるか(若者の〜離れ)、自分が好きなものだけ好き(オタク化)という反知性主義的な傾向が見られるようになる。

インターネットやグローバリズムがもたらした価値観の多様化や価値相対化がジェネレーションY・Zに与えた影響は、自己肯定感や発信力・行動力の低下だ。普遍的価値観が失われた結果、自分が正しいと思えなくなった。自分が正しいと思えないから、何かを発言したり行動することを控えようとする。

分かりやすく恋愛を例にすれば、「メンヘラ」「ヤンデレ」という言葉がここ10年でネットスラングを飛び出して、かなり世間に浸透してきたことが挙げられる。自己肯定感が低く、自信がないので恋愛対象に過度に依存したり、束縛する人が男女問わず増えたことで、ネットスラングが一般化したのだと考えられる。これは極端な方向に走った例であるが、恋愛に興味がない若者が増えたというのもY・Z世代の特徴であるし、恋愛に興味はあるが人間不信で相手が信じられないというのも増えているケースだと思う(知り合いの人はおまいうって感じですよね、はい僕も自己肯定感皆無人間不信野郎なんで、、すいません、、)。
また興味はあるけど傷つきたくないから恋愛をしない人も近年は多いし、今まで築いた人間関係が失われる不安の影響で、気軽に出会えて気軽に関係が切れるマッチングアプリも若者に人気だ(身の回りで4人くらい酷い目にあってるし、1人は犯罪に近い目にあったんで俺はやらないし皆さんにもお勧めしません。やるなら気をつけて)。

話を元に戻そう。バブル崩壊前に義務教育を受け、インターネットが生活に浸透する以前、浸透し始めた頃に成人した人々と比べて、生まれた時からインターネットに親しんできたジェンレーションY・Zは自己肯定感が低く、自己主張に謙虚な傾向がある。

おいでやすこがの『言えよ』という絶叫は若い世代には響きにくいのかもしれない。

若い世代は打たれる「出る杭」になることを恐れている。自分の話をすることは「自分語り」としてバッシングの対象になり、発散できずに溜まった自己顕示欲はインスタグラムやTikTokでの投稿に代替される。自分を出すことは憚られるので、オシャレな自分を演出するための写真をあげる、音楽というコンテンツをフィルターに踊ったりポーズを取る、恋人の存在を「匂わせ」という形で表現する。「間接自慢」をすることが若者の自己主張の暗黙のルールである。若者は見えないムラに住んでいて、そこから村八分にされることを恐れている。

おいでやす小田が書くコントの定番だが、どんどん異常な事実が明らかになっていく構成の巧みさがあるので、若い世代でも十分笑うことができるが、「言えよ」というテーマの掴みは恐らく世代差があると思われる。


お読みいただきありがとうございます。
もしまたいいネタがあればコントや漫才について論じてみたいと思っています。普通にお笑い論を論じるのも悪くないかも。

あと今回した世代の話はあくまで傾向であって、この世代の人はこういう人とか、若い世代は全員自己肯定感が低く、引っ込み思案とかそんなことは全く思っておりませんし、皆さんも思わないようにお願いします。

ではまた。

いいなと思ったら応援しよう!