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新しいともだち

親からこう言われた。

「あなたは発達障害、ASDだと思う。だから、診察して欲しい。専門家のアドバイスを求めて欲しい」と。

発達障害については少しは知っていた。
けど、とても詳しい訳ではなかった。

3年前、父がADHD、LDという発達障害であることが分かった、と母から聞いていた。
それで少し調べた程度。

私のこれまで抱えたトラブル、感情の浮き沈み、怒る時の激しさ、などを見聞きしてきた両親は、その事を父の主治医(精神科医)に相談したらしい。そして、先生はASDかもしれないと言ったそうだ。

そして、少し前に私と父が口論をした後、
両親が私に言った言葉が冒頭に書いたもの。

そのことを言われた私は開口一番、「断る」と言った。
自分は違うと思っていたのと、根本原因は別のところにあるとなんとなくだが感じていた。それに私の気持ちについて全く知ろうともせずに、表面的なことだけで私を発達障害だと疑うその短絡的な発想に頭に来たし、悲しくなった。

(ここで、私は発達障害の方を決して見下しているわけではないことをお伝えしておきたい)

しかし、しばらくして考え直し、心療内科に行って相談することにした。自分のことが分かるのは悪いことではない。むしろ、知りたいとさえ思いはじめた。

自分のこれまでのやらかしたトラブル集を紙に洗いざらい書き出し、箇条書きにしたものを持参し、心療内科に行った。

先生としばらく話した後、
発達検査を受けたいと申し出た。

先生は「多分、診断は出ないと思いますがそれでも受けますか?」と言った。私は「はい、それで両親が安心するなら受けます」と答えた。

先生は初見でそう思ったようである。

2ヶ月後、検査を受けた。
結果、発達障害の診断はおりなかった。

そして、検査を受けるまでの2ヶ月の間、同時にカウンセリングを受けていて、そこで分かったのは、幼少期のトラウマ。

父の母に対する度重なる暴力行為(今だと殺人未遂に該当するレベル)、それによる恐怖、不安、孤独感。
感情を言えない子だった。
感情をストレートに言えない子だった。
泣いてはいけない、そういう子だった。

大人になる頃、マルクスの唯物主義や哲学などの虚無主義の本に傾倒し、厭世的で虚無主義的な思想を好んだ。不思議と落ち着き、世の中が理解できた気がした。

しかし、そうした行動も、幼少期からの強烈な孤独感や恐怖、不安を抱えて育った自分自身を慰めるため、幼少の頃からの感情体験を納得させるための手段だったということにカウンセリングを通して気づくようになった。

今、そのケアに取り組んでいる。

太陽の光とは無縁の、隔絶した暗闇の世界で、怯えて、ひたすら耐えてきたもう一人の自分。
彼を慰め、助けに行くというワークをしている。

人間とは怖いものだ、と思う。
このことは両親には言っていない。
言いたくない。
知って欲しくない。

自分だけで癒したい。
あまりにも子供の頃の自分が哀れで、
本当に可哀想に感じてしまう。

音のない暗闇に、
ただ一人で何十年も膝を抱え込んだまま、
怯えながら座り込んで耐えてきた子供の姿が見えた時、恐怖で頭を抱え込んだ。
そして、涙が何度流れたことか。

彼には他の誰にも触れてほしくないと今、思う。
僕だけが彼の仲間でいたい。
彼と仲良くなりたい。

#宗教 #JW #2世 #インナーチャイルド #虐待