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【第12話の⑨/⑯】レモン亭 /小説

 その日の夕方、川村さんから連絡がきた。本日レモン亭で三井さんの予約あり、だそうだ。俺たちは今日レモン亭に行くつもりにしていたので、覚悟を決めてレモン亭に向かう。作戦決行だ。夜の7時過ぎにレモン亭に行き、予約席を挟む2つのテーブルに座る。一つのテーブルは俺が一人で座り、三井さんの顔が正面に見えるように着席する。もう一つのテーブルは小森と久本が座る。そして決まって9時ごろに三井さんが帰るまで観察できることを一つ残さず観察する。これが俺たちが考えた作戦だ。


三井さんの正面を見られている俺の役割は大きい。7時少し過ぎにレモン亭についたが、まだあいつらは来ていないようだ。川村さんにアイコンタクトをして予定していた席に座る。平井さんが言われたからじゃないが、なんかウェイトレスの格好をしている川村さんが輝いて見える。あれでポニーテールにしたら超綺麗になるんじゃないか、と思いながら小森達を待つ。ほどなく二人は来店し作戦通り着席した。今日の設定は俺たちは他人だ。


『残念だな、川村さんのうなじが見れないな笑』とさっそく久本からスマホにメッセージが届く。余計なお世話だ。7時半を少し回ったころ、三井さんが来店した。30歳前後に見える若い男性だ。ちょっと革靴がテカリすぎじゃないか。予約席に案内され座る。一気に緊張してきた。三井さんはコーヒーが運ばれると、紙とペンをテーブルに置き、外を鋭い目つきでずっと眺めている。何かを待っているのだろうか、かれこれ15分近く同じ状態が続ている。


ふと、道路越しの建物の1階にある斉藤税理士事務所に目をやると、一人の男がこちらを見ているのが目に入った。確かに小森が言っていた通りだ。やはりあの税理士事務所は何かあると思った方がいい。俺たちと同じレモン亭の謎に気づいた側なのか、それとも謎を生み出している三井さん側にいるのか。やはり平井さんには活躍してもらうのがよさそうだ。そんなことを考えている今朝の、超面倒くさかった平井さんの川村トークのことがドンドン思い出されてきて不愉快な気持ちになり心を支配されそうになりかけたが、すんでの所で踏みとどまった。今は、そんなことをしている場合ではない。


『動き出したぞ』そう三井さんの背中を見ている小森からメッセージが来る。あー、動き出したな。スマホに目をやると時刻は7時59分。きっと川村さんもすごく気になっているだろう。緊張しているだろう。俺の活躍ぶりをとくと見ていてくれ。
三井さんは、外を眺めては紙に何かを書き、ということを繰り返している。文字を書くというよりペンの動きを見るにチェックしているようにも見える。同じことを何度も繰り返した後に、何かを読み取るかのように紙を見返している。そして、「よっしゃー」と体を丸めた小さなガッツポーズとともに小さくも力強い声が三井さんから漏れた。時刻は8時26分、この約30分の間に何があったのか、何を見ていたのか。


三井さんの目線を一番追えたのは小森だ。目線の先に何があるのか。三井さんは席を立つ準備をしている。チラッと斉藤税理士事務所に目をやるとまだ男は何かを確認するかのようにこちらを見ていた。
三井さんの目線の先に何があったか、メッセージで聞くと『分からん』という回答と共に一枚の写真が添付されていた。三井さんの目線の先にある景色、とのことだ。ナイスだ。こういう残る記録は貴重だ。パッと見で写ってるものといえば、ずらっと立ち並ぶ雑居ビル、道路に歩道、信号機、電信柱に電線、路上駐車の自転車に歩行者といったところだ。どれだけ眺めても何も分からない。もっと俯瞰しないといけないのか。何かを見落としているのか。


カランカランと扉が開く音がして三井さんは出ていった。ふー、緊張の糸が緩む。緩むのはいいがこれでは前回来店したときと何も変わらない。川村さんが視界に入る。気のせいか来店したときよりも少し遠い存在に感じた。俺のテーブルと久本と小森が座っているテーブルとの間にあるテーブルにはもう誰も座っていない。そこにあるはずだった答えがまだ残っているのだろうか。わらにもすがる思いでそのテーブルの横を丁寧に見ながらトイレに行って戻ってみたが、何も気づきはなかった。今日も3000円近い出費なのに、収穫0でおまけに川村さんにガッカリされるとなると、無駄骨どころの話じゃない。もっと俯瞰しろ。ちょっと待てよ、川村さんがそもそも俺なんかに自主的に声をかける理由なんてそもそもないんじゃないのか。


声をかけられて舞い上がってしまっていたが。俺は何かの役割に合っていたというだけじゃないのか。この三井さんの件は、レモン亭主催のひそかに行っているイベントもしくはサービスで、川村さんはバイト業務の一つとしてサービスを提供する側にいるんじゃないのか。主催者的にマンネリ化してきたのでイベントに刺激を与えるために、謎解きしてみる人を呼びお手並み拝見、という遊びをしているのじゃないのか。そもそも平井さんはなんで川村さんの話を俺にしてきたんだ。恥ずかしいことだが、きっとバレていたんだ、俺が川村さんのうなじに夢中になっていることが。そこを利用された。もしそうなら観察するのは三井さんだけでなくレモン亭や川村さんもその対象となる。あの公園に来たとき川村さんが珍しくポニーテールをしてきたのは、偶然ではなく俺のやる気を出させるために、わざとだったのではないのか。だとしたら何かしゃくだしやる気も削がれるというもんだ。


これからファミレスで遅いディナーを皆でとることにしているが、もしまたポニーテールで現れたら川村さんは俺で遊んでいる可能性が絵空事じゃなくなるのではないか。とっても複雑な心境になっていた。
 珍しくファミレスまでの道中馬鹿話に花は咲かず、少しどよんだ気持ちになっている。河原町三条あたりの京都の中心街は、高校生や大学生も多く遊びに来るところなのでもっとあってもよいと思うのだが、意外にもファミレスが少ない。夜遅い時間にお酒なしで学生が時間を過ごせる店というのが、あまりないのが少し不便に感じることもあり、今日はまさにその日である。今晩はファミレスだが、カジュアルなスパゲッティー屋さんだ。店について、さきほど考えていた仮説を小森や久本に話してみた。


「ありうるな。三井さんは何も難しいことはしていなかったのに、何も手がかりがないしな。三人がそれぞれの視点で見てたにも関わらず。見なきゃならんものは三井さんじゃないと考えてもおかしくない。」と久本もまんざらではないようだ。
「まあそう決めつけるのは早いかもしれんけど、どうすんの。もう止めて川村さんをがっかりさせるのか。」となぜかやや切れ気味の小森が本質を問う。早くも心が折れかけているわけだが、未練もこの段階ならたくさん残ってもいる。しびれをきたした久本が言う。
「結局、川村さんを諦めるか諦めないかだろ。もともと同じサークルにいる同期で知り合い程度の関係だったわけだから、今ここで降りたところでそんな影響ないでしょ。」確かにそうだ。ただそれは理屈の上の話だ。また少し考えたうえで俺は自分の気持ちを優先することにした。
「まだ続けたい。もうしばらく付き合ってくれ」それが俺の今の答えだ。
「ふーん、どうであれこの状況を上手く利用して川村さんとお近づきになりたいわけだ。」と小森。
「そうや、さっき言ったのはあくまで可能性の一つに過ぎないし、まだ動き出しただけだし」
「なんだ、ちょっと見直したぞ。もう止めるのかと思ったけどな。いつも頭でっかちなくせに理屈を乗り越えるときたか」と久本。
「ただ、今日もポニーテールに髪を結び直して現れたら何かあるぞ。さっきの仮説もあながじ絵空事じゃないかもしれん。今日のバイトの時もそうだしサークルでもそうだけどまずポニーテールしている所なんてほぼ見ないし」
「ポニーテールを見たい武田君は今複雑な心境でーす」と小森。その通りと人差し指を彼に向ける。するとスマホがチャリンと音がした。
「おい、川村さんからや。今から向かうって。分かっていると思うけど、俺たちは川村さんと一緒にレモン亭の謎解きをするという姿勢を微塵も崩したらダメだぞ。謎を出している側じゃないのか、俺たちをはめているんじゃないのかといった可能性を考えているなんて悟られるなよ。」二人は返事をしないが、それは言わずもがなである。


 10分ほどだろうか、川村さんが遅くなってごめんね。と言いながら俺たちの席に来た。そんとき川村さんを見た時に俺のなかに湧きだした気持ちを表す言葉はこの世にあるのだろうか。どうしてポニーテールをしているのかという気持ちとありがとう今日もポニーテールをして来てくれてが混ざり合ったこの気持ちを。小森なんて、これはこれは面白い展開になってきましたな、と言わんばかりに顔にニヤニヤが染み出している。川村さんと自分との会話を同時に進めていた。
 俺たちは3日後にもレモン亭に行き、その後ここに再度集合した。しかし、三井さんが違う人だったということ以外何も新しいことはなかった。



 (続く)


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