【第12話の⑪/⑯】レモン亭 /小説
平井さんから願ってもない提案があった。斉藤税理士事務所が俺たちと一度話をしたいから事務所に来て欲しい、というのだ。しかし、いったいどうやって点としての情報をつなげてこういう展開にしたのか。彼女は凄腕か。それともこいつもレモン亭の謎解きに参加しているのだろうか。なんにせよ狙い通り何か新しい展開につながるかもしれない機会を得た。
「ねえ、この前教えたモモがバイトしている喫茶店に、入り浸ってるらしいね。高級喫茶店のコーヒー代稼ぐためにバイト増やしているらしいじゃない。もうほんと分かりやすいんだから」
「あー、レモン亭ね。教えてくれてありがとう。隠れ家的でいい喫茶店だね」
「はー、隠れ家ってのは大人が言うから様になるのよ。あんたみたいなひよっこがイケてる大人ぶってて笑うんだけど」
いちいち腹が立つやつだ。しかし、一体どうやってここまでの情報をかき集めたのだろうか。俺のファンか。俺をつけているのかこいつ。それとも相当顔が広いのか。どうであれ油断ならないことは間違いない。
久本はまた地球環境関係の活動があるらしく指定された時間は難しいようで、小森と二人で訪れた。斉藤事務所には一人の男性と平井さんが居た。なんとも柔軟な雰囲気の小太りで白髪が目立つ50代といった感じの男性だ。ただ、メガネの奥の目からは鋭さを感じる。学生なので仕事場に入るということ自体緊張するがいったい平井さんがどう話をつけてきたのかと想像すると輪をかけて緊張してくる。一通りの挨拶を済ませた後、やはりというか、斉藤と名乗る中年の男性はお茶をすすめながら、一冊のノートを俺たちの前に置いた。
「ご存じだと思うけど、ここから見えるレモン亭という喫茶店、私もたまにいくけど、いいお店なんだが、夜になるとたまに変わった客が来る。ここから見るとよーく表情までも見えるんだね。あの人たちは一体何をしてるのか気にはなるけど、どうしてあんな思いつめた表情をしているのか、私の関心はそんな所にあって、よくここから観察している。このノートは、私の観察ノート。よかったら開けて見てください」そう言われてノートをパラパラ見る。この人はきっと几帳面なんだろう。小さい字でびっしり書き込まれている。日付、気づいたこと、観察したこと、お客の情報等を書く欄が太い線でぴっちり作られている。丁寧に書き込んでいるのだろうが、人に読ませるものではないのだろう、これを読もうとするのは骨が折れそうだ。最初のページはおそよ半年前からの記録になっている。
「すごいですね。」
「君たちのことも記録に書いてある。しかし世間は狭い、君たちが平井さんと知り合いだなんて。君たちをここから観察しているとどうやら私と同じお客さんに関心があると確信があるわけで。」俺たちの警戒心を解くためだろう、やたらとほほ笑みかけることが多い斉藤さんは、笑顔のまま俺たちの言葉を待っている。小森と目で会話するがどうも俺に話せとせかされる。
「実は何か新しい情報が聞けるかもしれないと、少し期待してここに来ました。レモン亭で知り合いがバイトをしていて、一緒に謎解きを手伝ってほしい、と頼まれて。そのお客さんは皆、三井、と名乗り予約をし来店されるそうなんです」
「三井?」
「はい三井です。ただ、何度観察してもその三井さんが一体レモン亭で何をしているのか分からず行き詰っていまして」
「バイトをしている知り合いは女性かい?」
「はい」そういうと少し頷いたように見えた。斉藤さんの隣に座っている平井さんはにやけている。こいつほんとにぶん殴ってやりたい。いったい斉藤さんに何を吹き込んだのだろうか。斉藤さんはその後三井さんから何が観察されたのか根掘り葉掘り聞いてきた。しかし俺の回答の殆どは知っていたりあるいは想定の範囲内だったようだ。
「せっかく今日は来てくれたし、平井さんのお知り合いということだから、私が気づいたことも話すよ」
「その三井さんに外見上の共通点はまずないですね。十中八九誰かに指示されてあの椅子に座っているのでしょう。何かのサービスを利用しているのか、そうせざるを得ない状況にあるのか分かりませんけど。」そういうとコーヒーを口に含む。きっともう冷たくなっているだろう。
「多くの三井さんは、おそらくレモン亭に来ることは初めてなのでしょう。場所が分かりにくいですし、外に大きく看板があるわけじゃないので殆どの人はスマホ等でおそらく地図を見ながら来店しています。しかも一人で来ています。そしてぴったり夜の8時から何かが始まっている。ただ、それが終わる時刻は人によって異なるようです。そしておそらくその三井さん全員、同じものを見ていると思われますが、それが何かは分かりません。ここ何か知っていますか?」まさにそれを知りたいのだが、斉藤さんも知らないのか。小森が撮影した写真を見せ、何度も何度もこの写真を見ているが俺たちも分からない、と回答した。そうですか、と少し残念そうな声だ。
「先ほども言いましたけど、ほとんどの三井さんは神妙な面持ちで固定席に座る。しかし席を立つときには、すっきりした晴れ晴れした顔になっている人が多い。私が思うに、あの席で何かのメッセージを受け取っている。彼らがあの席から見ている何かがメッセージを送っている。」
「やはり一体に何を見ているのかをつきとめるのが大事ですね」
「まさに、そうだ」
「あの席から見えるのですから、そう遠くにあるものではいはずですし、人によっては30分とか見えているわけだから」
「そうなんだよ。外に出てそれを探してみても何も見つからない。そこは、昨日と同じ風景が広がっているだけにしか見えない」少し沈黙が流れる。行き詰っているのは俺たちだけではないようだ。状況の解像度は格段に進んだだけでも今日は勇気をもって来てよかった。
「レモン亭が、お客さんの数を増やすために行っている何かしらのサービスという可能性はありませんか」俺は川村さんが俺たちをだましているかもしれない可能性についてどう思うか聞いてみた。
「今日、君たちと話してそれはないと感じたよ。理由は3つある。一つは、全員が三井を名乗り予約をしていること。そして、その三井さんは1日1組限定だということ。単価の低い喫茶店で客を増やしたいなら違和感がある。三つは、私も職業柄税理士をやっているので会社情報等を調べるのは専門なので、レモン亭について調べてみたけど、そんなサービスをしていることは確認できていない。京都ではたまにあるので珍しくはないのだけど、あのマンションが建っている土地はレモン亭のオーナーの一族の土地で、マンションの所有者もおそらく血族の人だ。つまり親族の資産を活かして商売している。おそらく家賃なんて払っていないんじゃないかな。つまり拝金主義で必要以上に稼ぐ必要はない可能性はある。」なるほど、説得力はある。だとすると川村さんはなぜあんなにポニーテールをしてくれるようになったのだろうか。単純に応援してくれているだろうか。お互い一通り話したいコト聞きたいコトが出尽くしたかのように、沈黙の時間が流れる。
じゃあ、誰かがレモン亭に三井と名乗り予約をするように命令しているのだろうか。いったい誰がそんなことを。
「なぜレモン亭なのでしょうね」俺の心の声が漏れたようにぼそりと独り言をいった。
「レモン亭だから川村さんがいたんだろ。前向きに考えろ」今まで一言も発しなかった小森が、またどうでもいい事を言う。
「ほんと、そうだと私も思う。武田さんには明確な動機がある。それが不純であれ純粋であれ動機の強さは、こういう困難の前ではとても頼りになるもんだよ。」なんだよ、俺の動機って。
「武田の恋の行方にかかっているわけか」平井さんがからかうように言う。俺を除く皆は今までのなんとなく重たい空気から解き放たれ笑っている。こいつほんとに。恋じゃないって何回言えば分かるんだ。人をおもちゃにしやがって。
(続く)