【第12話の⑦/⑯】レモン亭 /小説
小森も武田も一緒に来たらよかったのに。大文字山の山頂から見る景色は気持ちいいのにな。いうて京都市内にいると知らず知らずに窮屈感を感じる人は多いはずだ。限られた土地にこれでもかとギュウギュウにビルや家を建て道は狭く路地は多い。大文字山からはそんなギュウギュウ感が逆に綺麗な模様に見えて景色に花を添える。また、ごちゃごちゃになっている頭の中からスッと今大事にすべきことを見極めることが比較的容易にできるのも高い所の解放感がなせる魅力だ。しかし物事はたいてい良いことばかりではなく二面生を持ち合わせる。
大文字山は五山の送り火で有名な山で、登頂するとどうやって燃やして「大」という字を火で表現しているのかそのカラクリを目にすることができる。初めて見ると、それは結構大がかりで驚く。驚くと言うと大文字山は2つあるということだろう。左大文字と右大文字の2つがある。左大文字は京都市右京区に、右大文字は京都市左京区にあり、なぜか右左が合っていない。不思議だ。
今日、俺が登る山は右大文字で、急げば30分くらいで登頂できる山で、道幅は広く登山というかハイキングに近い。しばらく鳥のさえずりに耳をすましながら登っているとまだ朝の9時過ぎだというのに、60代くらいの男性が下山してきた。
「こんにちは」と挨拶をするとその男性を足を止める。
「今から登るんだったら気をつけなよ。道が細くなったところに蜂がたくさん飛んでいる場所があるから。」
「こんな時期に蜂ですか」まだ春先で蜂が勘違いして活動を始めるほど気温は暑くはなっていない。最近は、昨今の異常気象感はなく、今は皆が慣れ親しんできた春という感じの気候なのになんで蜂がブンブン飛んでいるんだろうか。
「お兄ちゃん、1匹や2匹ちがうから気を付けてや」そう忠告して親切な男性は下って行った。
少し坂の勾配が急になってきたあたりから、道幅が狭くなってくる。あのおっさんが言っていた場所はそろそろかと思いながら歩みを進める。するとブンブンという羽音らしき音が遠くから聞こえてきた。ついに来たかと思いながら現場をしっかりと目にできる所まで近づくと、黒い蜂がぱっと見10匹以上は飛び交っている。予想以上の数だな。人が二人通れないくらいの幅の所をまるで門番かのように飛んでいる。普通に進んだら間違いなく蜂にぶつかる、困った。しばらくしたら蜂がどこかに飛んでいくんじゃないかと期待して待っていたが、なんなら飛んでいる蜂は増えている気さえしてきた。よく見ると狭い道の両端には、淡い紫の花が咲いている。蜂はあの花の蜜を吸っているんだ。
そういえばこれまでの道中あんな花は咲いてなかった。山頂までの道にあの花がたくさん咲いているとしたら蜂はその度にいるのかもしれない。そんな気がふせるようなことを考えながらじっと蜂を見ていても状況は好転しそうにないので、下山しようかなと心が傾きかけたとき、山側から中年の女性が下りてきて、まるで蜂の門と化している所で立ち止まるのが目に入った。あの人は俺と違って何がなんでもあそこを通らないと帰れなくなる。飛び交う蜂を目で追っているようだが、さてどうするのかと見ていると、特に覚悟を決めた顔になるまでもなく突き進んできた、まじかすごいな。少しの間状況の確認をした程度で問題ないと判断したようだ。
下山してきた女性は簡単な山での挨拶をし、何事もなかったかのように山を下っていく。すごい人だ、あの勇気が俺にあるか。帰りも多分蜂はブンブン飛んでいるだろう。周りを見渡しても他の登山ルートは見当たらない。誰も見ていないじゃないか、ここで諦めても臆病な奴だと馬鹿にされることもない。気にするのは、今日は大文字山を登るという自分との約束だけだ。みなぎる自信は、自分との約束を果たすことで生まれるとするなら、張りぼての勇気だとしても絞り出して突き進むべきだ。しかし現実は、小森や武田がいたらお互い鼓舞し合えたものの、この状況は低きに流れてしまいそうだ。
しばらく自分の覚悟を問いつづけたが、踵を返し下山することに決めた。そもそも元々は小森も武田も一緒に行くはずだったのに、朝が早いからという理由で断りやがったから俺は今こんな惨めさを感じているんじゃないのか。だいたい小森は社会常識がないし武田は勉強以外はクズ人間だし、社会人としての自覚が著しく欠けてる。大学生がアンチテーゼを声高に叫び遊び呆けていても良かった時代はとっくに終わったろうに。あいつらのダラけた生活のせいで俺がこんな目にあうのは納得いかん。自転車をこぎながら帰っている時も、こっちが大人の対応をして我慢しているアレコレが湧き上がるように頭に思い出されドンドンと不愉快な気持ちになっていた。
(続く)