サラリーマンの私が結婚10年でたどり着いた家事分担の答え
我が家は妻が専業主婦で小学生の子どもがいる。妻は減点主義な所があるので私のパフォーマンスに満足はしていないが、結婚当初から洗濯な等の大事な家事は私もしてきた、つもりである。
子どもが乳幼児期の時はそれは子育ては体力と精神力勝負で、家事なんて2の次になるのは仕方がない。子どもが大きくなるにつれ、幼稚園や小学校に行く時間は妻も自分一人の時間をやっと取り戻し、自分時間を謳歌できるようになった。
妻は家事とかは苦手で好きじゃないしやりたくないし、と豪語してるが、多くの主婦がそうじゃないのかとは感じているし、家事をさぼる正当な理由にはならない。
私からしたらずっと家にいてしかも自分時間もあるのだから、もっと家のことをちゃんとしてほしい、と思うのが本音だ。そんな贅沢なことを言うつもりはない。
小さな不満
例えばこの1週間を振り返ってみるだけでも家事への不満はたくさんある。
ティッシュ箱の上に物を置くな。散らばっていたメモ帳やチラシをまとめてティッシュ箱の上に置いたら、鼻をかもうとティッシュ1枚とろうとしたら邪魔だろ。花粉症なんだぞ。
クシはどこ?ここにクシを片付けようと何年も言っているのに、使ったら片付けないだけでない、別の所に片付けたりしているので、朝時間ないときに探す時間が本当にもったいないだろ。このいつもの所に無い問題はクシだけじゃない。
定規が見当たらないぞ。片付けるのはいいけど、定規が入っている引き出しにとりあえずあれもこれも小物をまとめてがちゃっと入れたら、もともとあったものを探すのも大変だし、見つけても取り出すのが大変だろ。引き出しがあかなくなるくらい物を詰め込むな。
サランラップを片付けませんか。使ったらポイとそのままにしているが、手を伸ばせばいつもサランラップを置いているところに手が届く距離じゃないか。なんでそれができない。
輪ゴムがない。輪ゴム入れが我が家にはあるがよく空っぽになっている。しかし家のいたるところに輪ゴムがポンポン落ちている。外したらそのままそこに置いとくんじゃねー。
不満は挙げだしたらキリがない。
人は変わらない
妻が家をほんとうに綺麗に整理整頓するのは、誰かが家にくる時だ。家が毎日散らかっているという認識はあるらしく、定期的に誰か来てくれたら家はもっと片付くのに、と本心かどうか分からないことも言っている。
さて、私が挙げた不満を解消するのは、作業量だけでみたらとても簡単なことだ。ずっと家にいるんだから、テレビをみたりゲームしたりする時間があるならその中の2分でも割り当ててくれたら、十分解決できることばかりだ。だからそれくらいやってくれよ、という気持ちはある。
しかしだ。妻に輪ゴム外したら輪ゴム入れに片付けられないのか?なんて言うと、向こうはすぐに頭に血がのぼり、じゃあ言わせてもらいますけどね、とアレコレ出てきて水掛け論になる。私への不満を口にせずグッと我慢しているのに、なんでお前は口にしてくるのだ、というスタンスである。
専業主婦をやっているのだから、それくらい責任もってやれないのか、なんて言うと、時代錯誤だ、女性蔑視だ、ハラスメントだ、とくる。
私の結論
「家庭円満」という言葉がある。最近、非常に深い言葉だと感じている。円満というのは、我が家では、我慢や誰かの犠牲があって初めて、見せかけ的に実現できるものともいえる。世の中がそうであるように正論だけでは成り立たない。かろうじてバランスをしているという状態。
そういった不安定な土台の上で生活しているのであれば、バランスを揺らがせては家庭にヒビが入ってしまう。だから、どうしても目につく小さな家事は自分でやることにした。自分でやるなかで、妻の気持ちもわかってくる。一つ一つはすぐに終わる家事でもそれが10個も20個もあると嫌になる。しかも輪ゴムを片付けても誰にも感謝されない。それどころか、次の日にはまた輪ゴムがポイとそこらへんに置かれている。こういったことの繰り返しの日々は、決して楽しくはない。
そもそも妻には子どもを産んでくれたという抱えきれない感謝がある。気づいたら自分でやる、というのはこういった気持ちを忘れずにいるための行動なのかもしれない。