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【第12話の②/⑯】レモン亭 /小説
まさか、川村さんからランチに誘われる日がくるとは。またドキドキしてきた。最近は女流棋士のメディア露出は増えてきているし、若い圧倒的スター棋士も生まれ将棋はオジサン達のゲームだけでなく若者の人口も増えてきている。
俺が入っている将棋サークルは3割くらいは女子で、川村さんとは大学は違うけどサークル同期である。心がワサワサしているのには理由がある。いつもは気にもとめていなかった周りにいる女性の一人でしかなかった川村さんがある日、ポニーテールをしているのを見かけたことがあるのだが、その時の彼女のうなじが俺の心を魅了してしまったのだ。その日以来、川村さんに会うときはポニーテールをしていてくれ、といつも願っているのだ。しかしなかなかポニーテールの日はないのだが、そんな時も後ろ髪を結ってくれないかと願っているのだ。また見たい、もう一度見たい、そう思う気持ちが日に日にふくらむ一方で、そんな気持ちを彼女に悟られてはいけないという自制心もまた同じように大きくなっていた。
指定されたイタリア料理屋の前に到着するともう川村さんは来ていた。今日も願いは届かなかったようで、彼女のうなじは艶のある黒髪で覆われていた。いつも数百円で生活している貧乏学生だから、ランチ一食で1500円もするようなお店とは縁がない。店内はオリーブオイルだろうかニンニクの香ばしい匂いだろうか、いい香りが漂っていておもわず深呼吸をしそうになる。
注文までが終わるやいなや川村さんはいつもより早口で今日の本題に入ってきた。
「ごめんね、武田君。今日はありがとうね。どうしても相談したいことがあるの。」
「俺なんかで役に立つこと?」うん、うんと2回頷いている。
「私ね、レモン亭っていうカフェでバイトしているんだけど、ちょっと気になることがあって」そういって川村さんは、予約して夜の七時から七時半頃までに来店し九時前に店を出るいつも人は違う三井さんの件を話した。そして一緒に謎解きに付き合ってほしいと、深々と頭をさげてお願いされた。
「そのガラス一面の壁から見えるのは本当に普通の景色なの?」
「私にはそう見えるんだけど、一度予約が入ってない日に来てよレモン亭に。武田君の目で見てみて。ずうっと気になって仕方がないの。高学歴で頭良くて謎解きに向いている知り合いって武田君しかいないの」懇願する目で俺を見る。困ってしまったぞ。
確かに学歴は高いかもしれないけど俺が出来たのは受験勉強であって謎解きなんて正直向いていない。推理小説なんて読んでいても途中でついていけなくなるし、推理漫画ですらいつも作者のアイデアに感心しているくらいだ。受験問題になっていれば紙とペンがあれば解くことはできるかもしれないが、川村さんが言っているのはこのリアルの世界で起こっていることであり全く別物で正直気がひける。
確かに気になる話で、ちょっとそそられる自分もいるにはいる。この話に乗れば川村さんとの時間も増え、うなじを見れる機会が何度も巡ってくるかもしれない、という期待もまたふつふつと湧いてきている。
「ねえ、お願い武田君。一緒に謎解きしてみない?」ずっと黙っていたので沈黙を嫌ったのか、なかなか返事をしない俺にいら立っているのか、間を埋めるかのように改めてお願いされる。しかし、川村さんのために一肌脱ぐ義理はないし、しかも大変そうなうえに上手くいく気は全くしない。
「…分かった、やろう」懇願する目に催促されてせかされながら答えたから回答を間違えたわけではない。最終的には、川村さんのうなじの誘惑に負けてしまったのだ。俺は川村さんのうなじが見たい。でもうなじを見せてとは口が裂けても言えない。偶然見たいのだ。その可能性を高めることの代わりにとんでもない面倒を引き受けてしまった。
「やったー、ありがとう。さすが武田君。今度、振り飛車の対局に付き合ってあげる。」すごい嬉しそうにしている。川村さんってこんなに笑うんだと思うくらいニコニコしている。注文したカルボナーラは塩味がちょうどよくレトルトのものとは雲泥の差の美味しさだったけれど、これはきっと心の涙の塩味もスパイスになっていたことだろう。
(続く)