待ち望む、ということ
今日の番組は「1年前から変わった事」というメッセージテーマでお送りしました。子供が産まれました!というハッピーなメッセージも沢山頂きました。ガラッと変わった生活の中、日々奮闘されているのだなぁと微笑ましい気持ちになりました。今日も番組へのご参加ありがとうございました。
そんな中で、「ずっと待ち望んでいたので」という一文が目に入り、なんだか胸がキューっと締め付けられたので、今まで公には話すつもりのなかった事を書いてみようかなと思いました。別に、だから何って話なんですが、もし今つらい思いをしている人がいたら、本当に本当に心から、あなたの願う通りになりますように、と心に留めています。
わたしにも待ち望んでいる期間がだいぶありました。まだかなぁ、なんでなんだろう、あれぇ、おっかしいなぁと、最初は軽く考えていたのが段々変な焦りに変わり、考えたくもないのにいつの間にか常に頭の中はその事でいっぱいに。人の幸せなニュースも素直に喜べず、だからと言ってそれを顔に出さないだけの理性とプライドは持ち合わせていますから、作り笑いも上手になりました。
色々検査をしたのですが、その中で1番衝撃的だったのは、わたしには生まれつき卵巣が片側しかない、ということ。30数年生きてきて全く今まで知らなかったこと。先生にとっても初めてのケースだったようでした。わたし自身は健康体ですし、別に病気ではないのですが、あの頃はなんだか足元がガラガラと崩れ落ちるような、常にぼーっとしてしまうような、そんな時期でした。正直あの頃までは、そこまで真剣に欲しいー!なんて考えていなかった。それなのに、いざ本当に無理かも、とわかった時に、突然言葉にできないくらいの絶望感に襲われたのは一生忘れないと思います。
当たり前ですが人の価値は子供を産む、産まないで決まるものではありません。何か病気がある訳でもないし、好きな仕事も出来ていて、好きな人たちに囲まれ、そのままの自分で十分幸せ。頭ではわかっていても、自分の力ではどうにもならないことに対しての無力感は耐えがたいものでした。いつゴールできるか分からず、暗闇の中を走っている孤独感。自分が「待ち望んで」いるものはなんなのかすら、気持ちが麻痺してよく分からなくなってくる感覚。人の幸せを妬んでしまう事への罪悪感。あの頃は、ちょっとした事で自分にご褒美をあげまくる事で、なんとか正気を保っていました(ご褒美のハードルが低いのは今も続いています笑)
そういうふうに感じて苦しんでいる人が沢山いるのだろうな、と思うと、結果的に子供を授かった今でも苦しくてたまらなくなります。
今までこの事を話そうと思わなかった理由はいくつもありますが、そのひとつは、この経験は十人十色であり、人にああしろこうしろ、こう考えろと意見するものではない、という事。頑張れと言うことでもないし、専門家ではないので余計に人に意見はしたくないと思っています。これからも多分、多くをいう事はないでしょう。でも、もしつらいな、と思っている人がいたら、話を聞く事はできます。ちょっぴりだけど、自分のフィルターを通して理解できるかもな、とも思います。もしあなたがそういったことで誰かにぶちまけたい、つらいな、と悩んでいたら、いつでもDMでもなんでも、送ってください。ツイッターとinstagramのDM、普段はあまり個人的なお返事はしないのですが、出来るだけ直接お返事したいと思います。
以上、ほんの一文から思い出した感情でしたっ。
次はちゃんと文芸作品のセリフを紐解く本来の投稿に戻りますー!えへへー多分。