娘が答えを探し出した
子育ての時、親がやってしまいがちなのが、「自分の失敗を子供に繰り返させないための、育児をする」こと。
私の場合、テストで点を取る教育の弊害か、答えがある問題に慣れてしまい、自分で問題設定をすること、絶対的な答えがない状態でそれでも自分の答えを導くことに、大人になってから非常に苦労した。
その経験から娘には曖昧な状況下でも、自分なりの意見を言える自分の答えを持つネガティブケイパビリティや、それを状況に応じて変化させる柔軟性を伸ばしてやりたいと思っていた。
もちろん現在の受験戦争など、テストで点を取る事はある程度必要だが、そういう教育は学校に任せて、家庭では答えのない事に対応する力を伸ばす育児を心がけていた。
だからシールブックで、娘が魚に陸を泳がせたり、象を木の上に歩かせたりしても、「おお、かっこいいね」みたいな感じで修正してこなかった。
しかし最近その娘の様子に変化が生じた。
シールブックで正しい場所にシールを貼ることを好むようになったのだ。
キリンはアフリカの草原に、イルカは海の中に、犬や猫は人間とともに、のようなシールブックが意図しているページに、シールを貼ることを好むようになった。
それだけなら特に気にしなかったのだが、そのシールをどこに貼るべきかがわからない時、私に正解を教えてと頼むようになった。
私はなんだか少しショックを受けてしまった。自分の好きなところに貼ればいいよ、と言うのだけど、娘は答えを欲しがる。
答えが正解だったときの快感も理解できる。常識というルールを教えた方がいいのも理解できる。
でもなんとなく、与えられる答えじゃなくて、自分の答えを持って欲しいなぁと思うのは、私自身のコンプレックスからきているのだろうか。